第六十六話 族長の交代 2/5

「一対であるという事には意味がある。ミュインモスは遠く離れた場所にあるゼプスにルーンを送る仕組みを持っているのだ」

 ラシフの話は続いていた。

 ゼプスとミュインモスの剣の秘密に話が及んでいたが、参加者はいやに静かだった。驚く顔一つ浮かべる者がいないのだ。まるで聞き知った話を再度聞いているかのような反応である。

 ラシフもさすがに変だと気付いたのか、そこで話を切ると講堂を改めて見渡した。もちろん人数がやけに多いことには気付いたに違いない。

 だがラシフは何も言わなかった。

 儀式の途中でもある。人数が多いからといってその事を今更とがめても仕方がない事である。

 腑に落ちないものはあるにせよ、夜明け前に招聘をかけたのはラシフ自身である。

 ラシフは出かかったため息を飲み込むと、粛々と儀式を進めることを選んだ。


「ゼプスは主の感覚と繋がり、その情報をミュインモスに渡す。ミュインモスの主である私はゼプスの使い手の身体的な状況を知ることが出来る。すなわち私は必要に応じて強化ルーンを我らが恩人にかける事ができるのだ」

 それはすべてミュインモスが、ラシフに対して伝えた機能なのだという。

 ゼプスとミュインモスを「繋げる」時に、相当な力がミュインモス側の持ち主に求められる事も。

 つまりもともとミュインモスは高位ルーナーが持ち、ゼプスは剣の使い手が持つもので、剣士を離れた場所からルーナーが支援できるという仕組みのものだったのだ。

 ただゼプスにしろミュインモスにしろ、誰もが使えるというものではない。ゼプスは正当な持ち主である事を主に求め、ミュインモスは一定以上の能力を有するルーナーである事を主の条件とする。

 それはイブロドがルーチェとアトラックを連れて戻った際に、ラシフに聞かされた話だった。

 ミュインモスは剣を抜いたラシフに「命を賭してゼプスの正当な主を守る覚悟があるか」と問うた。そして「ゼプスと初めて繋がるには、相当な苦痛を伴う」とも。

 ラシフはもちろん二つ返事で応じ、結果として失神寸前のあの状態に陥ったのだ。全身を釘で打ち貫かれるような痛みが襲ったという。痛みに耐えられず、もうダメだと思った時に、イブロドが部屋の扉を開けたのだ。ラシフはそれによってかろうじて意識を保っていられたのだという。


「私はもう若くはない」

 ゼプスとミュインモスの仕組みを話し終えたラシフは、最後にそうぽつりとつぶやいた。

 その声には、さすがに寂寥感が漂っていた。

「村は今、このような状況じゃ。族長としては、そちらに全身全霊を注がねばならん。だが、ゼプスとミュインモスが繋がった以上、私は今この時より、この命を恩人の為に使おうと思う。いや、使いたい」

 それは最初に呼び寄せたルーチェとアトラック、そしてイブロドの前で告げた言葉と同じだった。ラシフはそう言った後、イブロド達に深々と下げたのだ。


「かねてより」

 ラシフは声の調子を強めた。

「我が娘イブロドの長女、ルーチェが次期族長と定められていた事は皆も知っての通りじゃ」

 その言葉で、初めて講堂の中の空気が動いた。だがそれはざわめきや驚きではない。ラシフが次に何を言うのかは既にわかっている。その言葉を謹んで待とうとする、そんな雰囲気が講堂全体に漂ったのである。

「ジャミール族の族長ラシフの名において宣言する。本日今この時より、族長の座をルーチェ・ジャミールに譲り渡す」

 それはきわめて簡単な「宣言」であった。

 イブロドはラシフが族長を移譲された儀式に立ち会ってはいない。すなわちそれが初めて見る族長移譲の儀式であった。

 おそらく本来の儀式は宗教色の強い、もう少し格式や手順が複雑なものだったのだろう。だが、ラシフはアプリリアージェとの約束を守り、儀式から宗教色を廃したのだ。

 廃するに当たって形式を残す事も考えたのであろうが、そこはラシフらしい合理化を採ったという事であろう。

 おそらく族長移譲の儀式はこれが最後になるだろう。

 ジャミールは閉鎖した一族の社会ではなくなり、アアクという開かれた村へと変わるのだ。

 族長は同時に暫定的な村長の役にある。この儀式はあくまでもジャミール族としての儀式であり、村としての公式のものは村長の交代になるだろう。

 だが、一つのけじめとしてまずはジャミールの族長を交代させた。つまりラシフは「手順」を踏むことにしたのである。

 ルーチェは若い。まだ二十一である。

「だからこそじゃ」

 ラシフは駆けつけたルーチェ達を前にそう言った。

 新しい土地。そこで生まれたばかりの新しい組織。そこに必要なものは若い力であろう。その若い力を率いる者は、年寄りではないはずだ。

 ラシフはそう言った。

 アアクには若いルーチェがふさわしいのだ、と。

 イブロドもそれは同感であった。だがそれはもう少し先の事だと思っていたのである。

 一族に敬愛されるラシフが旗を振り、自ら先頭に立って作り上げる村を、次の指導者としてルーチェが支える。そして村全体が落ち着きを見せた頃合いを見て新しい体制に変えるものだと信じていた。

 しかし、封じられていたジャミール一族はもういない。里人は「社会」いや「世界」と繋がってしまったのだ。自分たちの時間だけをただ守っていればよかった日々は過去のものなのである。

 簡素ともいえる指導者交代の儀式は、そんな大きな変化を象徴しているかのようであった。



 ラシフは良く通る声で短い宣言を終えると、座ったままゆったりとした動作で礼服を脱いだ。

 美しい光沢を放つ黄色い族長の象徴でもある礼服の下には、白い下着をつけているだけである。ラシフの下着には何の飾りもない。もはや質素と言ってもいい程の素朴なものであった。それはまるで今回の族長移譲の儀式のように。

 着衣を脱いだことで、座ったままではあるが、ラシフが小柄ながらも均整のとれた体つきをしていることがわかった。

 ラシフの象徴とも言えた髪は短く切りそろえられ、以前の面影はすっかり無くなっていた。エイルとエルデをごまかすために両耳の一部だけを長いままにしてあったが、アアクに向かう途中でそれも切っていた。

 かつてのラシフは、座ると周りに薄茶色の絨毯が広がるような豪華な正座姿で見る者をうっとりさせていた。

 しかし今のラシフはまるで少女のような髪型だった。

 動くたびに首の周りで揺れるラシフの髪を見ると、イブロドはそれが自分の母ではなく、まるで娘のルーチェに思えてきた。

 短い髪のラシフの姿は、イブロドの胸を突く。

 それがルーチェならば、母も父も、そして今は伴侶もいる。

 しかしラシフはその姿のままでもう二十年以上も一人きりなのだ。もちろんイブロドという娘はいる。だがそれは見守るべき対象であって見守られる対象ではない。決して包むような眼差しで愛撫してくれる存在ではない。

 いや。

 それはイブロドの感傷かもしれない。ラシフ自身は誰かにそうして欲しいなどとは思っていないのかもしれない。

 族長であるラシフは厳しいだけではない。その深い情を一族全員が知っているからこそ、まるで肉親のように敬愛されている。ラシフの幸福はそこにあるのではないのだろうか?

 だが、イブロドはそれでもラシフの姿に寂しさを感じるのだ。

 そしてそれは突然現れた一人の賢者との出会いを境にしていることは間違いなかった。

 違う。

 イブロドは心の中で首を振る。

 出会いではない。別れが変えたのだ。

 あの日……サラマンダ北西部の山間にあったジャミールの隠れ里を後にした日から、ラシフは背中に寂しさを纏いはじめたのだ。

 瞳髪黒色の一人の若者に別れを告げ、背中を向けた母ラシフの横顔をイブロドはいまだに覚えていた。

 涙を堪えて無理に笑おうとするその顔は弱々しく寂しげで、頼りなく辛そうで、そしてそれでもうつむかずに前を向いていた。

 見ているイブロドの方が耐えきれずにうつむいてしまった程だ。

 ラシフがルーチェの立場であったなら、間違いなく違う選択肢を選んだに違いない。だが現実は、個人の単純な、いや純粋な感情など意に介すこと無く重い鎖で容赦なくラシフをがんじがらめにしている。

 もちろんラシフは娘のような感情に流され続けることはない。その証拠にアアクについてからは族長らしく、いや、ラシフ以外の誰であろうと不可能と思える程の大車輪で「公事」をこなし、まるでそこには私人など存在しないかのような働きぶりを見せていた。

 だが、イブロドは知っていた。

 食事時、あるいはちょっとした空いた時間ができると、ラシフは時々イブロドにだけはつぶやくのだ。

「あやつらは今頃どうしておるかのう」

 もちろんイブロドがそれを知るはずもないことは百も承知の上で、ラシフはそう言って頬杖を突く。答えを求めている問いかけではない。それはラシフとイブロドの二人が共有する思い出を反芻する儀式なのだ。

「きっとお元気でお過ごしでしょう。今頃はきっと母上の悪口を言っているに違いありません」

 だからイブロドはそう答える。

「悪口か……ふふ、そうかもしれんな」

 その答えが気に入っているのだろう。ラシフは目を細めて微笑すると、決まってそう言って遠くに焦点を結ぶのだ。

 思い出を振り払うかのように仕事に埋没するくせに、その合間には思い出をたぐり寄せようとするラシフを見ていると、さすがにイブロドはいたたまれなくなる。

 ミュインモスがゼプスを維持する為に一人のルーナーの全身全霊を必要とする、とんでもない剣だと知った時、だからイブロドは戦慄したのだ。

 ラシフが喜んでその役目を負うだろう事が間違いないからである。しかしそれはラシフの命を削り続ける事に等しい。

 そんなことを族長に、いや母親にさせる訳にはいかないと思うのは娘としては当然だった。

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