第八十二話 木刃の槍兵 1/2
「ぶっ!」
「な、何をするっ!」
窓から一連の様子を眺めていたニームの背後に立ち、同じく事の次第を見守っていたエスカが、口に含んでいた紅茶を盛大にニームの頭に吹き出したのだ。
「ズ……」
「ズ? ……っていうか、エスカ、あなたハナが出ているぞ、まったくみっともない」
「ハナなんざどうでもいい。そ、それよりよく見ろ!」
「え?」
鼻水を垂らしたままの間抜け顔のエスカが顎で示したのは、今までずっと眺めていた先触れの騎馬兵士である。
その長い槍を背負った女兵士がサミュエルと何かやりとりをしているのが見えた。
「あの槍兵がどうかしたのか?」
「お前、今日はぼんやりしすぎだぞ。とにかくあの槍兵の顔をよーく見ろ。いや、顔を見る必要すらねえだろ!」
ニームは言われるままに、そのアルヴの女兵士を目を凝らして見つめなおした。
「ぶっ!」
「汚えぞ、ニーム。窓にしぶきを飛ばしてるんじゃねえ! まったくみっともない」
「う、うるさい。それより元帥に無許可で悪いが、ルーンを使う」
「え?」
「エスカ。あなたはあいつらがいったい何をしゃべっているのかを聞きたくはないのか?」
「おお、もしや?」
「その『もしや』だ」
ニームはそう言うが早いか精杖セ・レステを取り出した。
リーンともう一人の鞍上の槍兵は相手を見下ろす格好でサミュエルと対峙していた。少尉という階級でしかないリーンにとって、大元帥を見下ろしたままで会話を行うという行為は現在の価値観では奇異に映るが、当時のシルフィード王国では騎乗・着兜(ちゃくとう)のまま使命を遂行する事は先触れだけに許された行為であったという。それだけに先触れの役を一兵卒に任せるなどという事は無く、通常は幕僚級の立場ある者がその任にあてられていた。それも現代とは異なる作法である。
ガルフの場合は階級より何より誰もが知る腹心のリーンを先触れとしたのであるから、近衛軍に対しては最大の礼を尽くしていると言えるだろう。
侯爵家のクレストを掲げた槍兵に興味を持ったサミュエルの一挙一動をリーンは注意深く観察していた。本来なら先触れの顔が既知であろうが未知であろうがさほど気にする者は居ない。階級が高ければ高いほどその傾向があるものだが、サミュエルはその例からは漏れていたと言う事である。そしてそれは同時にサミュエルが未知の者を警戒する立場にあると言う事を白状している行為ともとれた。
(事が事だけに用心深いと言うべきなのだろうな)
リーンは表情を変えずサミュエルに改めて一礼すると、槍兵の紹介をした。
近衛兵のざわめきはさすがに完全に収まっていた。訓練された彼らにして思わず感嘆の声が出てしまったのは、兜をとった際に肩に流れ落ちた槍兵の髪の色にあった。
金と赤の斑髪。その少女はモテアの髪を持っていた。
長く豊かな髪が扇状に眼前の少女の肩に広がったのである。おそらくその場に居た全員が生まれて初めて見るモテア、それも日の光に透けて輝く金と赤と昼星の光が織りなす妙に思わず見惚れたとしてもさもありなんと言うべきであろう。
近衛兵に一瞥を与えてしかるべきサミュエルも一瞬声を失うほど、その少女は見事な髪を持っていたという事である。
「この者は実はキャンタビレイ侯爵家の客人でして、我々がエッダに帰るというと、どうしても名にし負う近衛軍大元帥閣下を一目だけでも拝したいと申すではありませんか。侯爵もさすがにそれは出来ぬと一度は申し上げたのですが、ご婦人は海を渡り遙々遠方より来られた客人でもあり、たっての願いを無下に断り追い返す事はキャンタビレイ家としては如何なものかと考え直した末、何かいい手は無いものかと案じました。そこで私がない知恵を絞り一計を案じたわけでございます。すなわち、キャンタビレイ侯爵と家督権のない『義養子』の縁組を行いました。仮ではございますが作法上は侯爵の娘を名乗れる立場を得て、こうやって先触れの役を負っております。紹介が後になった無礼、なにとぞお許し下さい」
サミュエルは柔和な表情でリーンの話を聞いていたが、紹介が終わると改めて件の槍兵に声をかけた。
「そうまでして私に会いたいとは嬉しい話じゃな。名を聞こう、モテアの娘よ」
騎上の槍兵は相変わらず焦点が合わないようなボンヤリとした表情のまま、サミュエルにぺこりと頭を下げた。
「スノウと申します、ミドオーバ大元帥閣下」
「スノウか。族名も聞いておこう」
「キリエンカ。スノウ・キリエンカと申します。閣下」
「キリエンカ……シルフィードでは聞き慣れぬ族名だな」
サミュエルの記憶に、キリエンカという族名は記されていなかった。もちろん彼にはモテアの少女が口にしたキリエンカという族名が本名かどうかはわからない。しかし少なくとも目の前のアルヴ……いや、耳が細く尖っていないところを見ると、間違いなくデュアルであろうが……の少女が危険な存在だとは思えなかった。背に負う槍の先も一目で木刃とわかる。スフィアが埋め込まれた華奢な柄の細工を見ても、それが戦闘用の武器というよりは観賞用のそれであろうと思われた。
姿を見て名を聞いてもなお、サミュエルにはリーンの「仕掛け」の意図がわからなかった。
思案をしている様子のサミュエルに、リーンは補足した。
「スノウ殿は我が国の方ではなくドライアドはエスタリアの出身です。供を連れ諸国を旅し、見聞を広めているとのことです。話によればキリエンカ家では嫁入り前の娘には必ず一年間、諸国を旅する事を課し、自らの視点を磨かせ、視野を広げさせるのだそうです。なかなか面白い話ではありませんか?」
サミュエルは顎のヒゲに手をやり思案をするような仕草を見せた。
「ふむ。エスタリアでは確かにそのような風習があるように聞き及ぶ。なるほど」
リーンの話はあながち出任せではない。エスタリア地方には現在でもその風習は存在する。もっともそれは親の決めた婚姻に従う事を前提に行われる猶予期間のようなもので、意に沿わぬ結婚を娘に強要する親の詫びとも言える。
与えられた一年という猶予を親元を離れてどう使うかは娘の自由であるが、通常は供、つまり親が選んだ監視役を数名連れて行くのが普通で、完全に自由な旅と言う訳にはいかないようだ。
シルフィードではもともとドライアドのように娘が親の都合で結婚相手を強要されるという風習が存在しない。故にエスタリアのその風習はリーンにとって奇異に思われたが、デュナンの国、つまりシルフィード以外では当たり前の話であった。そして殆どの場合はそのまま親に従うか、さもなくば騒動を覚悟で抵抗するかという選択肢しかない所であるが、エスタリアには執行猶予とも緩衝材とも呼ぶべき風習が存在していたのである。
「スノウがなぜこんなところにいるんだよ? あいつはエスタリアに帰ったはずだぞ?」
エスカはニームを睨み付けるととがめるように言葉をぶつけた。それを受けてニームは小さなため息をついた。
「あなたはバカなのか? 私に聞いてもわかるわけがない」
「お前は賢者だろ? しかも大のつく賢者だろうが? 意味は『すっげえ賢い奴』なんだろ? だったらそれくらいちゃっちゃと答えろ」
「まったくバカ殿の弟だけあって、あなたにもバカの血がたっぷり流れているようだな」
「そのバカがいったい何を考えてるかが問題だろう?」
「悪いがバカの考える事など私にはわからぬ。それよりなぜスノウは親衛隊の兵装をしているのだ?」
「あれは親衛隊先触れの正装みたいなもんだろ。それにしても四連の白野薔薇のクレストを掲げているならまだ話はわかるが……」
「六翅のスズメバチ……。確かキャンタビレイ家のクレストであったな」
トルマの部屋でそんな会話が行われている間にも「現場」では話が進んでいた。
「ほう。これはこれは。あの『白の国』からの客人でしたか。しかし先触れ役などという回りくどい事をせずとも、キャンタビレイ侯爵家の客人であれば喜んでお会いしたものを。それにあなたにはそのようなむさ苦しい格好よりもたおやかな衣装の方が百倍も似合うことでしょう」
サミュエルは人の良い笑顔でそう言うと両手を広げて歓迎の意を表した。騎乗のスノウはそれを見ると慌ててぺこりと頭を下げた。
「お、おろせいります」
「?」
「お、おそれいります」
挨拶を失敗したスノウは、そう言い直すと慌てて再びペコリと頭を下げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます