第六十九話 クレハが守ったもの 3/4

 突き刺さった精杖は、すぐに炎を発して燃え上がった。エルデが唱えたルーンが発動したのだ。青白い炎はしかしすぐに収まり、気がつけば精杖は全て灰と化していた。


「さて時間も無い事やし、とっとと次の仕事の準備でもしよか」 

「仕事って……」 

 エルデの言う「仕事」 の意味はエイルにはわかっていた。ティアナ達がいる房に行くよりも先にエルデがやらねばならない事。

 だがエイルの中には、それを許せない自分がいるのだ。

「賢者を処刑できるのは賢者やない」 

 そんなエイルの心の中をわかっているエルデはエイルの次の言葉に先んじた。

「大賢者でもない。それは三聖、いや四聖に与えられた任務や。いや、義務やな。つまり、ウチがやらなあかんっちゅう事やろ?」 

「《蒼穹の台》に知らせたらいいんじゃないのか?」 

「どこにいるんかもわからへんイオスを探すんか?」 

「それは、ラウに聞けば……」 

「そのラウはどこやろな? ハイデルーヴェンにいるとは限らへん」 

「でも、いや、きっといるさ」 

「居たとしよ。で、《淡黄の扇》が悪さしてるさかい、あとはイオスにあんじょう言うといてくれるかな、とか伝えたらええんか?」 

 エイルは言葉に窮した。それでいいじゃないかという思いと、そんな事は出来ないだろうという思いが交錯するのだ。自分がエルデの立場だったら……それを考えると頭から否定できなくなる。

「その間に、どんだけのニアレーがばら撒かれるんやろな?」 

「ニアレーをばら撒く?」 

「アルヴ狩りとか、あいつの暗示やろ。ニアレーを使って扇動してるんや」 

「……」 

「何の為なんかはウチにもわからへん。でも、そうとしか考えられへん。プロットは誰にニアレーを売ってたんや? 考えろ、エイル。ああいう麻薬を一番欲しがる奴は誰や? どんな立場の人間が欲しがるんや? どんな組織が欲しがるんや? 依存性の高い最悪な薬を使うて、いったい何をするんや?」 

 エルデのいう事は決めつけであった。だがエイルはそんなエルデを否定できなかった。しかし、それでも止めたかった。

「でも……」 

 何かを言いかけたエイルの唇を、エルデの人差し指がふさいだ。

「アンタは、ウチが何者かもう知ってるやろ」 

 そう言うエルデの顔は珍しく微笑んでいた。

「アンタがウチの名前……《白き翼》という名を知ってるだけやったら、それでも良かった。でも、その名前の意味を知られたら、やるべき事はやらなあかんのや。ウチが現世に留まってるっちゅうのはそういういろんなもんに縛られる事でもあるんや」 

 そう言われてもエイルは腑に落ちなかった。

「ここまで言うても納得でけへん…っちゅう顔やな」 

 いつものようにエイルの気持ちを見透かしたエルデがそう言った。

「だって、そんなの理不尽だろ? お前はお前じゃないか。誰に任命されたわけでもないのにわざわざ自分からそんな役目ひっかぶる必要なんてないじゃないか? 正教会とか、四聖とか、そんなの全部捨てて、自由に生きていいんじゃないのか?」 

 エイルの言葉に、エルデの笑顔は深くなった。

「アンタはホンマにやっかいな性格やな。何事も腑に落ちるまで追求して、納得せえへんと収まらへん。あまつさえ自分のかざす正論が唯一の正解やと信じて疑わへん」 

「誰だってそうだろ?」 

 当たり前だ、という代わりにエイルはそう答えた。

 その唇にはまだエルデの指が当てられたままだった。振り払う事は可能だろう。だがエルデはこの件についてエイルには何もしゃべって欲しくはないのだ。そしてそれは黙って聞け、という意味ではない。そういう意味なら、遠慮せずにエルデはそれを口にしているはずだった。それをせず、あえて指を柔らかく唇に当て言葉を制止する意味……エイルはそれをエルデの懇願だと受け取っていた。

 できれば黙っていて欲しい。

 エルデはそうエイルに頼んでいるのだ。エイルに対して口に出して素直にものを頼めないエルデの、精一杯の意思表示に違いなかった。

 つまりそれはエルデ自身、自分が口にしている事を理不尽だとわかっているという証明のようなものなのであろう。

 エルデのいつになく穏やかな表情は、彼女の諦念を表しているかのようであった。そしてそこにはエイルがまだ入り込めない「何か」 があるのだ。

「アンタが納得する様に言わなあかんみたいやな」 

「納得させてみろよ。オレはお前が人を処刑する場面は見たくないんだ」 

 エルデは微笑んだままでつぶやいた。

「アンタがウチなら、きっと同じ事をするはずや」 

「え……」 

 エイルは虚を突かれて絶句した。だがエイルの様子を見たエルデは、その話の続きを敢えて避けるかのように話題を元に戻した。

「ウチが四聖なのは決まり事や。ウチの意思は関係ない。ウチがやめた言うても、周りは……ファランドールはそんな事認めてはくれへん。そんなウチが四聖の身でありながら《淡黄の扇》を見逃した事が他の三聖……たとえば《蒼穹の台》に知られたら……どうなると思う?」 

 どうなるかと問われてもエイルにその答えがわかるはずもなかった。エルデとてそんな事は百も承知であろう。

 エルデは美しい顔を近づけ、エイルの瞳の奥をのぞき込んだ。

「ウチは間違いなく《蒼穹》に粛正される。それが四聖同士の決まり事や」 

 そしてエルデはすぐに首を左右に振った。それはまるで次にエイルが口にしようとした言葉を先回りしたかのような仕草だった。

「残念ながら一対一では……ウチでは蒼穹……イオス・オシュティーフェに歯が立たへん。イオスにしてみれば、ウチなんか赤子の手をひねるようなもんやろな。ああ、言うとくけど、亜神はウチと同じ。みんな認証文だけでルーンを操る事ができるからウチに速度の優位性はないで」 

 その言葉は、エイルが持っていた謎の一つを、また消し去る効果があった。

 エルデが特別なのはその通りだ。だがそれはエルデだけが特別なのではなく、亜神が特別だという事だったのだ。

 違う言い方をするならば、認証文だけでルーンを操れる存在を亜神と呼ぶのだ。そう考えれば納得しやすい。

 エルデが持つ異常さは、それがすべて亜神のもつ能力であるという事ならば、全ての疑問が解決する。

 認証文だけで発動するルーン。

 恐ろしいほどの腕力

 並外れた回復力

 そしておそらくは知能の高さも人間と同じであるはずがなかった。

 理由はもちろん、エルデが人間ではなかったからだ。人を見下すような性格だったのは、本当に人を見下す立場にいたからなのだ。

 空間と空間、つまりフォウとファランドールをつなぐ道を開くほどの呪法が使えたのも、神と名のつく存在ならばこそ可能だったのだろう。

 異世界の人間を引きずり込む事ができたのも、人など超越した存在だったから可能だったのだ。

 エイルは改めて目の前の恐ろしいほどの美貌を持つ少女の顔を見つめた。

 エルデがこれほどまでに美しいのも、あるいは人ではないから……?

 だがそれにしては、エイルの目の前のエルデの顔は、妙に弱々しくてその微笑は頼りなかった。

「亜神ってのは、座標軸も固定しなくていいんだな?」 

 エイルはふと浮かんだもう一つの謎を投げかけた。ルーンの法則に真っ向から反旗を翻すかのような無法っぷりの最たるものである。

「ああ、それ」 

 エルデは忘れていた、という風に目を見開いた。

「あれは確かにものすごい優位性ではあるな」 

「亜神っていうのは本当にすげえな」 

「いや……ちゃうちゃう」 

「え?」 

「あれはたぶん、いや間違いなくウチだけやな」 

「おい、じゃあそれって……」 

「嬉しそうな顔やな。でも、早まったらあかん」 

 エルデは片手を上げてエイルを制した。

「あれはウチがアンタの体の中にいた時だけの効果や」 

「どういう事だ?」 

「アタマ悪いやっちゃな」 

「いや。いやいやいやいや」 

「アンタの体がどんだけ動いても、『ウチの体』は微動だにしてへんかった、っちゅう事やん?」 

「えっと……」 

 その説明でエルデが言いたい事はエイルにもわかった。

 要するにファランドールのルーンという力の法則ではエルデの体はエイルの体ではなくあくまでも「本来の体」 の事だということなのだろう。魂や意識がどこにあろうと、本体の座標軸が動かなければルーンが発動するというのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る