第七十一話 ヴィーダ 1/5
「実際問題、この建物はいったい何なんだ? オレ達はどこに出たんだよ?」
キアーナ・ペンドルトンが開いた扉はやはり特殊なものだった。どうやら彼ら三人が再び空間を跳躍したのは間違いなさそうだった。
キアーナの先導で回廊を歩くエイルとエルデは、改めて周りを見渡すまでもなくそこが未知の場所である事を認識していた。少なくとも最初に案内された不思議な図書室があった建物、第一高級学校教授棟とキセンが呼ぶ新しく機能的な建築物の内部ではない事は確かだった。
三人が歩く通路は第一高級学校教授棟のそれよりもかなり広く、天井も相当に高かった。回廊の床も大理石貼りで、壁に取り付けられたランプも実用一辺倒なものではなく、凝った飾りが施されていた。要するに無駄とも思える空間や装飾に溢れており、教授棟とは明らかに異なる価値観によって作られた建物なのだ。
その建物には、回廊に沿って同じような部屋がいくつもあった。各部屋の扉には数字が書かれたタイルが貼られていて、それが部屋を特定する番号であるらしかった。「らしい」という表現を使うのは、その番号が一定の法則で並んでいないからだ。四桁の番号があったかと思うと、一桁もあり、空白をあけて二桁と三桁の数字が並んで表記されているものもある。それが何を意味するのかはわからなかったが、およそ「順番」という法則に従っていない事だけは確かであった。
「ここはハイデルーヴェン城です」
エルデの問いに、キアーナはためらう事無くそう答えた。
「城? ここが?」
「ええ」
キアーナはこともなげにそう答えたが、エイルにとって「城」という言葉は驚き以外の何ものでもなかった。
「いいのかよ、勝手に城の中とか……」
「アホ。うろたえるな」
城という単語に過剰反応したエイルをエルデが軽く肘で突いた。
「ハイデルーヴェン城には、とっくに城主はおらへん。忘れたんか? ここは学校都市やで。言うてみればここは城跡、廃墟みたいなもんや」
「いやいやいやいや。廃墟じゃないだろ、どう見ても」
「確かに廃墟は言い過ぎですが、長い間放置されていたのは確かです。プロット先生が資金を出して改装されるまでは倉庫として使われていたようですが手入れが行き届いていなくておっしゃるように廃墟になってもおかしくない状態でした」
「資金か……なるほどな」
何が「なるほど」なのかエイルにはわからなかった。文化財の保護にキセンが私財を供出した訳ではないだろうが、少なくともそれにより結果として無駄に満ちた建物が維持されている事は間違いない。
「書庫か機材置き場か実験場所かはたまた秘密の会見場所か……そういう場所は公共の教授棟には作りにくいっちゅうわけやな?」
エルデの問いかけにキアーナはうなずいた。
「お察しの通りです。上階は学校関係の古い方の記録庫になっていますが、地下と一階の、この東側部分がプロット先生専用の蔵書庫になっています」
キアーナはそう言うとちょうどさしかかった部屋の前で立ち止まった。
そこは回廊の角にある部屋で、その部屋だけ扉に番号を記したタイルがなかった。だが違いはそれだけで、その以外は他の部屋と全く同じ扉だった。
「そしてここが秘密の応接間です」
「秘密?」
「関係の無い人間が開けようとしてもここの扉は開きません。外から中の音は聞こえないし、中からも外の様子はわからないようになってます。ここに入るには……」
エイルの疑問に答えるべく、キアーナは得意げに例の鍵スフィアを取り出した。
「これが必要です。プロット先生が特別にこれを渡した相手だけが入れる部屋なんです。そうは言っても一度も入った事はないんですけどね。今回は特別にこれをしまってある場所をプロット先生が教えてくれたんです」
エイルはそれを見ると「なるほど」と頷き、自らも懐にいれてあった鍵スフィアを取り出した。
「やっぱり先生はあなた方を特別な客人としてお認めになったんですね」
キアーナは感心したようにエイルの掌に載る鍵スフィアをしげしげと眺めたあとで、視線を瞳髪黒色の少女の方へ移した。
「何や? ウチもちゃんともろてる」
エルデはそう言うと、キアーナには聞こえないほど小さな声で精杖ノルンを呼び出した。
「うわっ」
瞬時に現れた精杖の頭頂部を突きつけられたキアーナは小さな悲鳴を上げて思わずのけぞった
「ウチはこの中に埋め込んである」
そう言われてキアーナはしげしげと鼻先の頭頂部を眺めた。一見すると何もないように見えたが、目を懲らすとそこには涙の粒ほどの小さなスフィアが無数に埋め込まれているのがわかった。
「スフィアを小型化出来るんですか? あなたは本当にすごいルーナーです」
「わかったやろ。ウチらは場所さえわかればプロット教授長が作った扉なら、どこでも通行可能なんや」
「了解です」
そう言って精杖を見つめるキアーナを見てため息を一つつくと、エルデは精杖を元の指輪に戻した。
「うわ」
「こんな事でいちいち驚かんといて欲しいな。それより、忘れてたけど、エイルに一つ頼みがある」
「頼み?」
怪訝な顔をするエイルの前で、エルデは妙な行動をとった。
自分の左手を口元に近づけると、人差し指の付け根あたりを歯でガリリと囓ったのだ。
「おい、何を」
自傷行為をするエルデを止めようとしたエイルだが、エルデがとった次の行動に言葉を失った。
エルデは囓った左手を、エイルの前に突きだしたのだ。
「何も言わんと、ウチの血をなめて欲しい」
「え?」
「えええ?」
エルデだけでなく、キアーナもびっくりしたような声を出すと、エルデとエイルを見比べた。
「いや……いやいやいやいや。お前いったい何をやってるんだ。というか、何を言ってるんだ?」
「うるさい、黙れ、やかましい」
エルデは鋭くそう怒鳴ると、突きだした右手をさらにエイルに近づけた。静脈を的確に噛んだのであろう。傷はほとんどわからないが、人差し指の付け根あたりから溢れた血はエルデの細長い指を伝い、床に点点と赤い染みを作り出していた。
「これから先の『会見』に必要な準備や。ジャミールの里にさしかかった時に会ったファーンの事を思い出すんや。それでもウチの言う事がわからへんのやったら、後で理由は嫌っちゅう程教えたる」
エイルはそう言われて改めてエルデの指を見つめた。
「早よしてくれな、治療もでけへんのやけど」
エイルはエルデが例にだしたファーンの事を思い出してみたが、残念ながら答えにたどりつけなかった。
だが、エルデがやろうとしている事が無意味な事ではないのは間違いがない。
「それとも、ウチの血をなめるのは死んでも嫌か?」
ためらうエイルに、エルデは悲しそうな声でそう言った。
「い、いや、そう言うわけじゃない」
エイルは意を決すると、差し出されたエルデの右手をとり、流れる赤い液体に唇を付けた。
鉄さびのようなしょっぱくて少しだけ甘い味……そう思ってエルデの血をなめたエイルだが、舌が触れたエルデの血は、それとは全く違うものであった。
「え?」
エイルは手を離すと、思わずそう声を上げた。
「しっ」
エルデは黙れという風にそう言うと、唇に人差し指を立てた。
エイルはそれを見て無言でうなずいた。
キアーナがその場に居る事を忘れるな、という事であろう。不用意な発言は相手に不信感を与えるのだ。
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