第七十話 ルルデの秘密 2/4

「エイル?」 

 急に黙り込んだエイルに、エルデはおそるおそる声をかけた。

 その頃には、エルデの混沌とした気は収まっていた。だがエイルの態度に今度は不安が頭をもたげてきたのだろう。今度はあっという間に部屋中が不安という気分の苗床に変化した。

「よしっ」 

 かけ声と共にエイルは目を開いた。

「え?」 

「これで、もやもやしてたものが全部綺麗に取っ払われた」 

「エイル?」 

「だから、これからはつまらない事を考えずに、思う存分ファランドールで生きていけるって感じだ」 

 そういうとエイルはエルデに向かってニヤリと笑いかけた。

「都合のいい話だけどさ、生まれ変われたような気分になった」 

 エルデの表情がゆっくりと緩むのが、エイルにはわかった。

 唇を噛み、目が潤み……

 そんなエルデを見てエイルは改めて思う。エルデ・ヴァイスの本質は普通の少女と、いや普通の人間と何も変わらないのだと。


「そういう事で、オレはやれるだけの事を思いっきりやってやる」 

 エイルが何を言おうとしているのかをエルデは思い出した。

「まさかとは思うけど……」 

 エイルの一言がエルデの表情を曇らせた。

「炎のエレメンタルの力でファランドールを自分の思うとおりに制圧出来る、とか思てるんやないやろな?」 

 エイルはしかし、エルデの質問を待っていたかのように不適な笑い顔を見せた。

「だってオレの監視者はもう居ないんだろう?もっとも監視者っていうのが何をするのかわからないけど、大体想像は付くからな。守護者や保護者じゃなくて『監視者』だもんな」 

「確かに」 

 エルデは素直にうなずいた。

「炎精の監視者深紅の綺羅はもうこの世にはおらん」 

「だったらオレの力を制御できるヤツはもうファランドールにはいないって事だろ?」 

「その口ぶりやと、本気でそう思っているわけやなさそうやな」 

 当たり前だとエイルは言った。

「他の三聖、いや四聖が補助的にその役目につく、とかそんなところだろ?」 

 エルデはうなずいた。

「今現在やと、クレハの死を知っている四聖はたぶんウチだけやろから、ウチが炎精の監視者の代理人ってわけや」 

「だったら余計に好都合じゃないか」 

「もっともウチは空精の監視者やから、風のエレメンタルの監視が最優先やけどな」 

「そうか。そうだったな……って、考えてみるとお前ってネスティがエルネスティーネ王女だってわかった瞬間から、監視してないとダメだったんじゃないのか?」 

「そやから、そういうのはもう無しの方向で、アンタをフォウへ返した後は時のゆりかごから出んようにしよ、と思てたんや」 

「それって四聖としては思いっきり怠慢じゃないのか?」 

「そやからウチは《白き翼》とか名乗らへんかったやろ? 四聖とか、もう存在してへん事になってるんやからええねん。ちゅーか、アンタの体を借りてる時はそれどころや無かったしな」 

「そう言えばそうだな」 

「風のエレメンタル……空精の監視なんかより、そっちの方がウチとしては優先事項、いや、最優先事項やったんや」 

 エルデは憤然とした口調で一気にまくし立てていた。

「それに《白き翼》を口にでけへん理由はそれもあるけど、そやのうてウチの持ってる能力の……」 

 そしてそこまでしゃべったところでエルデは目を見開き、驚いた表情で自らの口を両手で覆った。

「何だよ?」 

 あからさまに「しまった」 という顔のエルデにエイルはすかさず突っ込んだ。

「また秘密か? 秘密なんだな? オレにも言えないようなとんでもない秘密なんだ」 

「そ、そやないけど……いや、まあ秘密なんやけど、アンタに隠すとかそういうつもりやない……んやけど、今は言いとうない」 

 エルデはそう言うとエイルから顔をそむけた。

「まあいいさ。その気になったら言ってくれ」 

 エイルはそう言って肩をすくめた。

「どっちにしろオレは力に任せてごり押しするつもりはないぜ」 

「ほな、どうするつもりや?」 

「オレ達には仲間がいるじゃないか」 

 エイルの言葉に、エルデは眉をひそめた。

「シルフィード王国の王女……いや、実質国王やな……要するにエルネスティーネを利用するっちゅう事か?」 

「利用とか言われるとちょっと後ろめたい気分になるけど、それでもネスティならオレの考えに賛同してもらえるような気がするんだ。だとしたらこれって力や武力で強引に世界を変えるんじゃなくて、政治力をつかって平和に大きなことができるんじゃないか? オレ一人じゃどうにもならない事でも、二人のエレメンタルの力に加えて一国の国王やその側近がみんな一緒になって本気で動けば……」 

「あのな……」 

 心底呆れた、という感情を大げさに表す為に、エルデはわざとらしいため息をついて首を横に振った。

「アンタはアホか?」 

「アホで悪かったな! このまま何もしないよりいいだろ?」 

「一つ!」 

 ムッとした顔のエイルに、エルデは人差し指を立てた右手をその眼前に突きだした。

「な、なんだよ。またかよ」 

「一つ。ウチのために世界を変える必要とか、ない」 

 エイルの突拍子もない考えに呆れながらも、エルデはエイルのやろうとする事の根本の目的を見失ってはいなかった。

「いや、オレは」 

「二つ」 

「おいおい」 

「『お前が良くてもオレがいやなんだ〜』とかいう台詞は禁止や」 

「う……」 

 エイルの反応を見たエルデの大きな目がさらにつり上がった。エルデとしてはまさかと思っていたのだが、図星だったのだ。

 エルデの声は一段と大きく、そして厳しさを増した。

「三つ。アンタの考えは甘すぎる。武力やろうが政治力やろうが上から抑えるような『力』を使てエイヤで世の中の仕組みを大幅に変えるっちゅうのは同じ事や」 

「いや、違うだろ?」 

「人が死なへんからか?」 

「それは、そうだろ? 一番重要な事じゃないか」 

 エイルの抗議はエルデの想定の範囲内であろう。それほどエイルの素案は単純な動機で語られたものだという事である。

「人が死なへんかったら何してもええんか?」 

「いや、それは話が違うだろ? すり替えるなよ」 

「同じ事や。考えてみ? 今まで白かったもんが明日から黒になります、とか言われて文句を言わへんヤツが居るか? たとえば横行してる贋金(にせがね)対策を根本的に変えるために、貨幣単位や流通できる貨幣自体を変えるとする。単純に貨幣を交換するにしても、善意の人間が掴まされた贋金は普通に考えて換金とかでけへん。むしろ疑われる。新しい貨幣を作っても、またぞろ新しい贋金が生まれるだけやしな。そんなんを避けるために今度は頭のいい奴が貨幣経済自体を根本から変える仕組みを考え出したとしよ。たとえば物理的な貨幣を廃して、今ある貨幣はもとより、本位制の元になってる金とか銀とかを無価値にするんや。宝石なんかにも貨幣価値を持たせる事を禁止する。ただやったらええけど金額つけて取引するのは御法度とかな。これぞまさに白から黒に、やろ。それってすぐにできると思うか? そんなん考えるまでもないな。何の準備期間もないのに五年や十年でそんな事ができるわけがないやろ? すぐにやるには今の経済の仕組みをいったん全部『無かった事』にして、一からやったらええ。圧倒的な権力なら簡単にできるかもしれんな。で、それは混乱なしにできるんか? 誰も不幸せにならず、何の事件も起こさず、けが人も死人も出ず、粛々と変わると思うか?」 

「いや……思わないけど、その例えはどうなんだ?」 

「一事が万事や、言うたやろ? 世の中の仕組みを変える? 価値観だけが一瞬で変わると思うか? マーリン教は廃止します、で人々の信心がなくなるんか? それとも宗教弾圧を厳格にやるんか? それは戦争にはならへんかもしれんけど、争いは生まへんのか? 人は死なへんのか?」 

「……」 

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