第六十六話 族長の交代 1/5

 アアクは夜明け前であった。

 すでにほとんどの「お役目」が村の中央部にある八角形の建物に集合していた。ラシフのいう「講堂」である。

 講堂はジャミールの里にあった「精霊殿」を模した形をしていた。違うのはその規模である。簡単に言えば精霊殿の直径を十倍にしただけであるが、それだけで容積が千倍になっている。つまり似て非なるものなのだ。

 とは言え講堂はまだ建築中であり、骨組みがなんとか完成した程度であった。簡単な竹葺きの屋根と油をしみこませた目の粗い布で周りを覆ってあり、風雨はなんとかしのげる村状態にあった。避難所を兼ねる全天候型の集会所が欲しいというラシフの希望で最初に形を見せた大型の公共建築物であった。

 形を精霊殿に似せたのにはもちろん訳がある。もともと精霊殿はその名の通り精霊陣を張る為に合理的な形をしていたのである。

 平面的には正八角形を成す精霊殿は、ジャミールが得意とする正方形を二つ重ね合った八角形を基準とした精霊陣と同じ形なのだ。建物の大きさはルーンの強さには関係がない。形と中心部の位置がわかれば大きさは問題にならないのである。

 特定の人間だけしか入れない宗教的な精霊殿をアアクに作るわけにはいかない。しかし同じ機能は欲しい。で、あれば、もっとも公共的な建物に精霊殿の機能を付加すればいい。それがラシフの考えた合理的で簡単な解決法だった。

 その大きな精霊殿が後に大いに役に立つ時がくるとは、設計時にはラシフ自身も考えてはいなかったに違いない。


 講堂の中心部は盛り土がされていた。そこは直径が五メートルほどの円形の舞台のようになっており、地面から一メートルほどの高さがあった。周りは緩やかな傾斜になっていて、四方に階段が作られており、上り下りがしやすいようになっていた。

 その舞台の中央部にラシフはいた。

 ラシフの足下、つまり舞台にはやはり精霊陣が描かれており、ラシフは一振りの小さな剣を携えてその中心に目を閉じたままで立っていた。

 講堂内には多くの人々がいたが、驚くほど静かであった。だが講堂の内部に満ちている空気はどこか熱を帯びていた。そこに集った者達は皆固唾をのんで、ラシフが言葉を発するのを今や遅しと待ち構えていたからだ。

 

 同様にラシフも何かを待っていた。

 やがて微妙な緊張がみなぎる講堂に、音が響いた。

 足音である。

 その足音に反応するかのようにラシフは目を開けると、音のする入り口へ視線を向けた。同時に、その場に集まった全員の視線が足音の主に注がれた。

 足音の主は薄い黄色の布で仕立てられた正装を纏ったダーク・アルヴの少女であった。その後ろに長身のデュナンの青年が従っている。

 ラシフが待っていたのはその二人であった。


「遅いぞ、ルーチェ」

 ラシフは言葉とは裏腹な穏やかな声で少女に声をかけた。

「申し訳ありません、ラシフ様」

 ラシフの孫、イブロドの娘ルーチェ・ジャミールは優雅な仕草で頭を下げると、ラシフが立っている精霊陣の縁まで進み、そこで正座をしてラシフに対した。

 精霊陣の中央部にいるラシフと向かい合う形になったルーチェは、装束に着崩れたところがないか吟味するように一通り眺めた後で、特に問題がないと判断したのか再度頭を下げた。

「正装になれておりませぬ故、着替えに少々手間を取りました」

「なに、嫌でもすぐに慣れよう」

 ラシフはそう言って孫娘に微笑を向けた。

 ルーチェの到着で準備が整ったのであろう。ラシフはその場にいた二十人あまりの「お役目」と呼ばれる人々に合図を送った。「お役目」達はルーチェの後ろ側に整列すると、ルーチェに倣う形で正座した。


「お役目」とは、暫定的にラシフが編成した各組織の責任者もしくはそれに準ずる者の呼称である。暫定的とはいうものの、アアクではその後も長く村の主立った人間の事を「お役目」と呼び習わすことになった。

 この時の「お役目」には支配的な意味合いはない。作業分担の伝達経路と組織化の為に適当と思われる人間をラシフが指名しただけである。そしてそこにはジャミールの里の人間だけではなく、入植支援部隊の人間、つまり「よそ者」も含まれていた。


「皆も既に認識しておろう。ここには我がジャミール一族ではない、入植支援部隊の者も含まれている」

 イブロド達いわゆる四人組の誘導で、「お役目」の全員が正座し終わっていた。衣擦れの音が止み講堂に静寂が訪れると、ラシフはそれを待っていたかのように、静かに語りだした。

「だが、それでこそアアクで行う儀式にふさわしいと私は考える。だが、このやり方に異議のある者は今ここで遠慮無く申し立てをするが良い」

 数秒の間をあけ、ラシフはゆっくりと全員を見渡した。

 皆には予めこれから何が行われるのかは含んであった。だが意見のとりまとめをした訳ではないから異議や質問が出ても当然と考えていたラシフだが、そこにあるのは水を打ったような静謐な緊張感だけであった。

 ラシフは再び口を開いた。

「今後、様々なものが変わり、あるいは新しくなるであろう。その過程というにはあまりに大きな儀式であるが、だからこそあえてここはジャミール式を通させていただく。その点入植支援部隊のお仲間にはご承知おきいただきたい」

 これは入植支援部隊へ向けた念押しである。

 数名の人間が無言でうなずくのを見たラシフは、小さくうなずいてその場ですとんと正座をした。そしてずっとその手に持っていた短剣、すなわち妖剣ミュインモスを膝の前にそっと置いた。


「かつて我が一族にセロドニという大いなる力を持ったルーナーがいた」

 背筋を伸ばし、美しい姿勢でラシフが語り出すと、皆の視線がラシフから短剣に移った。

「セロドニは剣を作る能力に長け、生涯にわたりジャミールに良質な剣をもたらすべく精進していたという。そしてある日、セロドニはマーリンに出会ったという」

 それはジャミールの里の人間で、ある程度の年齢のものなら誰でも知っている昔話であった。

「セロドニはマーリンの命を受け、一対の剣を鍛え上げた。それがゼプスとミュインモスという一対の剣だ。だが、私の知る限り、妖剣が特定の剣士に使われた記録はない」

 そこまで話すと、ラシフは膝の前に置いたミュインモスを手に取り、膝の上に置きなおした。

「だが先日、初めてゼプスが主を持った。里の者は知っていよう。我らが恩人である剣を持たぬ若い剣士だ。同時に彼は大いなるルーナーでもある」

 ラシフは名前を口にしなかった。もちろん敢えてそうしたのであろう。里人は皆その名を知っている。知らぬ入植支援部隊の人間には敢えてその名を言う必要もない。

 重要なのは里の恩人がゼプスを所有しているという事実なのだ。

「一方、対になるミュインモスは族長である私が預かった。その結果、本日未明にゼプスとミュインモスは、『結びの儀』により初めて一対の剣となった」


 イブロドは族長補佐集団である「四人組」の筆頭としてラシフの後方に控えて講堂の様子をうかがっていた。

 気になったのは「お役目」以外の同席者が予想よりも多いことであった。ラシフの指示では「お役目」とその補佐役、並びにそれに準じる要職を担う者がこの場に招集されたはずだった。イブロドの概算では「お役目」が約二十人、補佐がその二倍、要職と見なされる人間が補佐と同数程度として、せいぜい百人足らずのつもりだったのだ。

 だがルーチェの後ろに控える「お役目」のさらに後ろにいる人数は、どう少なめに数えても二百人を下らない。

 招集を担当したのはルーチェの夫、アトラックである。シルフィード海軍を退役し、同時にスリーズの名を捨てジャミールを名乗る事を選んだ元ル=キリアの隊員が何かを画策したと思えなくもない。

 イブロドは注意深く参加者の顔ぶれを確認していった。多くはジャミールの人間で、すなわちイブロドが見知っている人間である。そして彼らが「要職」でない事もイブロドは知っていた。

 イブロドは参加者の最後尾にいる娘の夫に視線を移した。

 アトラックはまるでイブロドが自分の方を向くのを待っていたかのように、視線を絡めてきた。そしていつものさわやかな笑顔で目配せを送ってきたのだ。


 イブロドはルーチェの夫であるアトラックを好ましい人間だと思っていた。もとよりルーチェが選んだ男であるというその一点でイブロドはアトラックを認めていたのだ。  イブロドは自分の娘が自分より、また母であるラシフよりも頭の回転が速いとかねてより思っていた。だからそのルーチェがあっという間に心を許した人間が、悪い人間であるはずはないと信じていた。

 だが、今この時この場所で明らかにアトラックが何らかの意図を持って本来招く必要が無い人間を、それも大量に招いた事は紛れもない事実であった。

 しかし、目配せに続いてアトラックが唇に人差し指をそっと立てて見せた時、一瞬浮かんだ疑いの心が綺麗に霧散していった。

 アトラックのいたずらっぽい無邪気な微笑みの意味が少しだけわかったからだ。

 イブロドは講堂にいる面々に視線を戻すと、自分の判断を信じることにした。

 イブロドは再びアトラックに向かうと、微笑して見せた。アトラックはそれを見て、目を細めて小さく会釈をした。

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