第八十一話 大葬の朝 1/2

 史実ではガルフ・キャンタビレイ王国軍大元帥とリーン・アンセルメ少尉は、アプサラス三世が崩御した後、二週間の間は首都機能整備中のノッダから一歩も離れていないことになっている。

 そもそもその当時の首都エッダではそれが問題となっていた。

『親衛隊』が治安確認の為にノッダ近郊に数日間出動したという記録はあるが、ノッダ側の大きな動きはそれだけである。

 その証拠に、ガルフは毎日のようにやってくるエッダからの使者に謁見しており、なにより公文書に対しては自筆で返書を行っている。

 そもそも現存する使者達、つまりエッダの役人の日記には、その当時のキャンタビレイ大元帥との謁見の様子などが事細かに書かれたものが存在している。そしてそれは一つや二つではないのである。

 ただしアプサラス三世崩御の数日後にノッダを訪れた使者の報告書には、謁見が叶わなかったという記述がある。いわゆる空白の二日である。報告書の文章は実に単純で

「ノッダ最高司令官(キャンタビレイ大元帥)過労との由。我、謁見叶わず」

 とあるだけである。

 この二日間の間に起こった出来事がバランツ付近でのミリア・ペトルウシュカ達との遭遇であったと正確に記述する資料はもちろん存在しない。

 だが、少なくともサミュエル・ミドオーバとその息のかかった者達は六翅のスズメバチのクレストを掲げた快速馬車がバランツ付近に迫っていると言う情報を握っていたのは間違いのないところだと思われる。

 少なくとも哨戒の為に「蛇使いのアヨネット」ことクリヨン・アヨネット中佐が中隊を率いてわざわざバランツくんだりに出向くことはあり得ない。

 そこには何かの意味があったと考えるべきで、それ相当の相手を迎撃する為であったと考えるのが自然であろう。そしてその「それ相当」とおぼしき相手をその当時のシルフィード近衛軍の諜報部は把握していなかったことは記録からほぼ間違い無い。後に近衛軍大元帥サミュエル・ミドオーバの勅命でアヨネット中隊が動いたことが問題になった事からもそれは近衛軍という組織が決めた作戦ではなく、サミュエルの独断で行われた出兵なのである。

 ともかくこの件については史実は実に簡潔な事柄しか残してはいない。

 ガルフ・キャンタビレイ大元帥がエッダに帰還したのは星歴四〇二六年、黒の一月最初の双(なら)び朔日。つまりアプサラス三世の大葬当日であった。

 それだけである。


 その大葬前のエッダには不穏な噂があった。

 アプサラス三世の急逝という衝撃は様々な噂を産み、ガルフがエッダになかなか姿を見せないという事実は、その噂に尾ひれを付けて一人歩きさせる原動力になったのは間違いない。

 要するにシルフィードはかつて無いほどに浮き足立っていたという事が言えるだろう。

 その中にカラティア朝シルフィードの歴史上きわめて珍しい噂が一つあった。

 噂の内容はガルフ・キャンタビレイ大元帥が何者かと組んでシルフィード王国の実権を握ろうとしている、というものである。

 もちろん噂の発生源、すなわち背景になる出来事が、あるにはあった。

 エッダとノッダという二大都市を結ぶ陸の大動脈、ラクジュ街道にはバランツという軍の簡易補給基地が置かれた宿場があった。現在のバランツ大斎場はその町の焼け跡に立てられたものである。

 そのバランツが何者かに襲われたという情報を受けたクリヨン・アヨネット近衛軍中佐率いるバードを擁した中隊は急ぎ防衛に向かったが、善戦むなしく全滅。

 それだけではない。あろう事か非戦闘員である村人全員が「敵」の手により惨殺されたという大事件が、キャンタビレイ大元帥陰謀説に効果的な彩りを付けていたのである。

 すなわち夜陰に紛れてガルフ・キャンタビレイの軍隊がエッダに侵攻しようとしたが、それを察知した近衛軍がバランツで迎え撃ち、命を賭してこれを阻止。最後の一兵卒まで戦い抜き、キャンタビレイの親衛隊に大打撃を与え撤退を余儀なくさせてエッダを守りきったというものである。

 そう。

 エッダでは『蛇使いのアヨネット』ことクリヨン・アヨネット近衛軍中佐は名誉の死を遂げた英雄だと称えるものもいたのである。

 しかしノッダから帰った使者は、エッダ警護兵からその噂を聞くときょとんとした顔をした後でその噂を一笑に付したと言う。

「私はその翌朝、遠く離れたノッダの地で親衛隊全員が見守る中、大元帥閣下に謁見したのだぞ? その場で署名を頂いた文書を今ここに携えているのだ。お前達、このような時期に滅多なことを口にするものではない」


 スズメバチ、すなわち親衛隊全員がノッダに居たという目撃証言は重要である。

 バランツからノッダへは、どんなに速い馬を使っても三日近くはかかる距離である。少なくともバランツ事件があった翌朝にガルフがノッダで使者に会う事など不可能であった。バードも含む五十人もの兵を全滅させるほどの戦力を持つ軍隊が、一夜でノッダへ帰ったという設定はどう考えてもムリがある。さらに言えばクリヨンに「大打撃」を与えられたはずの「親衛隊」が全員傷一つ無く健在である事は噂そのものを否定するのに十分な状況証拠と言えた。

 バランツの一件がキャンタビレイ大元帥本人が手を下したものではなさそうだとなると、今度はエッダの中に国家転覆を謀る者がいるという別の噂が生まれた。もちろんそれはノッダのキャンタビレイ大元帥に通じた者、つまり息のかかった配下の仕業だというのである。



「お前はどう思うよ?」

 エスカ・ペトルウシュカは、王宮にあるトルマ・カイエン元帥の執務部屋に繋がる寝室で長椅子に腰掛けていた。

 右目の怪我から来る発熱も治まり、もうすっかり元気な様子のエスカであったが、右目の包帯はもちろんそのままで、すべてが元通りというわけではなかった。

 エスカは右目を負傷した大葬の前夜から、そのままトルマ・カイエン元帥の部屋に留まる事になった。


 マルク・ペシカレフの例の事件はドライアド側にちょっとした人事の変更を余儀なくさせた。

 大葬にはフェルン・キリエンカを代理に立て、エスカ自身は欠席する事になった。

 表向きは怪我が原因の発熱によるものであるから、自己管理能力の欠如と捕らえられる。立場上は明らかに減点対象であり大きな失策ではあったが、少なくとも名代自身は出席するわけであり、この人事は対外的には何ら問題はないと言えた。

 そもそもその診断を行ったのはシルフィードの医師なのである。これ以上筋が通る話もないと言うものであろう。

 一方エスカ付き幕僚長であるニーム・タ=タン大佐も同様に参列を控えた。

 体調には問題のない彼女の場合は単純にニーム自身の都合である。エスカの側を離れたくないと頑として譲らなかったので、シュクルは医師に含ませて「感冒」と嘘の診断をマルク・ペシカレフ名代宛てに提出させて取り繕うことにした。

 もともとマルクの件があろうと無かろうと彼女の場合はエスカの横が定位置である。さらに幕僚長としてだけではなく、非公式には側室であることは少なくともドライアド王国の名代随行のお歴々には既に印象づけられていたので、誰しも気持ちでは当然の事と認識した事であろう。事実、ニームの件が問題視される事はなかった。

 どちらにしろニームが大葬に参列しないという事実は結果としてマルクにとってはエスカにもニームにも顔を合わさずに済む事であり、心情的に実にありがたい話であった。彼は二つ返事で二人の参列欠席を承諾し、珍しい事に見舞いの言葉まで伝えたという。

 彼にしてみれば重圧を感じずに式に出る事で感謝の一言も言いたかったのであろうか。

 そのニームの代わりにはリンゼルリッヒとジナイーダの二人がバード庁の代表という名目をもってあたり、名代補佐であるフェルンをさらに補佐する形になった。


 一方でエスカ達を預かる形になったトルマは彼が信頼する人間を二人の世話役としてあてがい、食事や雑事についても二人は不自由の無い環境を得ていた。エスカの代理として大葬に出席し、マルク・ペシカレフの面倒も見なければならないフェルンには彼らの世話までは無理であったし、そもそも王国軍元帥の部屋に他国の、それも軍の人間を泊める事自体が問題なのである。さらにそこに他国の人間を自由に出入りさせて身の回りの世話を任せる事など出来るわけがなかった。


「ニーム?」

 エスカは返事をしないニームを不審げに振り返った。そこにはぼんやりとうつむいてしっかりと組んだ自分の手を見つめているニームがいた。

「どうした、ぼんやりして? お前らしくないな」

「え?」

 まるで操り人形のような動きで、ニームがゆっくりと顔を上げた。

 その日のニームは、エスカが目を覚ました時からこんな調子だった。ともすれば何かあらぬ事に思いを巡らしているようで、まるで心ここにあらずと言った風情だったのだ。

 少なくともエスカはそんなニームの姿を見るのは出会ってから一度たりとも無く、そこに妙なものを感じていた。


「すまぬ。何の話だった?」

 少し腫れぼったい目をしたニームがそうたずねた。微笑みはない。その白い顔がいっそう白く見えた。

「参ったな」

 エスカは頭を掻きながらも、しかしそれ以上ニームの状態を問いただすようなことはせずに今投げたばかりの質問を繰り返した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る