第八十六話 遷都宣言 4/5
参列者の中でもとりわけドライアドの名代一行、いや、名代以外の補佐官達は混乱の中に居た。エスカがこの大葬の参列の席にいない事を気にしていたのである。
おそらくこの様子は見ているに違いない。この場にいない事が凶と出るか吉と出るか……その判断が出来なかった。
まさかイエナ三世にしろサミュエル・ミドオーバにしろ、各国からの参列者に危害を加える事はさすがにないだろう。だが、国際的な異常事態であることは確かである。
フェルン・キリエンカは
(まさかとは思いますが、正教会が一枚噛んでいる、と言う事はありませんよね? )
そう問われたリンゼルリッヒは肩をすくめて見せた。
(一枚噛んでいるとしても、さすがにこんな面白展開にはならないでしょう。そもそもそんな気の利いたことができるはずありません)
(でしょうな)
フェルンは頷くともう一つの懸念の方をつぶすことにした。
(エスカ様の事は放っておくとして、我が国の名代が騒ぎ始めたら……)
(即座に眠っていただきますよ。ご安心あれ)
リンゼルリッヒはフェルンに皆まで言わさず、そう言うと目配せをして見せた。
だが、フェルンにはそう言ったものの、リンゼルリッヒには一つ引っかかる事があった。その日の朝、エスカに付いているために大葬には参列しない旨を告げたニームの態度が少しおかしかった事を今更ながら思い出していたのである。
エスカと出会ってからはほとんど見せなくなっていた昔の表情になっていたのである。
いや、昔のような単なる無表情とは違い、無理矢理無表情を作っているような雰囲気が漂っていた。言い換えるなら精神状態が平穏ではなく、それを隠すために無表情という表情を選んでいると言った風情であった。
心の動きを悟られたくない時に、人が良く見せる行為ではあった。
リンゼルリッヒは隣の同僚を肘でつついた。
(ニーム様の事でしょ? )
《薄鈍の階(うすにびのきざはし)》ことジナイーダ・イルフランはリンゼルリッヒが言いたいことを既にわかっているようだった。
(関係があるとは思えないわ。ましてや裏で糸を引いているわけもないでしょう? )
賢者が他国の内政に関わることは賢者法で重罪とされる行為である。大賢者がそれを行うはずがない。彼らは
エスカ・ペトルウシュカに肩入れする事は立派な内政干渉ではないかとも考えられるが、今のところそもそもエスカも政治的な動きは見せてはいないし、ニームもエスカ自身にはこれでもかと干渉しているものの、シルフィードの内政に干渉するような行為には及んでいない。
そもそもドライアドに入り込んでバードとしての役割を演じながら他国の内部を調査する事は問題がないのである。その延長線であると判断されればそれは内政干渉ではない。さらに言えば賢者や大賢者はある目的を果たす事が優先される。その為には内政干渉などという「些事」は問題にならない。すなわち《天色の槢》には
ではその大義名分の為にイエナ三世を抱き込んだという考えはどうだろう?
だがリンゼルリッヒもジナイーダもニームがイエナ三世やサミュエル、ガルフと言った面々とは一切接触がないことを知っていた。まさか昨夜のうちに出会い、何らかの密約が交わされたとは到底考えにくい。
問題は、この出来事がニームにとって都合がいいのか悪いのか、である。
《深紅の綺羅》の痕跡がエッダの王宮にあるとすれば、そのエッダが遷都によって放棄された方が都合がいいように思える。しかし、そう簡単な事なのであろうか。そもそも国王が遷都すると宣言したから「はいそうですか」と本日、今日、今からいきなりノッダが首都になってエッダから要人がいなくなる、と言うわけではないだろう。
とは言えニームとエスカは彼らの場所からは離れたところでこの成り行きを見守っているに違いない。
そう、つまりはリンゼルリッヒにしろジナイーダにしろ、今のところはどちらにしろ成り行きを見守るしかないのである。
同じ事はエスカ自身も考えていた。
この事態は果たしてイエナ三世の乱心と言う事で収拾するのか、そうなった場合、シルフィード王国のこの後はどうなるのか? そしてそれはニームの目的にとって歓迎すべき事なのか、はたまた……。
エスカはあらゆる可能性に対して考えを巡らしていた。
「シルフィード王国の王位継承権の第二位はアプサラス三世の弟、ヴァンダラー・カラティア公爵だったな」
生前に王位継承はないシルフィード王国の場合、ヴァンダラーが国王になると言う事はすなわちイエナ三世の逝去を意味する。つまりエスカはそこまで考えを巡らせていたと言う事である。
ヴァンダラーに関しての情報ももちろん彼は持っていた。彼の見立てではもしヴァンダラーが王位に就いたなら、少なくとも求心力に関してはアプサラス三世やイエナ三世に及ばない国王になるはずであった。
「どうした?」
独り言の様につぶやいたものの、それはニームに対して呼びかけた言葉であった。「イエナ三世の次の王」という極端な発展を口にすることでニームの考えを聞こうと考えての事であった。
だが、ニームは沈黙を守っていた。
ニームの様子が今朝からおかしいのはエスカも既に気付いていた事だ。だからこそ言葉を交わしたいと考えたのだが、ニームはいつの間にか拳を握りしめてただイエナ三世を注視していた。
「ニーム?」
エスカは今度は直接その名を呼んだ。直感がそうさせたのだ。ニームは何かを知っている、と。ニームのその態度は、何かを待ち構えているような仕草だと思ったのである。
いったい何を?
「おい、ニーム」
二度目の問いかけで、ニームはようやく自分が呼ばれていることに気付いた様に小さくビクンと肩を揺すってから、ゆっくりエスカに顔を向けた。
「どうした?」
「本当みたい……」
ニームは小さな声でそう言った。
「え?」
「夢でも何でもない。夕べのことは本当に本当」
「おい、ニーム?」
意味不明な言葉を口にするニームに対し、エスカはさっきから漠然と感じていた不安が黒く広がるのを嫌な気分で認識していた。
だがエスカはゆっくりとニームと話ができる状況にはなかった。イエナ三世の、いや王宮前広場で繰り広げられている「舞台」から目を離すわけにもいかなかったのだ。
「陛下はお疲れのようだ。玉間へお連れしろ」
ざわめきの中でなお無言のイエナ三世に対し、行動を起こしたのはイヤバス・ウーレンハウト近衛軍元帥であった。彼はそう言うと、舞台の脇に控えているイエナ三世の世話係である数名のバードに声をかけた。
彼女たちは顔を見合わせるとおずおずとイエナ三世に近づいたが、それを見てイエナ三世はそれを拒絶する言葉を口にした。
「余に近づくな! 成敗いたすぞ」
だが、その言葉を聞いたサミュエルがそれに反応した。
「女王陛下はやはりご乱心だ。かまわぬ、お連れしろ」
大元帥の命令を受けた近衛軍の一部が、イエナ三世のいる舞台の方へ移動を始めた。
さすがに広場は喧噪状態になった。
いくつかの小隊がイエナ三世のいる演壇に移動するのに併せて他の小隊は大葬参列者をぐるりと囲んで壁を作り、慇懃な言葉遣いで緊急事態に付きその場を動かないようにと告げ回った。中隊の残りはガルフ達王国軍に対峙するかのように横に広がり、広場と……いや、つまりはイエナ三世との間に壁を作り上げた。
だがそれを見ても親衛隊やティルトール・クレムラート、ヘルルーガ・ベーレント両将軍ともに一切動きを見せようとはしなかった。
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