第八十二話 木刃の槍兵 2/2

「スノウ殿は緊張すると滑舌が意に沿わなくなる事が多いそうで」

「なるほど。そう緊張せずエッダではごゆるりとお過ごし下され」

 リーンの説明にサミュエルは眼を細めて苦笑すると、話を続けた。

「『白の国』エスタリアと言えば、大葬にご参列予定のドライアドの国王名代ペシカレフ公爵様のお側付きとして、エスタリア領主の弟君がちょうどお越しですぞ」

「エスカが……」

 スノウのボンヤリした表情が一瞬だけ崩れた。片方の眉が少し持ち上がったのだ。

「左様。エスカ・ペトルウシュカ男爵がお越しです。遠く離れたエッダで故国のご領主家と巡り合うとは実に奇遇ですな。ぜひスノウ殿も今宵の晩餐に……」

「いえ」

 スノウはサミュエルが皆まで言わぬうちに、招待を即座に断った。

「閣下にお目にかかれただけで僥倖でございます。これ以上望んでは父に叱られてしまいます。それに今夜はできればエッダの町を遊山したいと思っております」


「なんだ。晩餐会でスノウには会えんようだな」

 残念そうにそう言うニームに対し、エスカはその後ろでため息をついていた。

「いやあ、どうやら刺客じゃなさそうで良かった」

「刺客?」

 ニームは怪訝な顔でエスカを見上げた。

「ノーム山から吹き出す溶岩もかくや、って具合に怒り狂ったバカ兄の命令で俺を刺し殺しに来たのかと思ったぜ」

「何だと?」

 ニームの表情が一瞬でこわばったものに変わった。

 それを見たエスカは、ニームが出発前の桟橋での事件を思い出しているのだと勘違いした。

 ニームの頭にポンと手を置くと、髪をくしゃくしゃとかき回しながら静かな口調で言い聞かせるようにつぶやいた。

「今のは冗談だが、実のところスノウをバカ兄の元に戻すっていうのは、そうされても文句を言えないくらい重い事なんだぜ。俺達兄弟にとっては、な」

 それはニームの不安を払拭しようと口に出した言葉だったが、ニームが見上げたエスカの苦笑は寂しげな色に染まっていた。

 そして何よりその言葉はニームにとっては慰めにはならなかったのだ。兄の怒りはエスカが考えている以上のものだと、すでにニームは知っていたからである。

「まあその辺の事情はそのうち話すさ」

 エスカは自分を見上げるニームの視線に気付くと、そう言ってにっこり笑いかけた。

「あなた達が……いえ……」

「ん?」

「ミリア・ペトルウシュカが妙な人物だと言う事はわかっているつもりだ」

 ニームはそう言うと視線を下ろした。その先には自分の両手があった。ニームは意識せずにその両手を握ったり開いたりして感触を確かめていた。確かにそこに存在している自分の手を確認するように。

 そのニームの仕草を見ても、エスカは特に何も感じることはなかった。ただ、いつもより塞ぎ気味な事が多少の気がかりではあったが。


「そんな事より、そろそろお出ましのようだぞ」

 エスカの声にニームは中央広場に顔を向けた。リーンとスノウの先触れ二人の後ろに、ちょうど二十騎ほどの騎馬兵がずらりと並び終わったところだった。

「あれが有名なシルフィードの親衛隊か」

 誇らしげに四翅のスズメバチの旗章を掲げる騎馬兵は、その存在感だけなら眼前に包囲網を敷く近衛軍の中隊を圧倒しているように見えた。中でも中央の一際大きな騎馬にまたがるがっしりとした体躯のアルヴは別格であった。

 その手に持つ長い槍は優にニームの身長の三倍以上の長さがあった。刃の根本には真っ赤な六翅のスズメバチの旗章がくくりつけられていた。

「あれがそうか。俺もこの目で見るのは初めてだ。なかなかに威圧感がありやがるな」

「よく見ておくとしよう。敵になるか味方になるかはわからぬが、どちらにしろシルフィードの軍の顔だ」

「いや……」

「何だ?」

「うむ……」

「まさかエスカ・ペトルウシュカ少将ともあろう人物が伝説的な人物を前に怖じ気づいたのではあるまいな?」

「いや、元々俺は怖じ気づいてるんだが……って、そうじゃなくてさっきの台詞(せりふ)だ」

「台詞?」

「キャンタビレイ大元帥がシルフィード軍の顔かどうかは今や微妙になったと見るべきだな」

「なぜだ? シルフィード王国の王国軍大元帥と言えばシルフィードでは軍務大臣であろう? 軍の最高責任者だ。国王であるイエナ三世はまだ若輩だ。夕べのトルマ・カイエンの話が真実で、たとえあの近衛軍大元帥が暗躍しているとしても、今現在はまだこの国の軍事はあのガルフ・キャンタビレイが握っているのではないのか?」

「近衛軍大元帥がウスノロでトンマな男なら、な」

 ニームは再びエスカを見上げた。その表情はすでに戦場にある指揮官のそれであった。ニームはそこにエスカの覚悟を垣間見た気がした。

「俺がこの事件の首謀者なら、目の上のたんこぶをつぶす手はずは整えてあるがな」

「ほう、例えば?」

「軍事的に自分より強力な立場の人間をそのまま元の椅子に座らせると思うのか? まず、すでに軍務大臣の座るべき椅子はこの王宮にはないはずだ。その辺は根回しをして今日を迎えているに違いない。お前も夕べのカイエン元帥の奥歯に物が挟まったような言い回しをきいていたろ? それにあの人は何かを決心するとも言っていた。決心すなわち体制からの離脱ってことだろ?」

「しかし傀儡の王を据えて実権を握る為にアプサラス三世を暗殺したなどという噂をまさかこの国の重鎮達が信じているわけではあるまい?」

「信じていようがいまいが、非常時にエッダの実権を握れるヤツは一人しかいねえだろ?」

「軍事力としては、近衛軍など王国軍に比較すればとるに足らないのだぞ? ガルフ・キャンタビレイがその気になれば、近衛軍など……」

「思わず土下座したくなるほど聡明な所もあるかと思うと、これだ」

「これ?」

 エスカはうなずいた。

「ああ。そう言うとこ、お前は本当にまだ子供だな」

「え?」

「確かにお前は本当に頭がいい。だがまだまだ人間の本性を知らねえって事だ」

「しかし、ここは義の国、アルヴの王国シルフィードだぞ」

「近衛軍大元帥はデュナンだぜ」

「あ……」

 エスカの指摘に、ニームは今まで自分が極めて重要な事を綺麗に見過ごしていた事に気付いて愕然とした。

「俺ならここにたどり着く前に蜂退治は終えて、大葬を側臣交代の場にしようとするだろうな」

「バランツの件は、それだと言うのか?」

「ミドオーバ大元帥は失敗したんだよ。だが、あれをやったのはノッダにこもってた親衛隊じゃねえ」

「すると、どういう事になる?」

「そこなんだ。だがお前と話をしてて、少し読めてきた」

「読めてきた?」

「スノウがわざわざ親衛隊の兵装までして先触れ役に『された』意味がわかったぜ」

「え? え?」

 エスカは右手の親指をかじり始めた。

 それは考え事をする時のエスカの癖で、多くの場合、頭の中に閃いた事象をまとめようとする時に見られる行為だった。

「ふん、第三勢力でもなんでもねえな。たぶんこりゃあバカ兄貴からの挑戦状だ。それも、サミュエル・ミドオーバでなく、おそらく俺に対する挑戦状だ」

「エスカ……」

「詳しい理由はまだわからねえが、バカ兄があの四翅のスズメバチの旗を掲げる親衛隊の大将と何らかの密約をしたことは間違いねえよ。バランツの件はバカ兄の仕業だ。スノウはそれを暗に俺に知らせる為に、いや、その為だけにあそこに姿を見せたに違いねえ。俺達が大葬に列席している事は当然バカ兄は把握しているって事だ」


 エスカのその言葉を待っていたかのように親衛隊の脇に控えていたスノウが、ゆっくりと顔を上方に向けた。

「え?」

 ニームにはスノウが自分達の方をじっと見つめているように見えたのだ。

「たまたまだろう。さすがにそこまで……」

 それを告げられたエスカは一笑に付したものの、背中に寒いものを覚えた。

「そうだな。でも……」

 どういう事? という疑問に満ちた目で、ニームはエスカを見上げた。それは今し方エスカが告げた「スノウが来た意味」についての問いかけであった。

「とはいえまだ謎だらけだが、一つだけわかったことがあるぜ」

「わかったこと?」

「ああ。キャンタビレイ大元帥は、やはりアプサラス三世の暗殺には無関係だ」

「それじゃ?」

「あ、それともう一つだ。今回の国王交代劇の裏には何らかの陰謀があるのも、もはや間違いないな」

「エスカ……」

「ん?」

「改めて尋ねる。あなたの兄とは、いったい何者なのだ? いったい何をしようとしている?」

「ふん」

 エスカは鼻を鳴らすとあからさまに不機嫌そうな顔をして、窓からスノウの姿を見下ろした。

「ただのバカさ」

「ただのバカが一国の重鎮と組んであなたに謎かけをしてるとでも言うのか?」

「謎かけじゃねえよ」

 エスカは再度ニームの頭に手をやると、今度はそっと撫でた。

「さっきも言ったようにこれは多分、宣戦布告だぜ」

「エスカ……」

「見ろよ、ありゃ尋常じゃねえ。いよいよ始まるのさ、ファランドールを根底から変えちまう戦争がな」


 ニームは真顔で広場を凝視するエスカの視線を追った。

 武器を構えた近衛軍の中隊とまるで対峙するかのように四翅のスズメバチの旗をなびかせた親衛隊が二十騎ほど横一列に並んでいた。

 ニームはそこで目を見開いて驚く事になった。景色が一変していたのだ。

 親衛隊だけではなかった。

 気がつけばその後ろに伸びる大通りがいつの間にか兵で埋め尽くされていたのだ。

 それは一個中隊の近衛軍を圧倒、いや一蹴するに足る王国軍の兵士の数であった。

「これは驚いたな……」

 ニームは素直にそう感嘆の声を漏らした。

 よく見れば広場に続く大通り四本全てが同じ光景であった。見渡す限りの大群である。数は千や二千ではない。十万の単位に違いなかった。

 通りを埋め尽くした王国軍が掲げていた旗は二種類。

 一つは『麦と剣』をあしらったシルフィード陸軍の軍章。そしてより大きなもう一つの旗に描かれていたのは『二輪の桜花』のクレスト、それはすなわちカラティア朝シルフィード王国を示す旗であった。

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