第七十一話 ヴィーダ 3/5

「異端とは失敬千万。そもそも賢者が賢者を裁くなど賢者の法では禁忌とされている。お前は今、禁忌を行うという宣言をしたのだぞ?」

 賢者を裁けるのは三聖のみ。《淡黄の扇》はその事を言っているのだ。そしてそもそもエルデは《淡黄の扇》が異端であるかどうかの検証すら行っていない。

 エイルはランディの言葉を聞いて、初めて一つの懸念を持った。

 彼には実は罪はないのではないのか、と。《淡黄の扇》は実のところ賢者会の命を受けて新教会に潜入し、キセンに近づいているだけかもしれないのだ。

 そしてエルデはもちろん、ランディに対する疑惑の裏を一切とっていない。「魔法の鏡」でキセンとの会談を見聞きし、第三者であるキセンに少し話を聞いただけなのだ。

 だが……

「我が名を知らぬとはな。三席ごときが余に意見など片腹痛い。問答無用だ。《淡黄の扇》という名と共にこの場で滅びるがいい」


(問答無用かよ!)

 そう思ったが、エイルはもちろん声には出さなかった。

 出せなかったのだ。

 その一言を受けたランディの憤懣が爆発し、それが殺気となってエルデに注がれた。

 それはまさしく一瞬の事で、エイルはそれにすかさず対処する必要があったのだ。


 エイルが妖剣ゼプスの柄に手をかけるのと、エルデがルーンを唱えるのがほぼ同時だった。そしてほんの一瞬遅れてランディが精杖を振り下ろした。

「ナダーヴォ・サ・ディテルゼン!」

 エルデのごく短い認証文の途中でランディのルーンが発動した。詠唱はない。それは精杖に封じ込めたルーンが、ある条件を与える事で発動する一種の精霊陣による自動詠唱のようなものであった。高位ルーナーだけが使える発動法である。

 ランディが精杖を振り下ろした瞬間、エイルには部屋全体が真っ赤な闇に染まったように見えた。

 だが、エイルはそんな事に意識を割く事はしなかった。その赤が何かを考えるのではなく、殺気に向かって抜き放った妖剣ゼプスを真上から切り下ろした。

 ランディのそれは、エイルに向けられた殺気ではない。全てはエルデに向けられていた。だが、そもそも剣士ではないランディを一刀両断する事などはエイルにとって問題ではなかった。たとえ目を閉じていても一瞬で袈裟懸けにする事はできたであろう。

 だがエイルはそれをしなかった。妖剣の握りをくるりと反対に向け、刃のない方を相手に向けて振り下ろしたのだ。

 裁くのはエイルであってはならない。相手の動きを止め、次のルーンを放てないようにする事。それがエイル自身が自分に課した戦い方だった。

 しかし……


「ほう」

 すぐ横でランディの落ち着いた声がした。

 エイルの剣はむなしく空を切っていたのだ。

 確かにそこに存在していたと感じたランディの体を金属の板で打ちのめしたという手応えがない。刃ではないために致命傷にこそならないだろうが、刃がなくとも剣撃を受けて平気で居られるはずがないのだ。

「パラス!」

 間髪を入れずエルデが叫ぶ。その声は元居た場所からではない。随分離れた場所に移動しているようだった。

 長い一瞬が過ぎた。真っ赤な闇は去り、エイルに視界が戻った。

 そしてエルデの声を追って振り返ったエイルが目にしたもの……。

 それは全く想定していなかった状況であった。

 全く無傷のランディ・アルオマーン……そしてまるで投げ飛ばされたかのように、部屋の隅にうずくまるエルデ・ヴァイス。

「エルデ!」

 エイルは思わず叫んだ。

「逃げるんや! エイル」

 エルデがそう叫ぶのと、ランディが精杖を再び振り下ろすのは同時だった。

(連続使用が出来るのかよ!)

 賢者でも上席に名を連ねる者であれば、ルーンを精霊陣に封じ込めて一瞬で発動させる事ができる。エイルもそれは知識としては知っていたが、これほどまでの攻撃系のルーンを、それをも連発できるとはさすがに思っていなかったのだ。

 そもそもエルデがいくつも重ね掛けした防御系の強化ルーンはどうなっているのだろうか?

 だが、そんな事を考えるのは後だった。

 エイルは身を翻しながら、再び妖剣の柄を握り替えた。そして今度はためらわずに刃をランディに向けて、その胴をなぎ払った。だが再び白刃は何の手応えもなく持ち主を中心とした不正確な円軌道をむなしく描いただけだった。

 再びその部屋を覆い尽くした赤い闇の中、エイルには再び訪れたその違和感を味わっている余裕などなかった。二度同じ事をやったのだ。相手が防御ルーンで身を包んでいるのは明らかだった。


 エイルの物理攻撃はランディには通じない。

 つまり、その時点で剣士としてのエイルの存在意義は消滅したのである。

 エルデが逃げろと言ったのはエイルよりも早く現状を理解したからだろう。そしてエルデがそんな事を言うということはつまり、エルデが自分自身で、ランディからエイルを守る事ができないと判断したという事でもある。

「嘘だろ?」

 赤い闇の中で、思わずそんな声が口をついた。今まで圧倒的だと思っていたエルデのルーンが、効かないのだ。

「ほう。認証文のみでルーンを発動させられるのか? お前も精霊陣使いか?」

 ランディのそんな声が聞こえたかと思うまもなく、エイルは誰かに手を引かれた。

「こっちや」

 エルデだった。

 赤い闇の中で目が利くのはさすが亜神、と妙な感心をしたエイルだったが、エルデの声に余裕がないのが気になった。

(もしかしたら、負けるのか?)

「おっと、動かないでもらおう、《白き翼》だったか?」

 再び赤い闇が晴れた。

 改めて見渡すと、部屋の様相が一変していた。壁や調度の表面が白っぽくなっている。それは表面の一部が灰になっている状態なのだという事がわかるまでに時間はかからなかった。 一部からは小さな炎が上がっていたのだ。

「動くな。お前がルーンを唱えた瞬間、もう一度『火炎の舞』をお見舞いする。連続使用が出来るのはもう理解しているのだろう?」

 エイルは無意識にエルデをかばうように後ろに隠した。ランディはそんなエイルをさげすんだような目つきで眺めた。

「剣士風情がルーナーをかばうとは笑止千万だな。だが、我がルーンを二射も喰らってまだ無傷とは正直言って驚いている」

 ランディはそう言うと視線をエイルの後ろのエルデに向けた。

「賢者会ではついぞ見かけぬ顔だが、賢者には違いないようだな。高位のコンサーラを失うには忍びないが……」

「駄目なのか?」

 ランディをにらんだままでエイルはつぶやいた。もちろんエルデに向けた言葉である。

「三席の賢者をなめたらアカン。しかもエクセラーが使う本気の攻撃ルーンや」

 エルデはそう答えた。ルーンを唱えようとしないのは、本当に状況が悪いのであろう。相手の言う事に従うしかないのだ。

「よくわかっているではないか。だが、お前は基本的にわかっていない」

「何をや?」

「さっきから聞いていれば三席三席と。失礼にも程がある。私は三席ではない。次席だ」

「え?」


(おい、話が違うじゃないか?)

(いや……雑魚賢者の事はあんまり……)

(その雑魚賢者にこれかよ)

(いやあ。さすが次席やな)

(感心するなよ)

(大したもんや。想像以上やな。正直言うてなめてた。すまんなエイル)

(謝ってる場合じゃないぜ。お前らしくもない)

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