第七十話 ルルデの秘密 4/4

「話がルネの事に逸れてもうたけど、ウチが言いたいんは、アンタはクレハが母親やとして、複雑な気持ちやないのんか?という事や」 

 エイルはエルデのその言葉を聞いて、心にズキンと響く痛みを感じた。だがそれは辛い痛みではない。何か言葉にできない、そしてとても大切なものに触れたような感覚だった。

 エルデは思い出した様にクレハ・アリスパレスがルルデの母親かも知れないという話を口にしたが、それはエルデ一流の嘘で、全ては計算の上だったのだろう。

 今まで謎だった事が次々とエルデの口から告げられた。エイルは心の中にあったもやもやしたものが、それでほとんど綺麗に消失するのを感じていた。

 そしてその上で最期に「母親説」 を告げたのだ。現時点では答えがないままに。

 シグに聞けばすぐに答えが見つかるかも知れない。だがエルデはそれをしない。つまりエルデはエイルに考える時間を与えたいのだ。少なくともエイルはそう感じた。

 いや、考える時間ではない。感情を整理する為の時間がエイルには必要だろうと言うのである。言い換えるならば、エルデが口にした可能性、つまりクレハがルルデの実の母親であるかもしれないという話は、可能性ではないのだということである。

 複雑きわまりない思いがエイルの頭の中を駆け巡った。

 クレハ・アリスパレスがルルデの生みの親であったとしても、それはエイル・エイミイことマーヤ・タダスノの母親ではない。

 だがエイルの体はルルデのものである。その母親はエイルにとって赤の他人と言い捨てられるのか?

 クレハの体をスフィア化するにあたり、エルデは《黒き帳》をどこかにつなぎ止めている結界を維持したまま持ち運ぶためだといった。

 だが、それだけではないのだ。

 その時が来て、望めばエイルが母親と対面できるようにと、その体だけでもスフィアに封じ込めようとしたのである。


「ほんとにお前ってヤツは……」 

 しばらく考えた末、エイルの口をついて出た言葉はそれだけであった。

 エルデは片方の口の端だけで笑うと、扉の前で小さなスフィアをかざした。キセンが二人に渡した通行の為の鍵となるスフィアであった。

「この話は落ち着いた後でじっくり考えよか」 

「そうだな」 

 エイルはうなずいた。

「ほな行こか」 

 思うところは色々ある。だが、エイルはもう迷ってはいなかった。

「キアーナが待っているって言ってたけど?」 

「あれから結構経ってるしな。ペンドルトン君、相当待ちくたびれてるやろなあ」 

 エルデはそう答えたが、エイルが心配しているのはそういう事ではない。

 キアーナにキセンの事を尋ねられたらどうするつもりなのか?

 エイルはエルデにそう聞こうと思い、口を開きかけたが、すぐに閉じた。

 エイルとエルデが事の顛末を告げる必要はない。キセンはただ消えた。それだけなのだ。エルデがラシフのマントで体を覆い隠したのもつまりはそういう事だ。

 黙っている事。

 おそらくそれが二人が選ぶ最良の道であろうと思われた。



 果たして「そこ」 にキアーナ・ペンドルトンはいた。

 さすがにソファにもたれて眠り込んではいたが……。

 エルデはキアーナの姿を見ると、すぐに駆け寄ってその腕をとり、目を閉じて何かをつぶやいた。

 回復ルーンをかけたわけでないことは、例の羽毛のようなものが降ってこない事でエイルには想像がついた。

「ちょっと体調を調べさせてもろただけや」 

 怪訝な顔をするエイルに、エルデはそう説明をすると、首を横に振った。

「かわいそうやけど、たぶん完全に汚染してもうてる」 

 エルデの言葉が意味するところを、エイルは瞬間的に理解した。

 エイルがすっかり忘れていた事をエルデは覚えていたのだ。おそらくキアーナが寝ていようと起きていようと、エルデは真っ先にそれを調べたに違いない。

「ニアレー……か」 

 エルデはうなずいた。

「お前ほどのハイレーンなら、元に戻せるんじゃないのか? その、ニアレー麻薬の中毒症状を」 

 だがエルデは力なく首を横に振るだけだった。

「正教会がなんでニアレー麻薬を血眼になって撲滅したか……その理由がこれや」 

 エルデは「これ」 と言いながらもう一度キアーナの手をとった。

「実は半信半疑やったけど、嘘やなかった。ルーンや呪法では元に戻せへん麻薬。それがニアレーなんや」 

 エイルは唇を噛んだ。

「歴代の四聖がいろいろ試みても治癒の方法が見つからへんかったっちゅう噂は本当やったな。かくいうウチでもこれはホンマに無理や」 

「無理って……」 

「見たところ、悪いところが全く見つからへんねん」 

「え?それって」 

「悪いところが見つからへんのに、治療ができるんか? どこをどうしたらええのかわからへんねんで?」 

 わからない……。そんな言葉がエルデ・ヴァイスの口から出ようとは、エイルは夢にも思わなかった。

「キセン・プロットが言うとった話は嘘やないと思う。クレハの血と体組織の一部を人間に移植して、たまさか何かが合致した場合に不安定ながら能力がかさ上げされる。でもそれは相当な苦痛を被験者に与え、それを抑えるためにはニアレーをある意味薬として投与し続けるしかない」 

「それじゃ……」 

「それでも……それでも一つだけ、キアーナを助ける方法がウチにはある」 

 エルデはそう言うと立ち上がった。

「助かるのか?」 

 エルデの一言で、エイルは絶望の淵から浮かび上がったような気分になった。

「心配はいらん。ウチが助けたる」 

「やっぱりお前はすごいな」 

 そう言うエイルの顔はうれしさで輝いていた。だがエルデはエイルと視線を合わせようとはしなかった。

 エルデは逸らした視線を部屋中に巡らせた。それはキアーナの件にはもう興味がないと言った風情であった。つまり「この話題はここまで」 とエルデは無言で宣言したようなものである。

「さて」 

 一通り部屋の内部を見渡したエルデは自ら話題を転じた。

「それより、ここはどこやろな」 

 

 キセン・プロットの鍵スフィアを使って工房の「扉」 を開いたエイルとエルデは、殺風景な小部屋にいた。

 扉とは名ばかりで、やはりエルデの言う「空間転移」 のようなルーンでつながれた部屋のようだった。

 木の床、途中まで腰板が貼り付けられた白っぽい漆喰塗りの壁。殺風景だが重厚な造りの部屋である。窓はなく、扉も一つしか無い。おそらくその扉はキアーナが入ってきた扉であってエイル達がそれを開いて部屋に入ったわけではなさそうだった。

「一方通行やな」 

 鍵スフィアをかざしながら壁を一当たり吟味していたエルデはそう結論づけた。

「プロットの工房には最初のエーテル体に通されたあの部屋からしか入れないって事か」 

「出口は複数作ってるけど、入り口は一つ。まあ、用心深いアイツらしい仕組みやな」 

 

 エルデ達がそんな話をしているうちに気配を感じたのか、キアーナが目を覚ました。自分がうっかり眠り込んでいた事に気付くとキアーナは平謝りに非礼をわびた。

 根が真面目な性格なのであろう。気にするなと言うエイルに対して執拗に詫びを重ねるキアーナに、とうとうエルデが小さな雷を落とした。

「ああもう、鬱陶しい! 夜中に何時間も待たされて眠うならへんヤツが居ったら、このウチが綺麗さっぱり灰にしたるさかい、ここにつれて来ぃや!」 

 エルデの剣幕に押され、キアーナはようやく口をつぐんだ。

「ちゃんと起きて待ってるヤツをなんで灰にするんだよ?」 

「そこまでして待たれてても、何か鬱陶しいやろ?」 

「え? 城や砦の見張りとか、お前にかかったらみんな灰かよ!」 

「……灰やな」 

「いやいやいやいや」 

「ともかく、や。キアーナ!」 

「はい」 

「さっそくやけど案内してもらおか」 

「そ、それはもう」 

 言うが早いか懐からエルデ達と同じような鍵スフィアを取り出すと、キアーナは部屋に一つだけある扉に飛んでいった。

「あ、言うとくけど地下房はあとや。その前に連れて行って欲しいところがあるねん」 

 エルデはそうキアーナに声をかけると、エイルに目配せをした。

「え?」 

 振り返ったキアーナに、エルデはこう告げた。

「プロット教授長から頼まれて、ある人に会わなあかんのや。新教会の偉いさん、っちゅうたらわかるか?」 

 キアーナはうなずくと木製の扉に手をかけた。

「それならこちらです」 

 先導してくれるということであろう。

 エルデはエイルに小さく目配せをするとその後に続いた。

 キアーナがキセンとランディの会見場所を知っている事をエルデがわかっていたわけではない。だが、エルデはほとんど確信していたに違いない。

 もちろん可能性の問題であるが、もしキアーナが知らなかったとしても、違う手を考えていただろう。

 わかっていた事ではあるが、エイルはまたしてもエルデの機転に苦笑せずにはいられなかった。だがそれは相手に向けた苦笑ではない。キアーナに会った時に打つ手を、何も考えていなかった自分に対して苦笑してみせたのだ。

 エイルは軽く唇を噛んで笑いを止めると、長い黒髪をなびかせて歩く少女の後ろ姿を追った。

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