第七十話 ルルデの秘密 1/4
もうわかっていた。
エイル・エイミイは知っていたのだ。
認めたくはない。
だが散らばった欠片を一つ一つ繋いでいくと、できあがるものはただ一つのものなのだ。形を取り戻した「それ」 を目の前にして本来とは違う名で呼び続けるには、エイル・エイミイ、いやマーヤ・タダスノの性格は真面目に過ぎた。
そして何より、それは今初めて気付いた事ではない。
だからエルデの口から出るであろう真実を受け入れる準備はできていた。
いや、もうとっくに受け入れていたのだ。
「エイル・エイミイ」
エイルが噛みしめるように、なぞるように自分の名をゆっくりと口にした。
「これはお前がオレに付けてくれたファランドールでの名前だ。ここではみんなその名前で呼んでくれる」
エルデは無言だった。
「そしてフォウでのオレはマーヤ・タダスノ。どっちの名前もオレを特定してくれる。そしてオレをその名前の人間だと認めてくれる名前だ。好き嫌いじゃなくて、それはオレを呼ぶためのたった一つのルーン……認証文なんだとオレは思ってる」
落ち着いてそう口にするエイルの視線を、エルデは自ら切った。そしてまるで無防備に戸惑いとも恐れとも怒りともつかない気配を部屋中にまき散らしていた。
要するにエルデの情緒はきわめて不安定だったのだ。
エルデが纏うエーテルは、ファランドールに暮らす普通の人間、つまりエーテルを敏感に察知できる者達なら、おそらく一秒たりとも耐えられない程の嫌気に満ちていた。
エイルはだんだんわかってきていた。フォウの人間とファランドールの人間は、エーテルに対する感受性が全く違う。エルデのいわゆる気当たりに耐えられるエイルがその証拠とも言える。さらにエイルと同じもう一人の異世界人であるキセン・プロットがエルデのエーテルの変化に耐え続けられたのもその根本的な感受性が鈍いからに違いなかった。
エーテルに対する感受性が平均よりかなり高いと思われるフェアリーがこの場にいたとしたら、おそらく絶望的で暗澹たる気分に押しつぶされるに違いなかった。
すでに長い時間をファランドールで過ごしたエイルはそれなりにエーテルの影響を受けるようにはなっていた。だからエルデのエーテルのその時々の気分はもうはっきりとわかる。
もちろん逃げ出したいとは思わなかった。エルデの反応はエイルの予想通りなのだ。そしてなにより、どんな気をまき散らそうが、エイルにとってエルデは特別な存在に変わりない。逃げ出す事などあり得ないのだ。
言葉に出して何も答えないエルデだが、エイルにとってもはや饒舌とも言えるエルデの反応だった。
「でも、この体はオレのものじゃない」
エイルはそういうとゆっくりと自分の体を見渡した。
左腕。
左手。
その指の先。
そのまま視線を落とすと、それをつま先から徐々に上方に移動させ、右腕を通して右手に行き着いた。
そして……右手の甲。
そこにあるのは「エレメンタルの徴」 と呼ばれる複雑な文様を成す痣。
「『時のゆりかご』でオレが記憶を取り戻した後、自分の体に対してけっこう違和感があってさ」
エイルの声はエルデを責めるようなものではなかった。むしろ普段の軽口のような明るい調子と言ってよかった。
「お前は元々オレの体にあった傷や痣なんかを全部治したり消したりしてくれたって言ってたけどさ、手相や指紋までいじらなかっただろ?」
エイルはそう言って両手の掌をエルデに向けた。
「プロット・フォーの学校には変なヤツが多くてさ。頼みもしないのに無理矢理手相を見ては、別に知りたくも聞きたくもないその日の運勢を告げるのが趣味っていう、結構はた迷惑な知り合いがいたんだ」
エイルはそういうと思い出し笑いをした。
「くくく。そいつが初めてオレの手相を見た時になんて言ったと思う? 『あなたは相当長生きします』だぜ。それを真面目な顔で言うんだ。おかしいだろ? だって、オレはその数日後に死んだんだぜ? あいつ、それでも懲りずにまだ手相占いとかやってるのかな」
本当におかしそうに笑うエイルに、しかしエルデはいまだ反応しなかった。
「それからさ、オレって元々利き目は左なんだよ。でもこの体は右目が利き目でさ。ついでに言うとこの顔はオレが持っている記憶の中の自分の顔とは微妙に違うんだよな。正直言ってフォウのマーヤ・タダスノの方がちょっとだけ男前だと思うぜ。まあ、こっちの方は気のせいかも知れないけどな」
エイルはそう言いながら左右の目を指さしたり頬を抓ったり眉をなぞったりしておどけた様にそう言った。
「でも、勘違いしないでくれ。この体がマーヤ・タダスノのものじゃなくて、ルルデ・フィリスティアードのものだとしても、オレはもうそんなのどうでもいいんだ。いや、どうでもいいって言うのとは違うな。なんというか、オレが言いたいのはつまり、本当にお前には感謝しているって事をだな、改めて言いたいというか、その……そもそもオレの体は事故でめちゃくちゃだったんだろ?」
エイルはそこまで話すと、間を置いてエルデを見つめた。
エルデはそれを受けて観念したのだろう。小さなため息の後で、ようやく口を開いた。
「ウチの魂の器たるフォウでのアンタの体は、修復不能やった」
そこに感情の高ぶりは感じない、普通の調子の声だった。
エルデもようやく自分の中にある様々な思いに折り合いをつけたのだろう。
「アレを有り体に言うと即死体やな。そりゃもう見事に死んでたな。お嬢ちゃんのネスティが見たら一週間は食事がのどに通らへんくらいの惨状やった」
エイルは慌ててエルデに手を突き出すと、両手を振って制した。
「あ、オレとしても自分の事故現場の状況説明を詳細にされるのはちょっと……」
「ふん。まあ、要するに事故の瞬間を見てたから、アンタがそもそも助からへんのはすぐにわかった。いくらウチでもけが人は直せるけど、完璧に損傷した死体を生き返らせる事はできへん。そもそもウチ自身が体のない意識体みたいな状態やったからできることは限られてたんやけどな」
「それで、オレはその後どうなったんだ?」
エルデは難しい顔をして腕組みをすると目を閉じて見せた。だがすぐに首を横に振った。
「やっぱりウチにもわからへん。気がついたらウチはもう、アンタのその体に入ってたんや。で、頭の中で呼びかけてたら、アンタの意識が目を覚まして、気がついたらウンディーネの海岸近く……エルミナのあの丘におったっちゅう訳や」
「何だ、お前がルルデの体とオレの意識をそれぞれ引き上げてくっつけてくれたわけじゃないのか」
「アンタの体がルルデ・フィリスティアードのものやとウチ自身が認識したんはアンタの夢の話を聞いてからや。その夜に、ウチは慌ててアンタの体中の傷やほくろや怪我や痣を徹底的に消しまくった。そもそもそういうもんから違和感を感じへんように記憶は封じてたんやけど、何かの拍子に気づかれるとマズイ思て、念のためにな」
「オレが真実を知って絶望でもすると、意識が消滅しかねない、って事か」
エルデはうなずいた。
「ありがとな。オレの知らないところで相当気を遣わせたようで、悪い」
「べ、別にウチは……」
「まあ。そのおかげで、その翌日シェリルに会った時に事なきを得たんだよな」
「そういうことやな。何が幸いするかわからへんな」
「そうか……」
エイルは小さくそうつぶやくと目を閉じた。
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