第七十五話 ニームの誤算 2/5
トルマは晩餐の宴に顔を出すのは気乗りがしなかった。
体調があまり優れない事も理由の一つだったが、晩餐の宴の直前まで行われていた元帥会議で内定した議題の事を考えると、虎視眈々とシルフィードの内実を探ろうとして手ぐすねを引いている参列者達と言葉を交わす気にならなかったのだ。
そもそも、晩餐の宴で自分に付けられた護衛が気に入らなかった。
王国軍所属の者ではなく近衛軍のアルヴの将校が二人である。
晩餐の宴に参加できるシルフィードの人間が佐官以上と決められていた。それは護衛であっても例外ではなく、通常トルマの補佐官を勤めている二人の尉官は、迎賓館の控えの間で宴の終わりまで待たされる事になっていた。
ばかばかしい会場の喧噪からしばし逃れ、セレナタイトで照らされた中庭の見事な夜花でも眺めて考えをまとめようとテラスに足を運んだトルマは、そこで二人のデュナンの男女が仲むつまじく口づけを交わしている場面に遭遇することになった。
さすがに忌ま忌ましさがこみ上げた。
晩餐の宴とはいえ、翌日に大葬を控えた晩である。男女が睦む場所としてはふさわしいはずがない。
これがアルヴ系の人間であったら、絶対にあり得ない光景であった。さらに言えばシルフィードの人間がとる行為ではなかったのだ。
つまり、二人のデュナンは他国の人間だと言う事は瞬時に判断ができた。
賓客相手に騒ぎを起こしてしまったとあってはシルフィードにとっても、もちろん立場が微妙になっている自分にとっても得になる事は何もなかった。
トルマは喉元までこみ上げた相手に対する怒りと侮蔑の言葉を飲み込むと、別のテラスに向かうべく、無難な言葉をかけてきびすを返した。
だが、即座にぶしつけな態度を詫びるとともに正確な名前で相手を呼び止めた人物に対して、トルマは興味を持った。
彼はあてがわれていた近衛軍の補佐官にその場を外すように命じた。テラスに三人だけの状況を作ろうとしたのである。だが、ふと何かを急に思いついたようで、背中を見せていた補佐官を呼び止め、ある人物を呼ぶように伝えた。
声が小さく、エスカにはその人物の名前までは聞き取れなかった。
「ご挨拶が遅れました。私は」
「いや、けっこうです」
自己紹介をしようとしたエスカを、トルマは制した。
エスカとニームは同時に顔を見合わせた。
「いや」
トルマは柔和な顔を作ると、補足した。
「こんな夜です。名前を聞いてしまってはいらぬ先入観であなたの言葉の持つ本当の色までが闇に解ける」
その言葉に、エスカも表情を少し崩した。
「御意」
エスカは素直に従う事を決めると、即座に微笑んで礼をした」
「失礼ながら、奥方はかなりお若いようですな」
「ええ」
エスカはニームに微笑みかけてから、トルマにうなずいて見せた。
「妻はアルヴィンの血が入っているデュアルです。そのせいで実際の年齢よりは少し幼く見えますが成人にはなっておりますから、妻としては特に若いという程でもありません」
「そうでしたか。アルヴィンやダーク・アルヴが多いシルフィードではあまり気にも留めませんが、デュナンの国ではすこし珍しいのでつい興味本位でおたずねしたまで。たいへん失礼をいたしましたな」
トルマはそう言うとニームに向かって丁寧に頭を下げた。
ニームはトルマに会釈した上で、改めてスカートの裾をつまみ上げ優雅な挨拶を返した。
「お気遣い痛み入ります。夫は私を妻と呼んでくれましたが、実のところ私は側室です。その点、お含み下さいませ」
トルマに対し、ニームはそう言って妙な挨拶をした。
「ほう」
トルマはさすがに少し面食らった。
自分から側室だと名乗るばかりか「間違うなよ」と念押しまでするニームにとたんに興味を覚えた。
女癖の悪いデュナンが、気に入った子供を身の回りの世話役としてわざわざ外遊に同行させ、いいようにもてあそんでいるだろうと決めつけて心の中で鼻を鳴らした第一印象は綺麗さっぱり消え失せていた。
焦げ茶色のそれほど長くない髪と茶色い瞳はデュナンそのものだが、よく見ると顔立ちはアルヴ系によくある整った造形で、無表情の時の作り物のようなたたずまいはアルヴィンの血が入っていると言われるとなるほどと思えるものだった。瞳が緑色で耳が少し尖っていれば、その小柄さもあって確かにアルヴィンと言われても納得してしまうだろうと思われた。
「これも興味本位で申し訳ないのですが」
トルマはそう言うと二人を見比べた。
「正室にあたる方はご都合でもお悪いのですかな?」
そう言うとトルマはわははと声に出して笑い、頭をかいて見せた。
「この年になってもそういう事には興味津々の俗なジジイで申し訳ない」
ニームはトルマの笑い声に、少しだけ表情を崩した。その笑い声に敵意や警戒と言った背景を感じなかったからである。エスカの屋敷でエスカの事を友好的にからかう使用人達の笑いに近いものを見ていたのかも知れない。
「まだ正室はおりません」
ニームは先ほどより柔らかい口調でそう答えた。
「力のある札はその時が来るまでとっておくのがドライアド風なのです」
「なるほど」
ニームの言葉にトルマはうなずいた。
政治的に利用できる武器の一つだから、という答えであるが、シルフィードの人間に対してそれだけ答えたとしたら、トルマは鼻白らんでいたところであろう。だが、ニームはそこを読んでいた。先回りしてドライアドではそう言うものだと言う事を言い添えたのである。
その短いやりとりで、トルマはニームがただの貴族の寵愛を受けたか弱い美姫ではない事を認識した。そうなると今度はニームの相手の方にさらに興味が沸いた。自分の事も一目で言い当てたそつの無さといい、ただの美貌の青年貴族ではなさそうだと感じるものがあったのだ。
さっきはああ言ったが、名前を聞いておきたい欲求が頭をもたげてきた。もちろん今聞く必要は無い。エスカほどの目立つ容貌をしていれば、後で誰かに尋ねればすぐに判明することである。とは言えトルマとしては相手を認めた今、無粋を承知で前言を翻してでも直接聞いておきたかった。
だが、そのトルマの思惑は無粋な闖入者によって妨げられる事になった。
「まったく、アルヴ臭くて敵わんわ」
宴の広間とテラスとは、カーテンで仕切られていた。そのカーテンを乱暴に開きながら、不穏な台詞を吐いて現れたのは、誰あろうドライアド王国の国王名代、マルク・ペシカレフ公爵であった。
「マルク様。このような席で間違ってもそのような事を口にされてはなりません」
慌ててマルクの言葉を叱責しながら続いてテラスに現れたのは、ここでもマルクの守役を買って出ていたフェルン・キリエンカだった。
「臭いものを臭いと言って何が悪い。それにこんなところには誰もおらん……」
テラスの出入り口から少し離れたところに立っていた元帥服姿のトルマの姿を見つけたマルクの言葉が、空中分解よろしく夜の空気に消えていった。
「アルヴは臭うございますか」
そう言ったトルマは今までの柔和な表情とは打って変わってマルクを見下ろすその目にはあからさまな怒気が宿っていた。
「あ、いや……これは」
トルマの姿を認めたフェルンもその場に凍り付いた。
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