第八十一話 大葬の朝 2/2

「どうもこうも」

 エスカの質問の内容を聞いたニームは、つまらなさそうにぽつんと答えた。

 その日のニームは平服であった。

 本来ならば大葬に参列はせずとも式典用に用意されたドライアドの特級バードだけが着ることのできる、ある意味名誉な礼服を着用するべきであった。しかしニームの姿はタ=タン大佐でもドライアドの特級バードでも、ましてやマーリン正教会の賢者らしくもない、年頃の娘がよそ行きとして着そうな白いドレス風の出で立ちだった。

「シルフィードらしくない話だと思う」

 少しだけ間を置くとニームは続けた。

「そのような噂が立つ背景が怪しいな」

 エスカはふむ、とうなずくと気のない顔のニームを注意深く、しかしそれとなく観察しながら会話を続けることにした。

「『信義の国、シルフィード王国』としては、か」

 ニームはうなずいた。

「昨日のトルマ・カイエン元帥の話ではないけれど、その噂にはどう考えても陰謀の影を感じる」

「正教会側じゃアプサラス三世の崩御の件については、どういう見解を持ってるんだ?」

 ニームの様子がおかしいのは、正教会から何らかの情報がもたらされたからかも知れない。エスカはそう考えていたのだ。それで話を正教会に持っていき、ニームの反応を伺うことにした。

「正教会に一国の国王の死因についての見解などはない。そもそも私にそういう情報は届かない」

 ニームはそう言うと立ち上がり、窓の下に広がる光景に目をやった。

 特におかしな反応はない。正教会という言葉に取り立てて感情が波打つそぶりもなかった。

(外れか)

 原因と思われる「元」の候補が一つ減ったエスカは次の手を考える必要があった。

「とはいえ、だ。言われてみればこの件について賢者会の誰からも、私に対して一切報告がないのは不自然かもしれない」

「そうか」

「うむ。まあ私は大賢者となってわずか数日でヴェリタスを出たわけだからな。彼らにしてみれば存在しないのと同じ事なのだろう。それにそもそもヴェリタスには有能な大賢者がいる」

「有能な大賢者ねえ」

三聖蒼穹の台の守護の者だ。縁があればあなたと相見(あいまみ)える事もあるかもしれない」

「《蒼穹の台》ねえ」


 その後は少し沈黙が続いた。

 さすがに元帥の部屋である。眺めは良い。窓からは王宮前の広場が手に取るように一望できた。

 おそらくトルマはこの展望もあってエスカにこの部屋に留まるように勧めたのであろう。参列できずとも大葬の一部始終を見渡せる特等席と言えた。

 いや、出席するよりもむしろ全体を把握しやすい場所と言えるだろう。

 ニームが立ち上がり、その窓のそばに寄ったのには実はわけがあった。窓の下、つまり広場に変化があったのだ。その大葬の会場である広場、俗に王宮前広場と呼ばれるエッダ中央広場には、まさに今ちょっとした緊張が走っていたのである。

 部屋で大葬の儀式が始まるのを待っていた二人の前で、式次第に載っていない、ある儀式が執り行われようとしていた。


 開放的な王宮前広場にしては珍しく、その日の広場は物々しい警備兵に完全に封鎖された状態であった。一般の人間はもちろん一切立ち入り禁止であり、新しい国王の姿を一目見ようと集まった群衆は、武装した近衛軍兵士が三重いや四重に固める包囲陣の外側で儀式が始まるのを今や遅しと待ち構えていた。

 方や物々しい警備陣の内側、つまり広場中央には一個中隊規模の兵士が王宮を背にして一糸乱れぬ見事な列を作っていた。

 シルフィード近衛軍の隊列の美しさはファランドール中に知れ渡っていたが、エスカは実際にそれを目にするのは初めてだった。

「聞きしに勝る隊列だな」

 自身も立ち上がってニームの背後に立つと、眼下の様子を眺めながらエスカがそう呟いた。

 その隊列にはニームも感心したようで、エスカの言葉に素直に反応した。

「実は奴らは全てルーンで動くからくり人形なのだと言われても信じてしまいそうだな」

 そう言った後で、小さなため息を一つついた。


 だがその場に訪れた変化は、見事な隊列に微妙な乱れを生じさせていた。

 それは闖入者の存在である。

 広場正面に革の鎧兜に身を包んだ二騎の騎馬がそれぞれ旗を掲げ、並足で近づいて来ていた。

 一騎が持つ旗は黄色い四翅のスズメバチ。外国人であるエスカもよく知っている、有名な親衛隊旗である。

 そしてもう一騎が持つのは赤い六翅のスズメバチの旗章。すなわちキャンタビレイ侯爵のクレストであった。

 六翅のスズメバチのクレストと四翅のそれが列んで掲げられていると言う事はつまり、キャンタビレイ大元帥自らが率いる親衛隊がエッダに到着した事を示していた。親衛隊旗のみの場合は大元帥は同道していない事を示すのである。

 通常の部隊であれば、エッダの町の城壁の外で近衛軍の出迎え、つまり検察を受ける事になっているが『親衛隊』だけは無条件でエッダの城壁を通過することが許されている。親衛隊を検察できる権限を有しているのは王宮の入口だけなのである。

 エッダ広場中央の近衛軍の隊列は一瞬崩れたように見えたが、すぐに川の流れのような秩序を取り戻し、軽く五百名を超える兵がその二騎の先遣の行く手を塞ぐような壁を構築した。


「ある意味、これは主役の登場の前触れと言えるな。先ほどの噂話の」

 ニームの言葉通り二騎の騎馬は先触れであり、部隊が程なく王宮に到着することを告げに来たのである。

「来るとは思っていたが、ギリギリかよ」

「私は来ないと思っていた」

「そうか。どっちにしろいよいよ噂の真相がわかるわけだな」

 エスカはそう言いながら夕べのトルマの言葉を思い出していた。

 彼自身が決めた「自分の往く道」を具体的に聞けたわけではないが、おそらくそれを含め全ての鍵を握る事になるのはガルフ・キャンタビレイ大元帥の出方次第であろうと思っていたのである。

 つまり、彼が舞台に上がらなければ他の役者が動き出せないと言う事である。だからこそエスカはガルフの登場を確信していたのである。ガルフ自身が物語の登場人物であるならば、舞台を放棄するわけがないのだ。


 先遣の騎馬の到着を受けた近衛兵のうち、いわゆる槍兵と呼ばれる者達が彼らの眼前に長く厚い壁を作った。その壁が築き上げられた後、間を置かず広場中央から一人の人物がゆっくりと進み出た。

 それは白っぽい近衛軍の軍服に、特徴的な頭頂部の長い精杖を手にした初老のデュナンであった。

 近衛軍大元帥であるサミュエル・ミドオーバ。

 彼が「壁」に近づくと僧兵で築かれた壁に扉、いや隙間ができた。中央にぽっかりと空いた通路をゆっくり歩いて、彼は先遣の二人の騎兵の前に歩み出た。


「これはミドオーバ大元帥閣下、お久しぶりでございます。お元気そうで何よりですな」

 四翅のスズメバチの旗を掲げる先遣兵の一人は革兜を脱いで一礼すると、騎乗したままでそう声をかけた。

 槍兵の正体は誰あろう、ガルフ・キャンタビレイの腹心。リーン・アンセルメ少尉であった。

「それにしても大葬とは言え、やけに物々しい検察ですな」

 リーンは額に手をかざしてわざとらしく広場を見渡す振りをするとそう続けた。

「大葬だから、と言っておこう。なあに、見せ物の様なものじゃよ。他国の要人がいらっしゃる手前、形だけでも整え、かつ大仰な警備体制を敷いておく振りをしておかねばな」

 サミュエルは騎馬兵の一人の正体は既に知っていた。同時にリーンが自分に対して胸襟を開かぬ人間であることも。もっともそれはお互いに織り込み済みと言えるもので、取り立ててここで何かが違うと言う事ではなかった。違うのはリーンが手に持っている旗の種類である。サミュエルはそちらの方がむしろ気になっていたのである。

 つまり、普段ならばリーンが持つはずの六翅のスズメバチの旗章を持っているもう一人の騎馬兵の存在である。

 おそらくはリーンの「仕掛け」であることは間違い無いと思われた。だがその仕掛けが今の段階ではサミュエルには見当が付いていないのだ。

 とはいえサミュエルの言葉には戸惑いや敵意などはまったく感じられない普段通りの落ち着いたものであった。

「なるほど。『振り』ですか」

 リーンは軽い嫌みともとれる口調で『振り』を強調すると槍兵の外側にいる弓兵を一通り眺めると軽い嘲笑のようなものを浮かべて見せた。

 サミュエルはリーンのその表情を見て少しだけ顔を強ばらせたが、それはほんの一瞬の事で、すぐに元の柔和な顔に戻ると話題を転じた。

「時にリーン。我が盟友にして賢兄、ガルフ・キャンタビレイ大元帥は息災か? ノッダの気候は持病に辛かろう。後で神経治療に秀でたハイレーンを向かわせると伝えておいてくれ」

「それは我が主も喜びましょう。このところ毎朝のように腰をさすって辛そうにしていらっしゃいます故」

 四翅のスズメバチの親衛隊旗を掲げた騎上のリーン・アンセルメはそう言うと、初めてにっこりと笑って見せた。

 サミュエルは満足そうに彼に対しうなずくと、今度は視線をもう一人の騎馬の兵に向けた。

 六翅のスズメバチの侯爵旗を持つのは背中に長い槍を背負った槍兵で、革兜のせいで顔はわからなかったが体つきからまだ若い女のアルヴのようだった。どちらにしろその槍兵はサミュエルの既知の者ではないのは確かで、その人物自身がリーンの仕掛けであると判断していた。

 どういう仕掛けをしてきたのかは知るよしもないが、それならその仕掛けに素直に乗ってみようと決めたようで、サミュエルは革兜を被ったままのその槍兵に声をかけた。

「侯爵のクレストである六翅のスズメバチの旗章をリーン以外の人間が掲げるのを見るのは初めてだが、そなたは親衛隊の者か? できれば顔を見せて欲しいのだが?」

 サミュエルの問いかけには答えず、その槍兵はゆっくりとリーンに顔を向けた。判断を下すのはリーンなのであろう。少なくともサミュエルは謎の槍兵が独断でこの場を支配するような存在ではないと判断した。

 リーンがうなずくのを見て、件の僧兵はようやく顔全体を覆っていた革の兜(かぶと)を脱いだ。

 そこに現れたのは、サミュエルが想像していた勇猛な女兵士からは、およそもっとも遠いところにいるような戦意のかけらも感じられない、ぼんやりとした表情のまだ若い女アルヴだった。

 いや、アルヴではない。女の瞳は緑ではなかったのだ。

 兜を脱ぎさると同時に、中でまとめていた長い髪がふわりと広がり落ちた。それはさながら大輪の落花にも似た様で、近衛兵の口からはため息とも感嘆ともいえる声が一斉に漏れた。

 素顔を見せた槍兵はどよめきにも何の反応も示さず、さらに言えば視点が定まっているのかどうかすらわかりづらい顔をリーンからサミュエルに移した。

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