第六十七話 エルネスティーネの覚醒 6/6

 声の調子は落ちた。だが、込められた意思はますます強くなっているようにアキラには思えた。

「それでもまだ昔の痛みに怯えると言うのならば……拠り所が欲しいというのならば、私がそれになりましょう」

 一転、強い調子に変わる。

 その生まれと育ちから考えても、エルネスティーネが多くの人々を前にした際の語り方について優秀な教授陣から教育を施されているのは間違いないところであった。だが、それは予め準備されたものに対してである。アキラ自身もその教育についてはドライアドの例ではあるが、内容は知っていた。しかしエルネスティーネは用意された、あるいは用意してきた文面に計算された表現を上乗せしているわけではない。突発的に生じた群衆心理を収める為にいわば即興で行っている事である。しかももはや一部の好戦的な群衆の興奮を収めるという当初の目的を通り過ぎ、ある意味でこの世界のあるべき未来を説きはじめているのだ。即興という表現を使ったものの、それはもちろんエルネスティーネがずっと考えて来た事なのだろう。だからこそ、その思いは本物だ。その本物の思いを、自らが実現できると信じながら語りかける声に、教育によって培われた発声方法は確かに役に立つに違いない。だがそれよりも何よりもエルネスティーネが訴える言葉と声は、天性のものだと考えた方がアキラには理解しやすかった。

 アキラですらそう感じるのである。その場にいた多くのアルヴ達に、エルネスティーネの持つ言葉と声の力が作用しないはずはなかった。

「私は約束しましょう。見ての通り、私はちっぽけなアルヴィンですが、それでも私には普通の人が持ち得ない、強い力を持っています。私なら、その未来を少しだけこじ開けて皆さんにお見せする事ができるでしょう。その隙間からは、きっと誰にでも今話した未来の世界が見えるはずです」

 人々はすでにロマンの存在を忘れ、その意識は再びエルネスティーネだけに注がれていた。

 その場の中心に立つ、少し顔を上気させた可憐なアルヴィンの少女に。

「見えないかもしれないと思うのなら、耳を澄まして下さい」

「聞こえないかもしれないとおそれるのなら、そこにきっとあるのだと感じて下さい」

「感じられないのなら、今ここで手を伸ばして、この私に触れて下さい」

「触れてもなお駄目なのなら、ただ信じて下さい」

 区切り区切り、短い言葉を続けながら、いつしかエルネスティーネは目を閉じていた。

「私の事が信じられないのならば、自分自身が描く理想の世界を願うだけでもかまいません」

「恐怖や恐れは人が自ら生み出す病。私はそれを治す薬になりたいのです」

「私は今までも、そしてこれからもアルヴ族だけではなく、デュナンも含めた我ら人間全体の未来を祝福する鐘を鳴らし続けたいのです」

 エルネスティーネはそう言うと、その場で短い金髪を揺らして深々と頭を下げた。


「俺は」

 ティアナの横に寄り添うように立っていたファルケンハインが、小さくつぶやいた。

「勘違いをしていたようだ」

 頭を下げたままのエルネスティーネを見守る群衆は沈黙を守ったままだった。

 だが、やがてゆっくりと顔を上げたエルネスティーネに誰かが声をかけた。

「シルフィードの宝石!」

 それがエルネスティーネ・カラティアというシルフィード王国の王女に付けられた呼称だという事は、たとえ外国に住む者であってもアルヴならば聞き覚えのある言葉であった。

 その言葉を受けて、人々は改めてそこにいる小さなアルヴィンの少女を見つめ、そして各々の感情でその言葉を理解した。

 まさに王女の様な存在である、と。

 誰からともなく拍手がわき上がったのは、そのすぐ後であった。


「え?」

 ファルケンハインの言葉がざわめきに消され、ティアナは聞き直した

「ネスティは、実はイースさまではないかと疑っていた、という事さ」

 そう言うとファルケンハインはティアナの肩を軽く叩いた。

「ネスティには間違いなく王の血が、カラティア家の血が流れていると確信した」

 ティアナはしかし、ファルケンハインとは違う思いが胸に去来していた。

 それは「これが本当に私の王女さまなのか?」という単純な疑問だった。ティアナの知るエルネスティーネ姫はこんなに強い少女だったろうか?むしろ別人なのだと言われた方がティアナにとっては納得しやすかった。

 言葉を探すようなティアナに声をかけたのはファルケンハインではなく、後方にいたアプリリアージェだった。

「子供はいつか大人になるように、ネスティに流れるカラティアの血が、今ここで覚醒したのですよ」

 それは彼女の風のフェアリーとしての能力で、その場にいた特定の人間だけが聞こえるように発せられた声だった。

 思わず振り返ったファルケンハインとティアナは、そこに珍しく微笑を浮かべていない黒髪のダーク・アルヴを見つけた。

「ティアナ、私達は今、ここで王の誕生に立ち会ったのです」

 ティアナは改めてエルネスティーネを見た。

 並び朔月の夜にエッダを後してから、わずか三ヶ月程度である。だが、視線の先の少女はすでに彼女の知る王女エルネスティーネとは違う顔に見えた。

 それはエルネスティーネの精神的な成長にともなって顔つきが変わったという感覚的なもの以外に、もっと別の物理的な変化があるように思えた。

 三ヶ月どころではない。この数十分で、物理的に面変わりをしたとしか思えない変化だった。


「顔が違って見えるのではないですか?」

 アプリリアージェの言葉は、もちろんティアナに向けて投げられたものだった。だが、その言葉にアキラも反応した。

 アプリリアージェに言われて、アキラは全身に鳥肌が立つのを感じた。

 確かに顔が少し変わっているように見えた。大人っぽくなったと言えばいいのだろうか。少女らしい愛らしさがやや影を潜め、少し影を感じるような厳しさを帯びた顔立ちになっていると思えてならなかった。

(どういうことだ?)

 アキラがそう自問した時、ティアナが小さくつぶやいた。

「エッダを出る夜、私はイース様とエルネスティーネ様を初めて同時に見ました」

 アキラはでかかった言葉を飲み込んだ。

「その時、ミドオーバ大元帥がおっしゃったのです『ルーンを使って似せている部分がある』と」

「それが切れたのでしょうね」

 アプリリアージェがティアナの言葉を継いだ。

「かけられたルーンもしくは呪法は弱くなっていたのでしょう。そこへ彼女の強い意志や思い、願いといった精神的な波動が高まって、何らかの解除効果をもたらしたのでしょうね。私にわかるのはその程度です。ここにエルデがいればもっと正確な説明をしてくれるのでしょうが……」

 アプリリアージェはティアナとファルケンハインを交互に見つめ、さらに付け加えた。

「でも、それで私は確信しました。私達のネスティはエルネスティーネ・カラティアです。間違いありません」

「わかるのですか?」

 これはファルケンハインである。

 少し前にアプリリアージェと交わした会話をずっと気にしていたのだろう。あやふやな言い方をしていたアプリリアージェが断定できる物が何かを知りたかった。

 しかしファルケンハインのその願いは叶わなかった。

「ええ、私にはわかるのです。でも、理由は聞かないで下さい」

 アプリリアージェがそう言った時は、問い直しても無駄だという事をファルケンハインは知っていた。だからティアナがまだ何か訪ねようとするのを、その手をそっと握って制した。

 理由はわからないにせよ、これで胸のつかえが取れた気がした。だが、そんなファルケンハインの心を突き放すような言葉をアプリリアージェはぽつりとつぶやいたのだ。

「もっとも、そんな事はどっちでもいい事ですけどね」

 それは本当に小さな声で、ファルケンハインにもほとんど聞き取れない、独り言のようなつぶやきだった。

 思わず振り返ったファルケンハインはしかし、もうそこにアプリリアージェの顔を見つける事は出来なかった。

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