第八十話 黒猫の飼い主 3/5

「いつも思うんだが」

「何だい?」

「お前さんと話していると、クロス・アイリスという存在をここに封じたクレハの気持ちが実によくわかる気がするよ」

「ふむ。僕には到底理解が及ばないが、君にはわかるというのかい?」

「聖人クレハに一度も会えなかったのが実に残念だ。まさかとは思うけど亜神の男はみんなお前さんみたいな会話をするわけじゃないよな?」

「論より証拠だ。現存するもう一人の亜神の男、イオス・オシュティーフェと話してみればいいじゃないか。もっとも君のような怪しい存在は彼に出会った瞬間に灰にされるだろうけどね。僕と違って彼は不言実行を地で行く亜神だから」

 クロスの言葉にセッカは身震いした。

「イオスに会うのはごめんだね。お前さんですら怖がってる相手と私がまともにやり合えるわけがない」

「じゃあ、もう一人の亜神に会えばいい」

「え?」

「クレハをスフィアに変えたのはタ=タンの小娘などではない。亜神だ」

「人間……いや亜神をスフィアに変える? そんなことが出来るのか?」

「そんなことが出来るのは人じゃない。亜神だけだよ」

「イオスの仕業じゃないのか?」

「君はイオスを全くわかっていない。彼がそんなことをするものか。彼なら一瞬たりとも迷うこと無く灰にかえるだろうね。そうなっていたらここの結界は文字通り消え去っていたところさ」

「お前達の他に亜神の生き残りがいるって言うのか? スフィアに変えたのは、あのタ=タンの小娘じゃないのか? あいつも人間とは思えないほどのエーテル『倉庫』だぞ」

「そこは僕としても驚きの事実なのさ。君の言うとおり、不思議な事にクレハの娘でもあるタ=タンのあの子は人間のくせに亜神であるクレハの特性をかなり受け継いでいる特殊な『合いの子』だけど、それでも人間には違いない。亜神の肉体そのものをエーテルに還元した上でスフィアに変成するなんていう『神業』は使えないさ」

「亜神の生き残り……イオスはその事を知っているのか?」

「知っていたかどうかはわからないけど、現時点では彼も僕同様、もう感知しているはずだよ。どちらにしろ、君にはその亜神を連れてきて欲しいのさ。この場所にね」

「わかった」

「アヴスルータ(終末)は本来四聖の総意で使うべきものなんだ。だからそれを使う前に、最後の亜神の意思を一応知っておきたい。返答によっては僕の子供達の行く末を見守る必要もなくなるだろう」

「子供達? まさかお前さんに子供が居るのか、クロス?」

「君の言う子供という言葉の定義を遺伝子的な繋がりのある第二世代を指すとしたら、その質問の回答は過去形になる。つまり『居た』さ。しかし君、僕が今言った子供というのは君の考えるものとは違って比喩表現としての子供さ。具体的には僕が本を託した四人の事だよ」

「本?」

「知らないのか? 文字が書いてあって……」

「――本の定義はいい」

「なんだ、いいのか」

「いい。それよりその話は初耳だな。『本』て何だ?」

 セッカの問いかけに、クロスは手を伸ばすと、脇から一冊の古ぼけた本を取り出して見せた。

「これだよ。正確にはこれの写本と言うべきだけどね。これを読んだ人間が、果たしてどういう行動をとって僕を楽しませてくれるのか……そう思って作った本さ」

 クロスはそう言うと、皮装丁の分厚い本を開き、そしてすぐに閉じた。

「『合わせ月の夜』……?」

 本の表題をセッカが声に出して読んだ。

「合わせ月の仕組みについて解説してあるのか?」

 セッカの質問に、しかしクロスは首を振った。

「そんなことを書いてもどうしようもないじゃないか。これは歴史書さ。ただし普通の歴史書じゃない。これは事実しか書かれていない歴史書なんだよ、セッカ」

「事実ねえ。誰も知らない事を事実と言われても信じてはもらえないだろ?」

「読み手の真実と本に書かれた事実との違いを、読み手がどう吸収し、行動に生かすか。それこそが書き手の意図というやつだよ、セッカ君」

「書き手って、お前さんの事だろ?」

「そうとも。これは退屈の中で死んでいく事に飽きた僕が、いまわの際にちょっとした楽しみが欲しいと考えて思い立った余興だよ。この台本を手にした人間が、いったいどんな寸劇を見せてくれるのかと思うと少しは気が紛れるんじゃないかと思ったのだよ」

「そんな本が流布したら混乱する奴もいるだろうな。でも、そんなものを見てお前さんは楽しいのか?」

「いや、流布などしないよ。読むことが出来るのは四人だけだ」

「と言うと?」

「そんなことが出来ないような仕掛けを施してあるからだよ。それに、知っている人間が居ないという背景こそがこの遊びの重要な点なのさ」

「なるほど。でもそんな怪しげな本なんて、読んでも普通は無視して終わりだろ? お前さんが喜ぶような事をしでかす可能性は低いんじゃ無いか?」

「セッカ、君はその点で僕に抜かりがあるとでも言うのかい?」

「お前さんの性格の悪さなら、それにも何か仕掛けがあるんだろうな」

「僕の性格の悪さについての君の感想はこの際無視して話を続けると、行動を起こすに違いないと僕が目星を付けた人間に渡した、と思ってくれればいいだろう」

「ふーん。お前さんに目を付けられるとは、実にかわいそうな連中だな。冗談は抜きにして、心から同情させてもらうよ」

「まあ、そう言うわけでね。もう二十年も前になるかな。当然ながら僕がここに封じられる以前の話だからね。僕は当時この計画に夢中でね。ファランドール中を散歩しながら、面白そうな人間をなんとか四人見つけ出して、この本を手渡した。もちろんただ手渡すだけじゃなくてちゃんと宿題を伝えておいたよ。その宿題の提出期限がついにやってくる」「それはいつなんだ?」

「もちろん『合わせ月』だよ」

「なるほど」

「まあ、もっとも一人は既に提出を終わっているよ。この本はその子の本さ」

「へえ。そいつの答案はどうだったんだい? お前さんを楽しませてくれるようなものだったのか?」

 セッカにそう問われると、背表紙に書かれた表題を指でなぞりながら、クロスは少し寂しそうにつぶやいた。

「いや。少なくともあまり愉快な答えではなかったよ」

「そうか。これは私の興味本位から尋ねるんだけど、宿題とやらを提出したそいつは今どうしてるんだ?」

 セッカの問に、その日初めてクロスは微笑を浮かべた。

「解答としてはある意味で素晴らしいものだったけど、いくら素晴らしくても正解でないと合格はできないね。さらに言えば知ってか知らずか出題者の意図を完全に無視して私欲へとまっしぐらに進むものだったからねえ。いくら僕が寛大な亜神でも、限度というものがあるんだよ」

「なるほど。じゃあ……」

「うむ。僕の食事に取り立てる事になったよ」

「あちゃー」

「文字通りで受け取っちゃいけないよ」

「なんだ。違うのか」

「比喩という言葉を君は知る必要があるね。どちらにしろ僕が自ら手をかけてあげたということだよ。人間にとっては名誉なことだろう?」

「まあ、お前さん達にとっちゃそうだろうな。残るは三人って事か」

「いや、二人だよ」

「二人?」

「もう一人は途中棄権したようだね」

「棄権?」

「事故か、誰かに殺されたか。どちらにしろクレハの結界が消える寸前に、その子の気配が消えた」

「死んだという事か? まさか……そいつはクレハと関係があるのか?」

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