第六十七話 エルネスティーネの覚醒 4/6
「理想論だろう?」
静かな声が広間に響いた。
エルネスティーネは言葉と言葉の間に少し間を置き全体を見回す。それはおそらくそういう意見を受け入れようとして敢えて作った「間」なのであろう。そこに声が答えたのだ。
「お嬢さん、あなたは肉親や親友を殺された私達の憎しみが本当にわかってるのか?」
その声は戦闘部隊ではない、遠巻きの人々の中から発せられたものだった。
「そうだ。俺は昨日まで一緒にいた同室の友人を失った」
これはまた違う声だ。同じく遠巻きの人々の中からの声である。
「わ、私は兄を殺されました」
女性の声だった。
エルネスティーネはそれらの声に小さく頷いていたが、顔を上げると少し大きな声でこう言った。
「私は父を、デュナンに殺されました」
それはとても強い声で、アキラは一瞬ではあるが耳を射られたような気分になった。エルネスティーネが初めて見せる、怒気、あるいは嫌気が混じった声であった。
「父だけではありません。私の事を思って下さる大切な人々が大勢デュナンの手によって命を落としました」
継いだその言葉には、もう怒気はなかった。ただ、悲しみと寂しさに満ちた沈んだその声は、耳に長く残った。
アキラはエルネスティーネのその言葉を聞いてハッとした。
広間に居る人間は中央で語り続ける少女の正体を知らない。だがアキラはそれが一国の王女、いや今は女王である事を知っていた。つまり娘であるエルネスティーネは父王であるアプサラス三世の死因がデュナンによる暗殺だと公衆の面前で暴露したのだ。
いや、それよりその言葉が本当なのかどうかがわからない。
アキラは思わずアプリリアージェを見た。
「あの子が自分で辿り着いた結論でしょうね。私は何も言っていません」
アプリリアージェは視線をエルネスティーネから動かさずに、小声でアキラにそう告げた。
それはつまり、エルネスティーネの言っている事が正しい……少なくともアプリリアージェはエルネスティーネと同じ意見だと言っているに等しい言葉であった。
「何だって?」
思わずそう口をついた。続いていったいシルフィードの内部はどうなっているんだ?と言おうとしてアキラは慌てて口を閉ざした。
シルフィード王国内部に現体制を転覆しようとしている勢力があるとするならば、首都エッダはかなり不安定な状況にあると言えるだろう。
先王アプサラス三世の大葬はその中で行われるのだ。アキラが急ぎ合流すべき相手であるエスカ・ペトルウシュカはそれとは知らずに動乱の渦中に足を踏み入れる事になるやも知れぬ。
アキラの鼓動は一気に跳ね上がった。焦りと不安が血流を氾濫させる。何よりアキラが落ち着かないのは、ミリアから聞かされたエスカの「副官」に収まったという正教会の賢者の存在だった。エスカの最も側にいて、手を伸ばせば常にその首筋に届く立場の人間が、あろうことか正教会の中枢にある人物。その人物が凡庸な人間でないことは、ミヤルデ・ブライトリングの情報からも明らかである。なにしろ五大老を凋落した上で堂々とエスカの首の鈴という立場を得たのだから。
そこまで考えて、アキラはもう一人の側近の事を思い出した。セージ・リョウガ・エリギュラスである。彼はアルヴィンだ。ハイデルーヴェンに入っていたとして、この混乱である。まさかとは思うものの、生まれた不安の種火を完全に消す事はできなかった。
「私はウンディーネで生まれ育ったアルヴですが、一度シルフィード王国の首都であるエッダに訪れた事があります」
いつの間にかアキラの横にたっていたロマン・トーンの声であった。
「エッダに滞在中、王室のある式典が行われたのです」
ロマンは小声でそうしゃべりながら、ずれかけていたアキラのフードを直した。うかつな事にアキラは自分が今、アルヴ族の中に只一人いるデュナンであることを忘れていた。だが、それ以上にロマンが言おうとしている事に興味を抱いた。
ロマンはアキラが目で会釈をするのを見ると小さくうなずいた。話を続けていいという合図ととったのだ。
「私は野次馬としてその式典を見ておりました。その式典というのはシルフィード王国の宝石と呼ばれる王女様の生誕記念式典でした。王宮前広場は人で溢れていて、外国人の私などはお近くには寄れず遠巻きにただ見とれていただけでした」
アキラはロマンの言葉を聞きながらアプリリアージェの様子をうかがった。もちろんエルネスティーネの正体に辿り着いてしまったこのアルヴにいったいどう対応するつもりなのか、興味があったからだ。
いや。アキラが知るル=キリアの司令官であれば、秘密を知る人間は容赦しないはずである。つまり不安の目でアプリリアージェを見たのだ。冷静に考えればアキラにはロマンを守る義理はない。だがデュナンであるアキラを最初から色眼鏡で見ることなく接してくれた器量を持つ人物である。この房にいるアルヴ族達にも知名度が高く人望があついという。アプリリアージェがそんな人物を簡単に抹消しようするのを、黙って捨て置けるアキラではなかったのだ。
だが、アキラのそんな不安は杞憂に終わった。
アプリリアージェは微笑を浮かべたまま、その視線はエルネスティーネに固定されていた。
もちろんロマンの声はぎりぎりであろうが、聞こえているはずである。アキラの視線も当然ながら感じているだろう。その上で微動だにしないのだ。
(許容しているのか?)
それだけではアプリリアージェの心情を把握する事はできなかったが、それでもすぐにどうこうするようすは感じられなかった。
「長い金髪をした王女様は、それはそれは愛らしい笑顔で祝福のために集まった大勢の人々に澄んだ声でお礼の挨拶をされていました」
アキラはそれでもロマンの話が核心に近づくにつれ、緊張が増してきた。
ロマンは柔らかいため息を一つつくと続けた。
「髪型こそ違いますが、あのお嬢さんのお顔は、王女様にそっくりですな。でも……」
「でも?」
思わずアキラは聞き返した。
ロマンが小さく首を横に振ったからだ。
「人違いでした」
「……」
「エルネスティーネさまは笑顔が素敵な、ただただかわいらしいだけのお姫様でした。ですが、あそこにいるお嬢様は厳しくて悲しくて、そして何より強く気高い。他人のそら似でございました」
ロマンの言う事はアキラにはよくわかった。初めて出会った時の印象と、まさに今そこでロマンが形容した通りの存在感を持っている短い髪の少女に対する感情は全く違うものになっていた。
「ただ守られる立場の人間と、普通の人間は考えもしないような大きなものを本気で守ろうとする人間とは、纏っているものが根本的に違うでしょうね」
アキラはそう言って相づちを打った。そのままもう一度アプリリアージェの表情を伺うと、そこには目を閉じて静かに笑っているダーク・アルヴの少女がいた。
「私たちの世代から憎しみや嫌悪、固定されてしまった誤解などを消し去る事はできないかもしれません」
エルネスティーネは続けてた。
「けれど、消せないからと言ってそのままでいいのですか?ご存じの通り私の、いえ私たちの祖先はかつて一つの種族をこの世から消し去ってしまいました。私たちアルヴ族はその事実を深い心の傷としてずっと引きずっています。でも、ピクシィを滅亡させたのは私ですか?あなたですか?あなたの両親ですか?」
三千年前の話である。だが、ほとんど全てのアルヴ族は、その事を一生負い目として背負っている。デュナンがアルヴを徹底的に罵倒する時、必ず引き合いに出すのもその「傷」であった。これを引き合いに出されたアルヴは、少なくとも暴力に訴える事はできなくなる。それほどの力を持つ「戒め」なのだ。
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