第七十一話 ヴィーダ 4/5


 エルデとエイルの小声のやりとりに、ランディが割って入った。

「おしゃべりはそこまでだ。観念したか」

「観念はしてへん。でもハイレーンとしてはさすがに悔しいな」

 ランディはエルデのその言葉に眉根を寄せた。

「ハイレーンだと?」

 そう言ってエイルとエルデを眺めたが、二人の堅い表情が変わらないのを見て、小さなうなり声を上げた。

「ばかな。ハイレーンごときの強化ルーンに、我が『火炎の舞』を二度も防がれたというのか?」

 殺気に揺らぎが見えた。少なくともエイルには。

 それは動揺という言葉に置き換えた方がエルデにはわかりやすかったろう。エイルには殺気が見え、エルデにはエーテルが見える。二人が見えているものはそれぞれ違えども「ハイレーン」というエルデの一言が《淡黄の扇》に隙を作らせたのは間違いなかった。

(くそ、防御ルーンさえなければ!)

 しかし殺気の揺らぎが見えたとしても今のエイルにはどうしようもなかった。そもそも物理攻撃が効かない相手に隙があろうとなかろうと問題ではないのだから。

 回数系の防御ならば、連続した打突を与えればすぐにはがれ落ちるだろう。だが一定の強度を防ぐルーンであれば、エイルの打突の衝撃程度では破れない。時間制限のルーンであれば、その時限を待つしかない。

 だがランディがどの防御ルーンを纏っているのかがわかったからと言って、それが大した意味を持つとは思えなかった。

 そもそもエルデが相手の防御ルーンを剥ぎ取れないのだ!

 最初に唱えようとしたルーンはランディの「火炎の舞」とやらで中断され発動しなかった。座標軸をずらされ中断された「ルーンの逆行現象」は自らにかけていた防御ルーンで防げたのだろうが、その後もエイルの知る限り、エルデは二度、たった一言で唱えられるごく短いルーンを唱えていた。それらは成功したはずである。だが《淡黄の扇》には効果がなかった。

 エルデが唱えた短い二つのルーンはエイルもよく知るもので、一つは相手を空間に縫い付けるルーン、もう一つは相手の口を封じるルーンで、そのどちらも成功していない。

 それが意味するところをエイルは認めざるを得なかった。それはエルデ自身から直接聞いた法則だった。

「ルーンの力関係に相当な開きがある場合、上位に対する下位のルーンは無効である」

 例の得意げな調子でエルデはそう言ったのだ。

 現状を分析すれば、まさにそういう事なのだ。

 エルデのルーンは……少なくとも強化ルーンと攻撃ルーンは《淡黄の扇》には通用しない。それが残酷な結果であった。


 亜神であろうがなかろうが、ルーンの力の強弱に関係はないのだろう。

 エルデ・ヴァイスは亜神であるが、ルーナーとしてはハイレーンに属している。本来ハイレーンは強化ルーンや攻撃ルーンは使わない。ハイレーンは特殊なルーナーで、単一もしくは二種類程度のエーテルを制御すればいいだけの他のルーナーとは違い、全属性のエーテルを精密に制御する能力が求められる。そして高位ハイレーンになれるものは、天性でその能力を持つ者だけなのだとエルデは語っていた。

 その代償として、単属性のエーテルの力を突出して増幅する力を持たないのだとも。

 だが、それでもエルデの攻撃ルーンや防御ルーンは突出して強力だとエイルは思っていた。いつしかファランドールでエルデを越えるルーナーは存在しないのではないかとさえ思い込むほどに。

 だが考えてみればわかる。

 エルデは今まで自分より下位にあるルーナーとしか対決していなかった。ランディよりは下席ながら三席の席次にある賢者二藍の旋律ことラウ・ラ=レイとの対決の場合は、そもそも相手がエルデをなめきった、言ってみれば丸腰のような状態でカレナドリィを操っていたのだ。だから素直にエルデのルーンや呪法を喰らってしまったに過ぎない。

 そんな相手の防御ルーンを剥ぎ取る……それが簡単ではないことをエイルは絶望でめまいがする程理解していた。

 どちらにしろ下手に攻撃に移れば不利になるのはエイル達であるのは火を見るよりも明らかだった。

 だからこそ、エイルは構えたままの妖剣ゼプスの柄を握りしめながら強く願った。

(ランディの防御ルーンを剥ぎ取りたい) と。

 それが出来れば、認証文だけでルーンを発動できるエルデの力が及ぶ可能性もあるだろう。強化系も攻撃系も通じないのであれば、治癒系のルーンを使えばいいだけである。治癒系のルーンであっても、使いようによっては相手に痛手を与える類のものが必ずあるはずだった。

 かつてエルデ自身「ルーナーの中でもっとも恐ろしいのはハイレーンだ」と言っていたではないか。

 エイルはそれを信じ、その機会を掴み取りたかった。

「なんやウチ、元の体に戻ってからやられっぱなしやな」

 自嘲気味にエルデがそうつぶやいた。

「日頃の行いってヤツだろ?」

「何やて」


「黙れ!」

 ルーンを唱えてはならないとランディは言ったが、無駄話をしてはならないとは言っていない。

 まさかそんな屁理屈を掲げてエイルとエルデが言葉を交わしていたわけではないが、ランディとしてはそれを容認するわけにはいかなった。

 一見すると無駄話とも思えるやりとりだが、それがルーンでないとは言い切れない。警戒して当然であろう。

 だが二人のそれは、本当にただの無駄話だった。エルデのムッとした顔でランディにもそれとしれた。

「無駄話をしている暇があったら、私の質問に答えてもらおう」

 ランディはそう言うと、実にもっともな質問を投げてきた。

「プロット教授長はどうした? もっとも今ではお前のその格好を見れば大方の予想は付くが」

 ランディの言うその格好とは、もちろん血で赤黒く染まったエルデの服の有様を指していた。精杖が貫通していた胸と背中が一部破れているが、そこにはもう傷はない。すなわちランディには服を黒く染めているその血の汚れはキセン・プロットのもの、具体的には返り血だと判断したのだろう。

 それは当たらずとも遠からずであったが、さすがにエルデにもエイルにも事の次第を詳細に語る義理はなかった。

「言うとくけど、これはウチの血や」

「何?」

「プロット教授長は……そやな。今頃はフォウでのんびりしてるんとちゃうかな?いろんなしがらみから解き放たれて、な」

「何だと?」

 フォウという言葉に反応したのか、エルデの答えが気に入らなかったのかは定かではない。ランディがそう気色ばんだ時に異変は起こった。

 エイルが構える妖剣ゼプスが黄色く輝き始めたのだ。

 それを見て、そして手の中の感触が明らかに変化したのを感じたエイルは確信した。

 根拠はない。ただ妖剣ゼプスを全面的に信用しただけである。

「あとは、任せたぞ」

 エルデに聞こえる程度の声でそれだけ言うと、返事を待たずにエイルは行動に出た。構えた妖剣ゼプスを振りかざすと、そのまままっすぐ……それは全く無造作に……ランディに切りつけたのだ。

 ランディとてバカではない。エイルが自分に向かって攻撃を仕掛けたのを見ると警告はもうしなかった。同じように精杖を振り下ろし、辺りが真っ赤な闇に包まれるほどの例の火炎放射……《淡黄の扇》いわく「火炎の舞」を放った。

 同時にエルデが短く防御ルーンを唱えたのがわかった。

 エイルはそのルーンを知っていた。それは範囲ルーンではない。術者であるエルデ一人のみを防御するルーンであった。範囲ルーンにしなかったのはランディにもそのルーンが及んでしまうからであろう。そしてもちろん、エルデの剣の能力を信じていたからでもあった。

 動き出してすぐにエイルの目の前は三度目の真っ赤な闇に包まれた。既に二度の攻撃ルーンを受け、防御ルーンが全て剥ぎ取られていたエイルは、体中が一瞬で沸騰するかのような痛みに襲われた。

 だがエイルはかまわず、ゼプスをランディめがけて振り下ろした。

 体中が燃え上がるような熱の中、エイルは今度こそ確かな手応えを感じていた。

 ランディのうめき声が部屋に響く。同時に背後からエルデの声が響いた。

「エル・エリフ・ソグ・ダード!」

 エイルもエルデが使うルーンのうち、いくつかはどんなルーンであるかを理解していたし、さすがにつきあいも長くなってくると、たとえ初めて聞く認証文のルーンであっても、それがどういう傾向の、あるいはどのような性格のルーンであるかを推測できるようになっていた。

 エルデが唱えたそのルーンを聞いたエイルは、それが炎を使った攻撃系のルーンで、しかも的を絞った単体へ向けた指向性のあるルーンではなく、周りのありとあらゆるものを対象とした……要するに爆炎のルーンだと推理した。

 その推理は正しく、エルデのルーンはその場に白っぽい闇を招くと同時に大きな爆発音を響かせた。

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