第八十三話 二人の大元帥 2/3

「久しぶりに顔を見せたかと思えば、さすがに少々演出過剰であるな、ガルフ」

「随行は二個中隊程だとでも思っていた驚きようだな、サム? 一言で言えば『想定外の事態』であろう?」

 ガルフはサミュエルが表だっては動揺を見せていない事に満足したような顔でそう言った。

 それはつまり王宮回りには間違いなく堅固な精霊陣が張り巡らされており、サミュエルが精杖を一振りすれば親衛隊であろうが五個大隊であろうが恐るるに足らずという万全の体制は敷いているという事である。

 そうだとしても、もちろんそれはガルフの想定通りであった。

 おそらくは精霊陣の要所と思われる場所にはサミュエルが選りすぐったバードが配置されているのであろう。

 ガルフはそれをわかっていて自らサミュエルの罠の中に入っていったと言う事である。もっとも罠があれば、ではあるが……。


 サミュエルはガルフの皮肉ともとれる言葉に肩をすくませると、広場に続く大通りの兵を順に眺めた後で答えた。

「二個中隊か。そう言えば確か、そのような情報を受けていたな」

「それでわざわざ一個中隊もの兵を広場に配備して我々を出迎えてくれていたというわけだな。一言でいえば『大歓迎』か」

 聞きようによっては皮肉ともとれるガルフの言葉に、しかしサミュエルはいつもの高笑いで応えた。

「フォッホッホ。何、先ほどリーンにも話したが各国の賓客の方々に対する我が王国の宣伝のようなものじゃよ。王国軍大元帥率いる親衛隊の検閲式は軍の公式行事だと言う事で、大葬参列のお歴々には少しの間余興として楽しんでいただくつもりだったのだ。行事自体は見栄えの良いものにして差し上げんと周りから色々と文句を言われてかなわんのでな。特にデュナンは儀式にあたっては派手な演出を好むからの」

 そう言うとサミュエルは持っていた精杖の頭頂部「星を呑む獅子」を参列者のいる広場中央へ向けた。



「時に、陛下のご様子はどうだ?」

 懐から取り出した何本かの結布を手首に巻き、その手で握られた精杖に耳をあてていたニームは精杖から耳を離さないようにしてエスカの方に顔を向けた。

 とはいえ、同じように精杖に耳をあてていたエスカの顔は目の前にあったのだが……。

「あ……」

 あまりにエスカとの距離が近い事にその時はじめて気付いたニームは、思わず精杖から頭を放した。

「今更驚くなよ。本当にお前、今日はちょっとぼんやりし過ぎだ。だいたいお前が精杖のこの部分でしか聞こえねえって言ったんだぞ」

「そ、それはそうだけど……」


 有視界、そして近距離であれば離れた任意の場所の声や音を精杖を通じて増幅して聞くことができる何とも便利なニームのルーンを使って、二人はガルフとサミュエルのやりとりを全て聞いていた。だが、その声が聞こえる場所は精杖の一部分に限られていて、二人は顔を触れあうほど寄せ合ってそこに耳をあてていたのである。

 ニームは真っ赤な顔でエスカを睨むと、渋々元の場所に耳をあてて目を閉じた。

「おい」

「な、何?」

「こんな近くでそうやって目を閉じられると、そのかわいらしい唇をもらっちまう事になるぞ」

「な・な・な・な!」

 ニームは弾かれたようにエスカから遠ざかった。それを見てエスカは肩をがっくりと落とした。

「おいおい、この程度の冗談にいちいち過剰反応するんじゃねえよ。聞こえねえだろ、早く杖をよこせ」

「じ、冗談だと?」

 ニームの目は今まで見たこともないほど吊り上がり、エスカを睨み据えていた。そうしているニームはいつも通りだと言えた。

「冗談じゃねえ方がいいのか? 俺はどっちでもいいんだが」

「ぐ……」

 ニームはさらに目を吊り上げると、突然第三の眼を開いた。

(あちゃ。からかいすぎたか)

 エスカはニームの赤い三つの瞳を見て「しまった」と思ったが、すでに後の祭りだった。その部屋の空気がニームの第三の眼の出現と同時に一瞬で入れ替わった気がした。

 エスカの目の前にいた真っ赤な顔をした可憐な少女の姿はなく、そこにはもはや禍々しい気を纏う異質の人間がいるだけであった。

「わかったわかった。俺が悪かった。だからその眼を早くしまえ」

「あなたという人は!」

 顔を赤くしたまま、真っ赤な三眼を見開いた少女はエスカをまっすぐに見つめながら続けた。

「あんまり私を刺激しない方がいい。自分の意思ではなく、外的要因により興奮させられた状態で無意識にこれが出ると、自分でも抑えられるかどうか自信がないのだ」

「抑えるって、何を抑えるんだ?」

 怪訝な顔のエスカがそう問うと、ニームはハッとしたように目を逸らし杖を持たない方の手で額の目を隠した。

「この際だから、言っておいた方がいいのであろうな……」

 独り言のようにそうつぶやくと、ニームは改めてエスカをじっと見つめた。第三の眼を隠したままで。しかし、残る二つの目は燃えるように真っ赤なままだった。

「私のこの眼は……その……血を欲しがるのだ」

 その一言に、エスカの顔色が明らかに変わった。

 ニームが冗談でそんなことを言っているのではないことがわかった。そして三眼になった時に感じる得体の知れない恐怖の意味が、その言葉を聞いて彼には感覚として理解出来たような気がしたのである。

「それは人を切って血が出るのが見たい、という意味じゃないんだな?」

 ニームは辛そうにうなずいた。

「まさかニーム、お前は……人の血を吸って生きてきたのか?」

 エスカの声に、ニームは首を横に振った。

「信じてくれ。私は一度もそんな事はしていない。でも……」

 エスカはそう言うニームの声が変わったのに気付いた。

 涙声なのだ。

 そしてそれを裏付けるように隠しきれない二つの赤い眼から涙が頬を伝うのが見えた。

「本当はこの事はあなたには知られたくなかった。だが今のような突発的な興奮状態になると、眼の支配力に私の心の制御が追いつかないのだ。特に今は私が不安定なせいで本当に乗っ取られそうで危なかった。だから」

 エスカはニームに躊躇わずに近づいた。そして全てを語らせなかった。

「あ……」

 片手で額を押さえたままの小さなニームの体を自らの広い胸に抱き寄せると、エスカはそのたくましい両腕をニームの小さな背中にまわし優しく力を入れた。

「俺の血でよければいくらでもお前にやるさ。だから遠慮するな」

「エ、エスカ……」

「言ったろ。俺達はもう他人じゃねえんだぜ? お前が俺の想像を超えているようなものを背負い込んでるのはよくわかった。だからこれからはもう水くさい事は言うな」

 その言葉を聞いたニームは、顔をエスカの胸に押しつけてすすり泣き始めた。

「おいおい。大賢者様がめそめそ泣くんじゃねえよ」

 エスカはニームのその態度で、ようやく恐怖を呑み込むことに成功した。だからこそ、そんなからかいの言葉が口を突いた。

「私は『化け物』のようなものなのだぞ?」

「そうかもしれんな。だが、同時にお前は俺の可愛いニームであることにも違いないんだろ?」

 ニームは何も言わず、素直に小さくうなずいて見せた。

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