第六十七話 エルネスティーネの覚醒 2/6

 見かねたアキラが思わずその男を止める為に駆け寄ろうとしたが、行動を予測していたアプリリアージェに止められた。アプリリアージェがアキラの肩をつかんだのは、足を動かそうと筋肉に力を入れた瞬間であった。すなわちアキラは一歩も動けなかったのだ。

 全く同じ反応をしたティアナは、同様にファルケンハインに止められていた。

「大丈夫です」

 いつもの優しげな声で、アプリリアージェはアキラにささやいた。

「本当にいざとなったら私が動きます」

 それはいざとなってもお前は動くな、と言っているようなものであった。

「あなたは本当に動くのか?」

 アキラは口から出かかったその言葉を、寸前で飲み込んだ。

 アプリリアージェの顔を見たからである。

 その褐色の顔から、いつもの微笑みが消えていたのだ。

 笑みが消えたアプリリアージェの表情はまるで作り物のようで、アキラではなくただまっすぐにエルネスティーネを見つめていた。そこからは何の感情も読み取れなかったが、アキラはそのまま視線を落とし、思わずつばを飲み込んだ。

 落とした視線の先にアプリリアージェの左手があった。そこにはいつの間にか折りたたみ式の小型の弓が握られており、その小指には細く短い、特殊な弓が二本握られていた。 アキラはそれを見てある事に気付くと、斜め後方にいるテンリーゼンを振り返った。入れ墨が顔を覆い、いつもの通り表情からは何もわからない。だがその右手は懐に入れられたままの状態であった。


 緊張感に支配されているアプリリアージェ達を尻目に、当のエルネスティーネはしかし、アルヴ達の威嚇にも微動だにしなかった。

 いや、それどころか、剣を掲げたその男に向かって一歩近づいたのだ。

「その剣で私を刺せば、あなたの憎しみが少しでも癒えるのであれば、そうすればいいでしょう。でもそうすると、きっとあなたにはさらに深い悲しみが訪れます。それを癒す為にあなたはさらに誰かを傷つけるつもりなのですか?」

 そう言ってエルネスティーネはさらに一歩近づいた。両腕はいつの間にか大きく広げられていた。

「ち、近づくな」

 男が怒鳴った。

 だがエルネスティーネがさらに一歩踏み出すと、今度はたまらず後ずさりをして、剣を下ろした。

「これは、デュナンの総意ではありません」

 男が剣を下ろすの見届けると、エルネスティーネは前進をやめた。

「同様にあなたたちの憎しみも、アルヴ族の総意であってはならないのです」

 エルネスティーネはそう言うと対峙した部隊から視線を外し、遠巻きにしている全員をゆっくりと見回した。

「ここにいるのは、アルヴとアルヴィン、ダーク・アルヴ。そしてデュアル……」

 そこで言葉を切ると、エルネスティーネは再び戦闘部隊に対峙した。

「あなたたちがデュナンに対して同胞の敵を討ちたいと言うのならば、ここにいるデュアルも、半分だけ殺めるのですか?」

「そ、そんな事は言ってない」

「同じ事です!」

 ピシャリと言い放つエルネスティーネに、男は怯んだ。声にではない。おそらくはその眼差しに射貫かれたせいであろう。エルネスティーネの声はきつい一言でさえ、人を刺すような要素がないのだ。

 冷静に考えるまでもなく、エルネスティーネの言う事は戦闘部隊の一人が指摘したように、詭弁と言われても仕方の無いものであったろう。

 だがその場の誰一人として、もうエルネスティーネに対してその点を指摘する人間はいなかった。


 エルネスティーネの話はますます熱を帯びていった。両手を広げ、短いながらも昼星の光を凝縮したかのような軽めの金髪をなびかせ、緑の瞳で広間全体を見渡しながら、その小さな体をいっぱいに使って訴えた。

 種族同士が憎み合い、争い会う事の悲劇を。

 そして後に残るものが味わうであろう長い長い痛みを。

「皆さんは考えたことがありますか? ファランドールには、いったいなぜこんなにも多くの種族がいるのかを。私はそれをずっと考えていました。いえ、今も考えています」

 広間には一種独特な静寂が広がりつつあった。武装した二十名ほどのアルヴ達はもう何も言わず、そこにあるのはエルネスティーネの心地良い声だけとなっていった。


 エルネスティーネはピクシィについての話題に触れた。

 皆が一様に胸に抱いていたアルヴ族の多くの人間が知っている黒い歴史。それはアルヴ族の国シルフィード王国が犯した消える事のない罪である。

 エルネスティーネは敢えてその事実を取り上げたのである。

「その黒い歴史をぬぐい去る方法は大きく分けて二つあると私は考えます」

 一つ目は戦いだとエルネスティーネは言った。

「このファランドールをアルヴ族だけの国にすればいいのです」

 その言葉の持つ意味に、静まりかえっていた広場が再びざわめき始めた。だがエルネスティーネはそのざわめきが声に変わる前に、話を継いだ。

「デュナンを皆殺しにしてしまえば……ファランドールを私達アルヴ族だけにしてしまえば、我らはもう二度と後ろめたい思いをする事はないでしょう。なぜならアルヴ族は憎むべき相手を滅ぼしただけなのですから」

 それだけ言うとエルネスティーネは再び両手を広げ、その場でゆっくりと一回りして広間にいる全員を改めて見渡した。

「一つ目の選択肢は実に単純で簡単です。子供でも思いつく事でしょう。ただ戦えばいい。そして全員を殺せばいいのですから。でも二番目の選択肢はとても困難です」

 二番目の選択肢。

 エルネスティーネが考えたというアルヴ族の胸に澱のようにこびりつき、そして受け継がれていく後ろめたさ。デュナンがアルヴを罵る時に最後に引き合いに出す傷。

 それを洗い流せるものがあるなどとは誰も信じてはいなかった。

 だが、当然ながら第一の選択肢が誰も正しいとは思ってはない。戦闘部隊の二十数名も自分たちに正当性はあると考えてはいても、それが人として正しい行いだとは思ってはないはずである。

 だからエルネスティーネの『二番目の選択肢』を、その場の人々は耳を凝らして待った。もちろん視線は広間の中央に立つ小柄なアルヴィンの少女に釘付けだった。

「二番目の選択肢。それはこのファランドールに生きとし生ける者全てが、解け合い、混ざり合い、繋がり会う事です」


 エルネスティーネの言葉は、ある種の力をもって房の広間を支配した。

 アキラはふと、すぐ側にいるアプリリアージェの様子を横目で見た。弓と矢をそれぞれの手に持っていたアプリリアージェは、両手をだらりと下げ、そして目を閉じていた。その表情にはいつもの微笑が浮かんでいる。

 アプリリアージェにはエルネスティーネの言葉がどういった形で届いているのか、アキラはそれを知るよしもない。だが目を閉じてほほえむ褐色の肌の美しいダーク・アルヴの表情には、見るもの全てを安らかな気分にさせる、そんな穏やかな気持ちしか感じ取れなかった。

 翻ってその広間にいたアルヴ族達はどうか?

 アキラが見渡したところでは、多くは戸惑った表情を隠しきれずにいた。それはアキラとて同じである。エルネスティーネが言っている事は荒唐無稽なのだ。「困難」どころではなく、まさに絵に描いた理想なのである。

 だが、エルネスティーネとてそう思われる事は百も承知であったろう。

 少し間を置くと、話を続けた。

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