第八十三話 二人の大元帥 1/3

 中央広場は、いやエッダは今、かつてない緊張に包まれていた。

 押し殺されたどよめきが生む異様な沈黙が支配する中、一人の男が堂々とした所作で自らの役目を演じようとしていた。


「長く留守にしてすまなかったな、サム」

 大柄な馬から降りたガルフ・キャンタビレイは、同じく馬から降りた二人の側近、すなわちリーン・アンセルメとスノウ・キリエンカを従えてサミュエル・ミドオーバの前に歩み寄った。

 対峙する二人を見守っている数万の「観衆」全員に緊張が走った。

 その場には物音一つ立てる者はおらず、それどころか呼吸することさえ躊躇われるほどの静寂が王宮前のエッダ中央広場を支配していた。

 普通に考えれば王国軍の最高司令官が国家行事の為に王宮に帰ってきた事が緊張を呼ぶわけはない。問題はエッダ中に蔓延していた噂にあった。それはもちろん「バランツで哨戒にあたっていた近衛軍の中隊を、住民もろとも皆殺しにした」とされる真犯人がガルフ・キャンタビレイ大元帥率いる親衛隊ではないかという噂である。

 もちろん証拠はない。むしろ噂を否定する状況証拠しかなかった。しかし近衛軍の一個中隊を全滅できる部隊が王国軍以外に果たして存在するのかと問われると誰もが口を閉ざすのである。

 外国の軍隊が首都エッダの近くに侵攻しているなどという事は考えにくい。

 エッダ周辺には私兵、州兵と言われる軍隊などを持つ貴族はもともといない。

 ファランドールでは例外的に治安のいいシルフィード王国では、いわゆる賊の類も考えられない事だった。

 ましてや全滅したのは数多くのバードを要し、近衛軍でも一目置かれている『蛇使いのアヨネット』ことクリヨン・アヨネット中佐の部隊である。相手は相当の手練れ、かつ組織的な大部隊であろうと思わざるを得ない。そこまで統率のとれた「賊」が居るなどと考える方がどうかしていると言うものであろう。

 要するに王国軍犯人説が生じたのは消去法によるものとも言えたが、その黒幕があろう事かシルフィード王国にとっては歴史的な忠臣であり前王アプサラス三世の側臣であるキャンタビレイ侯爵、すなわち王国軍大元帥ではないかという憶測は、さすがに消去法だけでは根拠としては弱い。

 だが、噂を補強する根拠はあった。話をきな臭い方向へ誘う出来事、すなわち新しい国王が自ら選んだ名前がそれである。

 新王の名前は、公式に発表される前から「エルネスティーネ一世」に内定している事が広く認知されていたからである。

 それはアプサラス三世の存命中に自身の口から非公式ながらではあるが、発表されていたものだからだ。

 アプサラス三世は次代を任せる者には過去にない名前の王であって欲しいと願っていたと言う。ご存じの通りエルネスティーネとは「花咲き乱れる草原」という意味である。遷都と合わせ月という大きな二つの出来事を乗り越えた新しい時代を、まっさらな名前の王が統べる。その王の名として「エルネスティーネ」がふさわしいとアプサラス三世は考えたのだ。

 幼名をそのまま王になって受け継ぐ。引き継ぐのではなく自らが切り開く役を負う。それが「一世」の持つ重みであり、エレメンタルである王の名としてふさわしいのだと。

 アプサラス三世が自らの娘の誕生に臨んで付けた名前の背景を、シルフィードの国民は皆知っていたのである。そしてもちろん、王女エルネスティーネ自身も。

 だからこそ『イエナ』という封印された女王の名を敢えて継いだエルネスティーネ王女に、当初国民の多くは疑問を持つとともに大きな衝撃を受けた。イエナ二世の伝説を知らぬシルフィード国民はまずいない。従って国民の戸惑いは無理からぬものだと言えた。

 その後で起こったのが件のバランツでの怪事件である。まるでエルネスティーネの行為に意味を持たせたかのように。

 常にイエナの名と対になるのがキャンタビレイ家である。しかもご丁寧な事に伝説のキャンタビレイ家の当主の名は奇しくも大元帥と同じガルフである。

 人々はそこに言葉に出来ない国王の意図があるのではないかと考えた。

 エルネスティーネはキャンタビレイ家を連想させる王の名を敢えて名乗ったことで、国家に迫り来る危機とその黒幕を示したのではないか、と。

 もちろんこの風聞には何者かの思惑が入っている事は想像に難くない。しかし臣・民の別なく多くの人々は、並べられた数々の出来事がまるで符号のように疑問という鍵穴にぴったりとはまるその噂を、頭ではなく心の底で信じないまでも、納得し始めていたのである。


 噂の信憑性を嵩上(かさあ)げしたのはガルフ本人でもあった。

 イエナ三世の名で出された公式のエッダへの帰還要請に対し、ほぼ一月もの間にわたり様々な理由をつけて帰還を伸ばし続けていた事は紛れもない事実である。

 王国軍大元帥は軍務大臣という国家の重鎮でもある。本来ならばアプサラス三世崩御の報を受ければ即座に王宮に戻るのが自然な行動であろう。

 しかし人々が耳にしたのは健康上の理由や不慮の怪我、あるいはノッダの工事の重大な事故の発生などの理由で、大元帥がまるで何か後ろ暗い事が在る為に様々な言い訳を使い、帰還を渋っているとしか思えない話ばかりであった。

 とは言え他国の要人も参列する一大国家行事といえるアプサラス三世の大葬には、いかなる理由があろうと帰還するであろう事も予想済みであった。


 果たして親衛隊を先頭にノッダ駐留の王国陸軍の中隊が二つほどエッダに向かったという情報が駆け巡った。人々はそれを聞くと大元帥の帰還をそわそわとした気持ちで今や遅しと待ち構えていたのである。

 結局大葬の当日になってやっとエッダ入りしたガルフであるが、人々がまず度肝を抜かれたのは彼が従えていたその部隊の数であった。

 事前の情報では親衛隊を除き、随伴するのは中隊が二つだけのはずであった。

 しかし今現実にガルフ・キャンタビレイ王国軍大元帥が率いていたのはユリスカラント通りをはじめ、王宮前広場に続く四つの大通りを全て埋め尽くすほどの大軍隊であった。

 それは中隊が二個などという平和な数ではなく、優にその百倍の規模があった。

 もちろん王宮前広場になど入りきれるはずも無いほどの非常識な兵の数なのである。

 単純に言ってしまえばたとえ軍務大臣と言えど、要人がただ帰還するだけには明らかに多すぎる部隊であり、見方を変えれば近衛軍が守るエッダ城を王国軍が圧倒的な兵力で包囲している状況だといえた。

 道の両脇に退いて通りを埋め尽くす兵士達を見ながら、人々は不安に包まれていた。

 もちろん「あの噂」が本当かもしれない、という不安である。

 ただでさえ敬愛されていたアプサラス三世の、アルヴィンとしては夭折ともいえる若すぎる年齢での唐突な崩御により国民は動揺を隠しきれずにいた。そこへ持ってきて盤石と思われていた国家体制が覆るかもしれないような黒い噂の蔓延である。

 もっともらしいが信じたくはなかった噂が、ここへ来て真実味を帯びた展開を見せ始めたのである。


「こ、これは何事だ? 軍隊が我々を取り巻いているのではないのか?」

 それまでおとなしかったマルク・ペシカレフがそわそわしだした。

「まさか奴ら、ここに集まった各国の要人を皆殺しにするつもりではあるまいな?」

「大丈夫ですよ。冷静になられよ、ペシカレフ公爵」

 エスカの代理としてマルク・ペシカレフの側付きになったフェルン・キリエンカ少尉待遇事務官は大きめの声でドライアド国王名代をたしなめた。

 浮き足立っていたのはマルクだけではなかった。だからフェルンとしては大きな声を出す事で周りに対して同様の注意を喚起したつもりであった。

「心配は無用です。これは軍事国家であるシルフィード流の演出でしょう」

 フェルンの言葉に黙りはしたものの、それでもマルクは不安そうな顔で椅子から立ち上がったまま落ち着かぬ様子で二人の大元帥の方を見ていた。遠すぎて声が届かないだけに余計に不安を感じているようだった。

 同じくマルクの側付き役であるリンゼルリッヒ・トゥオリラとジナイーダ・イルフランの両神官はお互いにうなずき合うと、いつでもルーンを唱えられる体勢を整えた。

 作法として会場には精杖を持ち込めない。だから強力で精密なルーンは唱えられなかったが、名代マルクとフェルンをできるだけ安全に会場から逃がす為の方策は事前に考えてはいたのだ。その点二人は長く一緒に居た為に段取りなどに綻びはない。小さな声で二言三言話すだけで事が起こった時にお互いが受け持つ役割を再確認した程度である。

 静まりかえった王宮広場にガルフの掛け声が響き、怒濤のような鬨の声を上げながら王国軍の兵達が近衛軍に斬りかかり付近一帯があっと言う間に血の海に変わってしまう前に、活路を開く自信が二人にはあった。

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