第六十五話 結びの儀 3/3

 イブロドは母の頭がおかしくなったのかと一瞬疑ったが、すぐに自らの考えを否定した。

「いろいろとわかった。この一対の剣の持つ力はまさに妖剣と呼ぶにふさわしいものじゃ。しかし……」

「しかし?」

「ゼプスをあの小童に与えたのは我ながら大正解と言える。しかしミュインモスは族長が持つものではないな」

「それは……」

 どう言う意味かとイブロドは尋ねた。

 族長が持つものではない。そうつぶやいたラシフの表情が、やけにすがすがしいものに思えたのだ。

 ラシフはまだ体に力が入らないようで、イブロドに全ての体重を預けてぐったりとしている。体温も異常に低いままである。大丈夫だと止められた為にハイレーンを呼びに行くのは思いとどまったものの、体調が普通でないのは間違いない。だが、それなのにラシフ・ジャミールの表情は穏やかなのだ。

 倒れ込んでいた時の苦悩の表情はもう跡形もなく消えていた。


「里の整備が終わり、ある程度落ち着くまではと思っていたが……どうやら急いだ方がよさそうじゃな」

 イブロドの問いには答えず、ラシフはそうつぶやいた。

「ルーチェと……そうじゃな、連れ合いもいた方がいいじゃろう。疲れ果てて眠っているところを悪いとは思うが、無理にでも起こしてつれて来てはくれぬか?」

「今すぐに、ですか?」

 ラシフはうなずいた。

 エイルがゼプスを鞘から抜き、二つの妖剣が結びの儀によって繋がった以上、一刻も猶予は無いのだという。

「心配するな。皆が揃ったらゼプスとミュインモスが持つ力を全て話そう。『夢』と『希望』とはセロドニもよく言ったものだ」


 確かにルーチェも、その夫となったアトラックも、疲れ果てて泥のように眠り込んでいるに違いない。だが、一番疲れているのはラシフ当人であろうとイブロドは思っていた。

 イブロドだけではない。ルーチェもアトラックも、いや、ジャミール一族と、ユグセル家から派遣された入植支援部隊を含む全ての村人がそう思っているに違いないのだ。

 そんなラシフの招きである。たとえ夜中であろうがルーチェ達は喜んで馳せ参じるだろう。

 イブロドは何も言わずラシフをそっと布団に横たえると、急いで身支度をして外へ出た。

 見上げた空には二つの月がいつも通りに浮かんでいた。


 アプリリアージェが腹心を通じてジャミール一族の為に用意していた土地はアアクと名付けられた。

 ラシフの命により、ルーチェとアトラックが二晩悩んだ末に考え出した名前である。

 アアクとは「歩く図書館」を自称するアトラックによると、古代ディーネ語でカササギを意味する言葉だという。

 カササギは古来より、大切な人への思いを乗せて運ぶ鳥と言われている。

 始祖の一人であるシルフィードが自らの気持ちを、遠く離れた思い人に届ける使者として指名されたのがカササギであるとされる。その神話に因んだ命名であった。

 ルーチェとアトラックは、ジャミールの里が長い年月を経て、再び故郷のシルフィード大陸に戻ることになった土地をその鳥になぞらえたのである。

 アプリリアージェとの約束で、ジャミールはもう閉鎖した一族ではなくなった。アアクに住む限り、ファルンガ領民として、ひいてはシルフィードの国民の一員としての義務を負う事になる。それは「外」との交流で一族のあり方が大きく変わるであろう事を意味していた。

 今後は里を出る者も増えよう。同時に里へ来る者もあるだろう。ジャミールの里は、好むと好まざるとに関わらず、変わらざるを得ないのである。

 だが変わることのないものもある。

 ジャミール一族がシルフィードに戻った日。

 その日の喜びと感動は長く後世に伝えたい。それは文章や歌ではなく、土地の名前に込めておこう。

 カササギの名にその「思い」を。


 一族の思いが込められたアアクという名の村では、新しい村の形作りが休まず行われていた。

 族長から村長と外向きの肩書きを変えたラシフ・ジャミールは、当然のように毎日ありとあらゆる事に振り回され、文字通り忙殺されていた。

 アプリリアージェの話の通り、アアクの村にはユグセル公爵家の計らいでファルンガ公領から、多くの兵士や技術者、医師、それに流通を受け持つ商人までが入り込んで、ジャミールの里人と協力して村作りを進めていた。

 物資の調達は公爵家とゆかりの深い三人の商人があたり、生活物資などに不自由することはなかったし、大半をアルヴで編成されたファルンガの州兵達は、ダーク・アルヴのジャミール族が口をぽかんと開けるしかない程の力強さで森の開墾作業を順調にこなしていた。

 ジャミール一族がアアクに到着した時には、驚いた事に彼ら入植支援部隊によっていくつかの施設は既に完成を見ていた。共同宿舎と、それに併設された病院がそれである。

 そこにはファルンガ州でも指折りのハイレーンと、ユグセル家に使える優秀な医師達、そして看護役の衛生兵が居た。彼らはサラマンダ大陸からはるばるやってくるジャミール一族の到着を万全の体制で待っていた。

 ラシフの主な仕事はアプリリアージェの入植支援部隊とジャミール一族との調整役である。特に物資や資財の調整や日々変わる人員配置の見直しなど、現場を動かしながら、その仕事を円滑に管理できる体制そのものを築き上げる必要があったのだ。

 アプリリアージェが派遣した人員は総勢で約五百人程であったが、その調整役がいなかったのだ。それはアプリリアージェが敢えてそうしたのだろうとラシフ達は理解していた。

 村を作るのはジャミール一族なのだ。

「指揮はラシフ様に」

 アプリリアージェの言葉をラシフ達はかみ締めながら、日に日に変わってゆく村の姿に「希望」という言葉を重ねていた。


 その肝心要の組織作りがいよいよ佳境に入っていた。

 嬉しい誤算と言うべきなのだろうが、アプリリアージェが手配した入植支援部隊の多くが、ジャミールへの永住を希望していたのだ。

 中にはすでに入植支援部隊の一員と将来を誓うジャミールの若者がラシフのところへ報告に訪れていた。

 入植支援部隊と最初に会合を持った際、男女の比率が見事に半々だった事は、つまりはそういう事を見越した編成だったのだと、今ではラシフもイブロドも理解していた。

 もちろんそれもアプリリアージェの「お節介」なのであろう。

 ジャミールの里を出る際に「仮」の合同婚儀を上げたものの、正式な婚儀をそうそう先送りにもできない状況になっていた。

 幸いアアクは温暖な土地で、雪解けを待って事を起こすという必要が無い気候だった。その気になれば季節の都合に合わすことなく行事を執り行える。

 春を予定していた合同婚儀も前倒しにする必要があるという意見も多かった。

 要するにラシフは日々そういう仕事に追われていたのである。少し時間が空けば、食事の時間も惜しんで村の中を歩き、里人や入植支援部隊の人間の話を拾い、その道中では子供達の顔を一人一人のぞき込んでは抱き上げたりあやしたりするものだから、執務室に戻るとまた山のように案件がたまっているという具合である。

 そんなこんなで、補佐役のイブロドが見たところ、ここ最近はほとんど眠っていない様子だった。禁止してもラシフはこっそり自分の家に仕事を持ち帰るのである。業を煮やしたイブロドは、結局ラシフの家に押しかけて共に寝起きをする事にして、強制的に睡眠時間を確保させた。

 イブロドは村ができあがる前に、過労で母親を失いたくはなかった。だから嫌がるラシフを羽交い締めにして医師に診察をさせ、そのままハイレーンに睡眠の導入をさせたこともあった。その後数日間恨み言を言われ続けたが、イブロドには柳に風であった。

 診断によると寝不足による疲労の蓄積はあったが、幸い体調に不安を感じさせる兆候はないという。

 つまりイブロドは一安心したところだったのだ。

 だがそのほんの数日後に、ミュインモスがラシフの生気を奪っていった。

 そう。間違いなくラシフの力はミュインモスに奪われたに違いないのだ。

 あの瀕死とも思える状況を作り出したのがミュインモスである事に間違いないだろう。

 ラシフは大丈夫だというが、イブロドは嫌な予感をぬぐい去ることが出来なかった。

 大したことがないのなら、こんな夜中に「急いで」ルーチェ達を呼び寄せる理由がわからない。

 そんなことを考えながらイブロドは足を速めた。

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