第七十五話 ニームの誤算 1/5

 トルマ・カイエンはシルフィード王国の海軍元帥の一人である。

 シルフィード軍としては、重鎮中の重鎮で、政・軍一体政治のシルフィードにおいては一国の中枢を担う程の存在と言えた。

 海軍生え抜きで、艦隊の布陣戦術論にかけては一家言を持つ人物である。歴史に名を残す多くの人材を育て上げた事でもよく知られている。

 ただ「月の大戦」前夜には老齢により第一線を退く事が噂されている段階であった。

 一般には「縄張り意識が強い石頭」という風評が流れており、近衛軍とは反りが合わないのは当然として、同じ王国軍の陸軍の同僚とも冷めた関係であったという。

 会議などではカイエン元帥を如何に丸め込むかが焦点になる事も多く、要するにお歴々からは相当に煙たがられていた存在と言える。

 逆にガルフ・キャンタビレイ大元帥に対する忠誠心は相当のもので、ガルフもまたトルマの公明正大な人となりを信頼していたので、二人の関係は良好と言えた。

 ガルフ不在のエッダにあってアプサラス三世の崩御を深く嘆き悲しんだ事は想像に難くない。かねてよりの持病もあり、しばらくは床から起き上がれない状態が続いた。

 そんな彼がようやく王宮に出仕した時には、元帥会議の雰囲気ががらりと変化している事を知って愕然とした。

 簡単に言えば、いわゆる近衛軍側の勢力に王国軍側が完全に押さえ込まれていたのである。

 それまでは元帥会議には純粋に元帥である人間しか出席出来ない事になっていたが、国王の勅命という事で、大将が出席することが許されていた。

 表向きは国王が変わった事によって生じた山のような業務を効率的にこなすため、と言う事であった。確かに元帥会議にはノッダの総領事として赴任した為、王国軍大元帥であるガルフの不在が長く、決定機関としての処理能力が低下はしていた。さらに言えば、アプサラス三世と違い、新国王のイエナ三世は父親の急逝にまだ正気を取り戻しておらず、会議には一度だけ出席して形式ばかりの挨拶をしただけだという。国王の判断も仰げず、とはいえ処理する業務は増えるばかりとなると、処理に当たる人間を直接会議に加えて効率化を図るという判断には異議を唱える隙はないように思えた。

 しかし、トルマが目の当たりにしたのは、近衛軍の人間に完全に掌握された会議の実態であった。

 そもそも近衛軍と違い、王国軍の大将の多くは来るべきドライアド対策として、国内の各地の軍備増強のためにエッダを空けていたのだ。

 トルマにとって不運だったのは、彼が出仕できなかった期間に、新しい元帥会議運営などの骨子が既にできあがっており、それによって最重要とも言える議題が決定されていたことであった。

 もっとも変わったのは、会議の進め方である。

 以前は国王の前で懸案が議題として報告された後、参加者であり評議者でもある元帥達が意見を言い合い国王の意見を仰いだ上でさらに議論を重ね、合議の上元帥会議として納得したものだけを決定事項としていたのだが、新体制では会議はただの報告の場と化していた。

 多くの議題は会議の前に根回しによって既に決定されているようなもので、元帥会議はほぼ形骸と言って良かった。

 多くの場合、議長役の近衛軍元帥が議題を読み上げた後、おきまりの台詞を告げる。

 すなわち、

「以上の懸案については、既にご承知おきの通り処理すべく手配済みである。これには国王陛下の血書を頂いており云々」

 等である。


「これは一体どうなっておるのだ」

 久しぶりに出仕したその日、トルマは余りに様変わりした会議の進め方に椅子を蹴って立ち上がると、大声で吠えた。

 もちろん、同僚である他の王国軍元帥達になだめられその場は納まったが、会議後トルマは陸軍元帥であるラオカ・ゾスを捕まえると、とって食おうかという形相で事の次第を問い詰め、その変化の経緯を聞かされたのである。


 事の次第を了解したトルマは、自分の不徳を恥じた。

 と言うのも、自宅で伏せっている間にそれほどの変化があったのであれば、その事について知らせてくれる仲間が一人もいなかった事実を、同時に知る事になったからである。

 旧元帥会議においても、自らの主義主張を曲げぬ態度を貫こうとするトルマは既に浮いた存在であったのだ。その事を本人も多少なりとは自覚はしていたため、引退の時期を模索していたところだった。その前に一度ガルフにあって相談し、決定しようと思案していた。そこへアプサラス三世急逝の報が舞い込んできたというわけである。

「会議を強引に止めようとするものは、議長権限で退席を命じられる」

 ラオカにそう釘を刺されたトルマは、自分がシルフィードの国政から「外された」事を告げられたようなものだった。

「イエナ三世国王陛下直接の命ですからな」

 大元帥サミュエル・ミドオーバが、国王直筆の命令書を皆に示したと言う。

「今はシルフィードにとってのいわば一大事。暫定的ながら様々な変化があるものですよ、カイエン殿」

 そう言ってトルマの肩を叩くラオカの顔は、何かを言いたげに曇っていた。

 そしてその曇った顔の訳もすぐにわかった。

 それは王国軍の元帥達が会議でほとんど壁のように無言で存在感がないという状況に通じていたものである。

 アプサラス三世の病死疑惑と、それに関連した一連のガルフに対する不穏な噂がそれであった。

 知り得た限りの情報をトルマ自身が見ても、ガルフ・キャンタビレイ大元帥の動向には首をかしげるところが少なからずあった。

 大元帥とはシルフィード王国にとっては国の要である。各省庁の上部組織である元帥会議をまとめるべき立場であり、かつ会議の結果の拒否権すら持っている人物。それが大元帥なのだ。

 現在、二人いる大元帥のうちの一人が存在しない会議は、もう一人の独裁下に置かれる可能性がある。大元帥同士にどれほど信頼関係があろうと、国王崩御の報を受けた直後に王宮にはせ参じなければならない立場である。信条や感情よりもまず、組織への示しがつかない。

 エッダ入りしない公の理由が重度の体調不良という事もトルマは信じていなかった。ガルフには腰痛の持病があったが、それを移動できない理由にするにはいささか無理がある。

 さらに妙な噂に拍車をかけたのが、いわゆる「バランツ事件」と呼ばれる「蛇遣いのアヨネット」率いる近衛軍の中隊が村人ともども全滅していた凄惨な出来事の犯人の正体である。

 もちろん正体など判明してはいないのだが、「大元帥に二心あり」という噂に蓋は出来なかった。

 トルマはもちろんその噂は端から信じなかったが、そのような噂がシルフィードの重鎮達が囁く事に危機感を覚えていた。

 近衛軍と王国軍、海軍と陸軍、元帥同士、それぞれが反目し合うのはシルフィード王国の上層部の常ではあったが、それは全てお互いの信頼と守るべきものが同じという目的とが一致した一枚岩の上に立った価値観の齟齬によるものだと思っていたのだが、どうやらここへ来てその一枚岩が揺らぎ始めているのを感じざるを得なかった。

 そこまで来ると、トルマは噂とは逆に一つの疑惑が生じるのを禁じ得なかった。ガルフはエッダに来ないのではなく、来る事が出来ないのである。そしてガルフを悪者にする事で利を得るものは誰なのかを考えると、あまりにも単純な構図に愕然とした。

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