第六十七話 エルネスティーネの覚醒 1/6

 アキラ・アモウル・エウテルペは我が目を疑っていた。

 目の前にいる緑色の瞳をした少女……アルヴ族にしては短い金髪を揺らしながら、その少女は整った顔で広間にいた全ての人間を見渡すように、小柄ながら精一杯背筋を伸ばして立っていた。

 その姿を見たアキラは「堂々とした」などという簡単な形容しか思いつかない自分を恥じていた。エルネスティーネはアキラの目を細めさせる程のまぶしさをいつの間にか身にまとっていたのである。

 アキラは再度、目の前のエルネスティーネの姿を表現するのにふさわしい言葉がないかと頭の中を家捜しした。

 だがそれはアキラにとっては都合のいい逃げ道を探しているだけの行為なのかもしれない。アキラはすでにその語彙の中にある言葉を見つけていたのだ。いや、感じていたのかもしれない。それはある感情を表す言葉で、そしてアキラはあまりに俗っぽいその名称を自分の感情を表す名詞だとは認めたくなかったのである。

 自分よりも十歳近くも年下で、しかも世間知らずのかごの鳥だと思い込んでいた少女に、瞬間的に心を完全に奪われてしまったことを。

 だからその感情にふさわしいもっと別の言葉を模索していたと言った方がいいのかもしれなかった。

 澄んだ翡翠を陽に透かしたらああなるのだろうかと、エルネスティーネの目を見てアキラはいつも思っていた。

 その美しさを認めることについてはアキラもやぶさかではない。だが、アルヴィンの少女は、デュナンから見ればその小柄さ故に、まるで子供のように見える。

 そんな少女に己が見惚れてしまった事を素直に認めるには、アキラの心はいささか世間の澱が溜まりすぎていた。

 つまりその時のエルネスティーネは、アキラにそんな少年めいた悩みを抱かせる程の強いエーテルに包まれて、いや、自ら纏っていた。

 緑色の目で、

 ぐいっと引いたあごで、

 そして凛とした立ち姿で、その場にいた多くのアルヴ族に対峙していたのだ。


「だったらお前は、俺達アルヴはただおとなしくデュナンにやられればいいって言うのか?」

 エルネスティーネに正対する形で寄り合っている集団は、もちろんエルネスティーネに対して友好的な態度をとっているわけではなかった。

 彼らは二十人ほどだろうか。

 皆一様にその手に槍や剣、中にはツルハシやスコップ、ただの木の棒といった何らかの武器もしくは武器に準じた得物を手に持ち、中にはそれを誇示するかのように振り上げてエルネスティーネを威嚇していた。


 房にいた人々は、この騒ぎでほとんどがその大広間に集まっていた。

 彼らは中央に立っているエルネスティーネと武装したその二十数名の集団を取り囲むような形で立っていた。もちろん全員がいったいどうなるのかといった不安そうな面持ちで、口をつぐんだまま両者のやりとりを聞いていた。


 エルネスティーネは本当に一人だった。

 いつもすぐ後ろに控えているはずのティアナは、アプリリアージェの厳命で近づく事を許されなかったのだ。

 ティアナはアキラのすぐ近くにいた。白髪のアルヴは珍しいからすぐにわかる。おそらくエルネスティーネにもティアナの場所はすでに特定できているはずである。ティアナのその横にはファルケンハインが立っていた。彼は不安を隠さない、いや隠せないティアナを守るかのように肩にそっと手を置いていた。

 アキラ達は皆、エルネスティーネの正面、ただし遠巻きする人々全体を見渡せる広間の壁近くに位置していた。

 房内には背が高いアルヴが多い。いきおい小柄なダーク・アルヴのアプリリアージェやメリド、それにアルヴィンのテンリーゼンは椅子の上に立ってそのやりとりを見守っていた。

 そのテンリーゼンの足下を見たアキラは、緊迫した場の雰囲気にもかかわらず、思わず笑みを浮かべ、その後すぐにバツが悪そうに視線を逸らせた。

 テーブルの上にいるテンリーゼンがきちんと靴を脱いで、テーブルに上がっていたからである。アキラはそんなテンリーゼンの育ちの良さを時々発見しては妙な気分になるのだ。

 何も知らなければ、そしてテンリーゼンの異様な顔の入れ墨を見なければ、その振る舞いは良家の子息風にしか見えない。

 だが、ジャミールで一度見たテンリーゼンの戦闘力は本物である。そこに両家の子息といった一種間延びしたかのような隙は存在していなかった。

 アキラにしてみればアプリリアージェ程度の動きまでは、なんとか受け入れる事ができると考えていた。だがあの試合で目にしたテンリーゼンの移動速度は、もはや人間業とは思えなかったのだ。

 あの後、アキラは何度も何度も頭の中でありとあらゆる場面を想定したテンリーゼンとの模擬戦闘を行っていた。もちろん戦うとなった場合に勝利をもぎ取る為である。

 だが、ジャミールの里で直感した結論は全く覆らなかった。

 一対一では勝てる気がしないのだ。それは誇り高きレナンスを名乗るアキラには認められない事であった。

 だからいまだに思い出した様に模擬戦闘を続けては、唇を噛んでいたのである。

 頭の中ではあるが、何度も何度も命のやりとりをしているそんなテンリーゼンの微笑ましい姿を見ると、「この子とは戦いたくない」と思うのだ。しかし同時に、一度は剣を交えたいとレナンスの血が騒ぐ。

 アキラはテンリーゼンに対しての、そんな矛盾だらけの感情をもてあましていたのである。


「そんな事は言っていません!」

 芯が鋭いながらも、耳に涼しい声が大広間に響き渡った。

 それは対峙する武装部隊の怒鳴り声よりも、房の隅々までよく届いた。

 アキラは一瞬現状から逃避していた事に気付いて、慌てて視線をエルネスティーネに戻した。

 アキラはエルネスティーネの声が好きだった。そしてその時初めて、その理由がわかった気がした。エルネスティーネの声は耳障りがひどくいいのだ。

 頭の中にスッと入り、心地良く染みこんで消えていく。それは緊迫したこの場でも同じだった。

 そしておそらく、この場にいる人間の多くはアキラと同じくエルネスティーネの声を好ましく感じているに違いなかった。

 この声の持ち主の言うことなら、聞いてみよう……そんな声なのだ。


 強い調子でエルネスティーネは語っていた。

 だが決して怒鳴らない。そして悲鳴にならない。緊張しているには違いないが、上ずったりかすれたりしない。その声はつややかに朗々と響いていた。

「冷静になって下さいと言っているんです。やられたらやり返す、それが今までどれだけ多くの悲劇を生んできたのかをもう一度考えて下さい。私はそう言っているのです」

「おとなしくしていろって言うんなら、そう言う事だろう」

 一人がすかさず反論する。それに対してそうだそうだ、と賛同する声が多く、武装部隊は一歩も引かない。

「何人も死んでるんだぞ?」

 別の一人が怒鳴る。同じくそうだそうだと同調する声が続いた。

「何人亡くなったのですか?」

 エルネスティーネは少し穏やかな調子に変えると、言葉を投げたアルヴに対してそう問いかけた。

「五人ですか? 十人ですか? それとも百人? 千人?」

「そ、そりゃあ……」

 もちろん混乱の中、命からがら逃げ延びた人々ばかりである。誰も正確な数など把握しているはずがない。

 エルネスティーネは言葉が返る前に畳みかけた。

「五十人殺されたら、私たちアルヴ族はデュナンを五十人殺すべきなのですか?百人殺されたら仕返しに百人殺せば、残された私たちは気が晴れるのでしょうか? そしてそんな私たちアルヴ族がした事を、デュナンの人々は『仕方のない事』だと思ってくれるでしょうか?」

「詭弁だ!」

 一人のアルヴが、剣を掲げて一歩前に出た。それを見た人垣から複数の悲鳴が上がった。

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