第六十七話 エルネスティーネの覚醒 5/6

「あなた方がここを出て、報復と称して何人かのデュナンの命を奪ったなら、それは本人の傷になる事はもちろん、次の世代にも傷として残っていくのですよ。すでにハイデルーヴェンでアルヴ族が襲われ、多くの人が傷つき命を落としたという事実は作られてしまいました。それは貴方たちの傷となり、その事実は同時にデュナンの傷にもなります。アルヴとデュナンがケンカをして『ピクシィ殺し』と罵られた際、同様に『アルヴ殺しのくせに』と言い返す理由ができてしまったのです。でも、それを貴方たちは子供に、孫に引き継がせるつもりですか?本人にそのつもりはなくても、傷は人間の心から心に伝わってしまうものです。そしてその傷が悲鳴を上げたときに、また新たな傷を生んでしまうのです。そうやって私たちは生きてきました。私たちはそんな争いを続けるために生きているのですか?お互い争い合い、一つの人類だけが生き残れば、全ての傷が解放されるのですか?」


 房の人々はエルネスティーネの呼びかけにただ、集中していた。確かにエルネスティーネがかざす将来の世界は理想的かも知れなかった。だが、その理想で今の憎しみが消されるものではないのも事実である。

 しかし、エルネスティーネが小さな体を一杯に使って……両手を、眼差しを、時に大きく、そして時にささやくような声を使って呼びかけ続けるうちに、人々は自ら飲み込み、そして心の内に深く食い込んだ暗いくさびがもたらす痛み……その痛みが、徐々にではあるが和らいでいるのを感じていた。

 そこへ、ある人物が声をかけた。

「なるほど、私たちは今、目の前の敵を討つより、そのすばらしい将来に命をかける方がいいのかもしれませんな」

 それは、アキラのすぐ隣にいるロマン・トーンその人であった。

 房の人々は一斉に声のする方へ顔を向けた。それがロマンの発言であるとわかったからだ。

 この騒ぎに際しても沈黙を続けていた房の実質的なとりまとめ役であるロマンが初めて声を出したのだ。注目は当然であった。

 房内は静まりかえったまま、まるで一つの意思であるかのように全員がロマンの言葉を待った。

 それはエルネスティーネも同様であった。

「しかしながら、お嬢さん。私はあなたに一つ問いたい」

「何なりと」

 エルネスティーネは背筋を美しく伸ばしたまま、柔らかな表情で応えた。

「我々が今ここであなたの描くその将来に賛同したとして、それが無駄にならないと言い切れますかな?」

 ロマンの言葉に、アキラは唇を噛んだ。

 まっとうな反応であった。大人の反応だと言い換えてもいいだろう。エルネスティーネの話には当然ながら何の保証もないのだ。

 世の中の情勢を知るものであれば誰でも、この先二つの大国の間で勃発する戦争によってファランドール全体が混乱の時代に入る事は予想している。ハイデルーヴェンのような国際的な街の人間ならばそう考えないものは居ないはずであろう。

 そんな混沌を目の前にして、一人の少女が語るただの理想、ただの夢に本気でつきあおうとする方がばかげている。

 とは言え、エルネスティーネとてそれは百も承知であろう。ただし、憎しみと怒りが生んだ衝動的な暴動を収める事には成功したと言える。少なくとも多少なりとも冷静な話し合いが出来る空気を作ったのだ。ここでロマンが出て場を収めればそれでいい。つまりエルネスティーネの当初の目論見は成功したと言えるだろう。

 だが、そうであればロマンの問いかけはいささか対決姿勢が強いようにアキラには思えた。

 話を引き継ぐような形で場を譲り受ける方がいいのではないだろうか?

 あるいはエルネスティーネの前に出て彼女の持論をたたえた後、実質的な指示なり願いなりを伝えた上で収束を謀る方がよかったのではないのか?

 アキラであればそうしたであろうし、アキラがロマンの参謀であれば、そのように提言したに違いない。

 しかし、ロマンは房の責任者という立場でなく、一人の大人のアルヴとして、直接的な思いをそのまま少女にぶつける事を選んだのだ。

 それはアキラがデュナンであり、ロマンがアルヴであったからだろう。

 その事をアキラが理解するのは少し先の話になるのだが、どちらにしろその場の主役は二人ともアルヴ族であった。命よりも自らの誇りを上位に置くその気質が、ロマンをしてそうさせたのである。

 そしてまたエルネスティーネも紛う方無きアルヴ族であった。

 ロマンの言葉を正面で受け止め、自らの矜持で返したのだ。

「ならばお尋ねします。あなたは保証がない事柄に関しては一切行動を起こさないのですか?」

 尋ねる、と言いながら、エルネスティーネはしかし、ロマンに回答を求めているのではなかった。間を置かず、言葉を継いだのだ。

「それこそ我々アルヴ族が嫌う、矜持を持たず損得という価値観で物事を判断するデュナンの論法なのではありませんか?」

 その言葉はその日で一番強く、人々の耳に届いた。

 まるでエルネスティーネの裸の意志が、そのまま胸にささるような、一番大きな声でもあった。

「デュナンができないのなら、アルヴがやるべきです。アルヴが出来ない国作りはデュナンがやればいい。我々は共存できるのです。そして今ある隔たりは溶け合ううちに互いに理解し合えるのです。人類が文字通り種族の壁を越え混ざり合い、ファランドールが一つの人類おそらくは『デュアル』と呼ばれる単一種に辿り着くのには、気の遠くなる程の時間がかかるでしょう。もちろんそこには保証などありません。少なくとも私たちが生きている間には実現しない考えです。でもその世界に踏み出せるのは、今この時代に生きている私たちだけなのです。いえ、私たちが最後の可能性にちがいありません」

 エルネスティーネはそこで少し間を開けたが、ロマンは、何も応えなかった。

「アルヴの血が流れている人間であれば、心のどこかに過去の痛みを持っている事でしょう。そして同時に二度と同じ事を繰り返してはならないという誓い、さらに将来を担う新しい世代には、痛みではなく希望を抱いてほしいという願いがきっとそこにある。そう私は信じています」

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