第六十八話 囚われ人 1/4

 後に「ハイデルーヴェンのアルヴ族襲撃事件」と称されるいわゆるアルヴ狩り事件の原因については諸説あるが、考証の結果現在では一部の過激分子が催眠性の薬物を用いて集団を操ったものだという説が有力である。

 首謀者が誰であったのか、その薬物がいったい何であったのかは未明に起こった正教会と新教会による小競り合いで生じた混乱で多くの建物が証拠と共に消失したために一切謎のままだが、その薬物とはキセン・プロットが一部の学生を使って流通させていたと言われるニアレー麻薬であろうと言うのが大方の見解である。

 目的はもちろんアルヴの排除であるが、そこには単なる学生のデュナニズム(ファランドールは最も正当で優秀な人類であるデュナンだけで統治すべきだという主張)だけではない、別の思惑が見え隠れする。

 今では周知の事実となっているが、正教会と違い新教会はそもそも戦争を否定していない。僧兵と呼ばれるそれなりに強力だとされる組織された軍隊を有していた事からもそれがわかる。

 それら僧兵を組織化して率いていたのが僧正と呼ばれる存在である。そして記録に残っている僧正はその全てがデュナンだったのだ。

 対する正教会は基本的に種族の偏りはない。とは言えルーナーがデュナンに多いので賢者の構成比率はデュナンが一番多かったと伝えられているが、賢者についてはあまりに記録が少なく、実際のところは不明である。

 だが、少なくとも正教会の「表」の組織の幹部・上層部にはアルヴをはじめアルヴィンなどのアルヴ系の人間も多い。つまり比率としてのデュナンの優位はあるものの、偏ったものとは言い難い。

 そう考えるとデュナニズムを具現化しようとしていたのは新教会で、ハイデルーヴェンでのアルヴ狩りの影で暗躍していたのは急進派の一部の僧正達であったという噂もあながちでたらめな考えとは言えないであろう。

「一部」と但し書きがあるのは、未明に起こったと言われる小競り合いは正教会と新教会の間でのものではなく、新教会同士の争いであったという説が伝えられているからである。



「どうだ?」

「快調や……とはいいにくいな。正直言うて芳しゅうはないな」

 そこにはあまり光量がなかった。

 しかもだだっ広い工場のような空間に居ながら、少年と少女は部屋の隅の、壁沿いに座っていたのだ。

 声をかけたのはエイルで、応えたのはエルデである。

 エルデの意識は、すでに自分の体に戻っていた。

 徐々にではあるがエルデの体の修復が進むと、頃合いを見て意識を移したのだ。戻したといった方がいいのだろうが、客観的にはどちらにしろ移動に違いない。

「芳しくないどころか、どう見てもへろへろじゃないか。ドブにはまった酔っ払いでも、もう少ししっかりしてるぞ」

「その例えはケガで弱ってる若い娘に対して浴びせるには、ちょっとひどすぎへんか?」

「それどころか、全然足りないな」

「ふ……むかつくのに、おなかに力が入らへんわ……」

 エルデとしてはエイルの意識を消滅する可能性がある為に、その体を長く共有するわけにはいかないという思いがあった。

 エイルにしてみれば、エルデのその思いがわかっていただけに、自分が腹立たしかった。自分の体にまだほとんど力が入らない状態なのに、エルデが早々と元の体に戻った事に対して、だ。だからエイルはその小さな怒りを声色ににじませてエルデにぶつけてしまった。

 エルデはエイルに抱きかかえられるような姿勢で上体を起こしていたが、自分ではまだ体を支えることができなかった。エイルが言うとおり、芳しくないどころではない。ほとんど死体だった状態からみれば、確かに回復はしている……いや、動いてしゃべっているのだから、もはや奇跡のような回復といっていい。しかし今エルデの現状を見た人間は、百人中、百人全員がエルデがそろそろ死の淵に立とうとしていると信じて疑わなかったであろう。エルデはそれほどひどい状態だった。

 外見上は胸に開いた傷は既にふさがれて、傷跡すら、もはや無いようだった。だが出血が激しかった為に、造血にかなり手間取っているのだという。

「そう言えば、血は作れないって言ってなかったか?」

「作れへんわけやない。造血ルーンはあるにはある。そやけどそれは高位ルーン、それも相当強力なルーンを使わなあかん。つまりアンタの体におるウチは使われへんかった、というんが正しいかな。そやから最低限の生命維持が出来るようになったから自分の体に移って、それをやってるところや」

 仮であるエイルの体を使う場合と本来の体とでは、エルデが使うルーンの効果が相当違う事はエイルも既に理解していた。そもそも亜神がまともにルーンを使うと、周りのエーテルが反応して自ら精霊陣を形作るのだ。エイルは空中に舞う羽毛や光の帯の出現にいまだに驚いていた。

「これはウチがまだ未熟な証拠やけどな。いちいちルーンを唱えたらこれやもん。ちょっと目立ちすぎるやろ?」

 他の亜神、つまり三聖達はその光る精霊陣を発生させないように制御できるだろうと、エルデは言った。

 ここまでくるとエイルにもシグ・ザルカバードがエルデに強化ルーンや攻撃ルーンを教えなかった訳がわかっていた。使うと普通のルーナーで無いことが知れるから……だから何も教えなかったのだ。ただ、力を制御することだけを教えたのだ。そう考えると、すべてに納得がいった。

 ユート・ジャミールのルーン暴発事件からラウを救った際に放ったという炎のルーンの時は、おそらくすべてがとっさの事で、ラウには何が起こったのかを把握する余裕さえなかったに違いない。


「師匠の話やと、三聖は皆相当の年齢みたいやしな。ウチとは習熟度からして違う」

「いやいや、お前の実年齢は三千歳以上なんだろ?だったら最年長じゃないのか?」

 その言葉にエルデの右の眉が大きく吊り上がったのをエイルは見逃さなかった。それは大きな声で辛辣な言葉が矢継ぎ早に飛んでくる合図だった。だがエルデはそこまで回復していたわけではなかった。

「体に力が入ったら、その口を帆布用の糸で縫い付けたるから、覚悟しときや」

 その言葉を聞いたエイルは少し安心した。もちろんわざとからかったのだ。もしもエルデがこの他愛ない挑発に無反応なら絶望感に襲われたかもしれない。だが、声に力はなかったものの、軽口をたたける気力はあるようだった。

 あとは時間をかければいい。そう思えたからだ。

 だから次の言葉には、素直な気持ちが込められた。

「お前がそこまで回復するなら、オレは嬉しいさ」

 エルデはその言葉を聞くとため息をついた。

「まあ、ウチはそもそもがハイレーンを能くする亜神の一族やし、どっちみち攻撃とか強化とか、そっちの細かい制御は不得意なんや」

 いつか聞いた話、エルデがハイレーンとして修行したというのは、本質を語ったのではない。そもそもがエルデは治癒の力を司る亜神の一族なのだから。

 エイルはもう、そんな事もすべて理解している気がした。

「イオス・オシュティーフェ……《蒼穹の台》はコンサーラ。《深紅の綺羅》はエクセラーの一族らしい」

「それはシグ・ザルカバード情報か?」

 エルデはうなずいた。

「そもそもお前とあの《真赭の頤》とはどういう関係なんだ?お前はその……亜神だし、シグは人間で、大賢者なんだろ? どう考えてもただの師匠と弟子じゃないって事はさすがにオレにもわかってきた」

「ザルカバード……いや、ザルカ族は、もともとウチを守護する一族や」

「守護?」

「師匠はファランドールで最も古い十二の家系の末裔や。正確に言うとザルカバードはザルカというその最も古い十二の家系の一つで、まあ、言うたら正統な傍系っちゅうところかな」

「正統な傍系……って、かなり微妙な立場だな」

「ザルカの本家筋はとっくに滅亡してるらしい。でも、それはザルカに限らへん。残ってる方が少ないんや。そもそも亜神の家系も傍系で成り立ってるしな。《蒼穹の台》を名乗るイオスはティーフェの傍系、オシュティーフェ一族、《深紅の綺羅》を名乗ったクレハ・アリスパレスはアリス一族の傍系や」

「そうか。何千年も前からの話だもんな」

「千やない。万の単位や」

「え?万?マジ?」

「マジや」

「ほえーっ」

 エイルはため息をついた。フォウにはそんな家系など存在しない。そもそもそれなりの文明が出現してからせいぜい数千年と言われているのだ。

「むしろ直系が残っているって事の方がすごいと思えてきた」

 そのもっともなエイルの問いかけに、エルデはうなずいた。

「残ってるのは二つか三つくらいやな。《黒き帳》の一族と、大賢者天色の槢(あまいろのくさび)を受け継ぐタ=タン一族とかやな」

三聖黒き帳はなんていう一族なんだ?」

 エイルの疑問はもっともだった。エルデは《黒き帳》の現名だけ、告げなかったのだ。

「……」

 しかしエルデは問いかけに答えなかった。

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