第六十四話 夢と希望 3/3
つまり、二人で時のゆりかごにたどり着いたとしても、そこにエルデの体が無ければエルデ自身はいったいどうするつもりだったのか、という問いかけなのだ。
体があるならそれでいい。だがエイルが聞いた限り、エルデにも確信は無かったはずなのだ。
【ああ……】
そんなことか、という風にエルデは答えた。
【肉体がなければエーテル体になるんやろな】
『え?』
エーテル体という言葉を、エイルはその日は何度も聞いたように感じていた。
キセン・プロットが操る本物と寸分違わぬ人間をその目で見た。だが、維持には相当な精霊波が必要だという。
そもそもエーテルを供給する本体のないエーテル体は……
エイルはシグ・ザルカバードの事を思い出していた。自らをスフィアに変えた自立エーテル体とも言える存在。
存在するには自らの持つエーテルを消費しなければならないと言う。
つまり……
【時のゆりかごの中やったら、しばらくはもつやろな】
『もつって、お前』
【その話はここまで。九割方ウチの体は師匠が確保していると踏んでたし、実際あったんやから、もうええやん?】
『もうええやんって……』
そう言ったものの、エイルもエルデにかける次の言葉を見つけられなかった。
【しかし、ヴェリーユは鬼門やな。ウチが最初に体を放棄したのもヴェリーユなら、今度はヴェリーユから逃げてきた先でこれやもん。もう二度とごめんやな】
『そうだな』
明るい調子でエルデがそう言うならば、エイルももう何も言わないことにした。
【さて】
エルデはとうとう自分の体の修復に取りかかった。
自分自身の体に近づくと、まずは無造作に背中に突き刺さったままの精杖を引き抜いた。
『お、おい』
エイルは思わずそう声をかけて制止しようとしたが、すぐに意味がないことに気付いた。
【客観的には死体やから、抜いて失血が増えても、これ以上は死なへんし】
『いや、そうなんだろうけど』
【それに抜いても吹き出る血はもうあんまりない。ほらな】
エルデの言う通り、引き抜いた傷口から血は出なかった。
精杖スクルドを構え、赤黒い穴のようになった傷口に頭頂部をかざしながら、エルデは口調を変えた。
【さて、ここからは説教の時間や】
『説教?』
【ウチは、アンタに出会うて最初にこう言うたな。『ファランドールでは誰も信じるな』】
『しゃべりながらでいいのか?』
【やかましい。ウチの話をちゃんと聞けっ】
エルデは首を横に振りながら心の中でそう言った。
【いつもそうや。アンタはウチの言う事に逆らう。『誰かを信じられない世界なんか、オレはいらない』 『今あいつを助けられるのはオレ達だけだろ?』 『お前は誰も信じずに生きていけばいいさ。でもオレは誰かを信じて生きてみせる』】
『エルデ……』
【キアーナの時もそうや。ウチは止めたやろ?で、その結末がこれか?】
エルデは「これ」という時に精杖スクルドの頭頂部を横たわったエルデの体に触れてみせた。
【心臓を少しずれてるっちゅうても、こんなん、人間やったらほとんど即死やろな】
エルデの言う事に誇張はない。心臓を貫かれていなくとも、人間ならあの傷、あの出血で生きていられるはずはないだろう。おそらく出血ではなくその前に意識を失い、そのまま目覚めることなく生命の維持機能は停止するに違いない。
【急性末梢循環不全症候群っちゅうところかな。案の定血中カリウムの濃度も異常値や。ウチもそれで意識が飛んだんやろ】
エイルの心の中を見透かしたようにエルデは目の前に横たわる遺体の死因を冷たくそう特定した。
エイルにとって、エルデの言葉は全身を刺し貫く細い針同然だった。それはもう数え切れない程悔やんだ事なのだ。
だが。
『――すまん。でも……』
たぶん、これからも自分は同じ過ちを犯すだろうとエイルは思っていた。おそらくはエイル・エイミイという人間が生きている限り。そして自分の選んだ行為が他人、いや大切な人々を傷つける事になるのなら、この先は一人だけで生きていくしかないのだ、とも。
【アホ。アンタはホンマにアホやな】
『え?』
【なんで謝るんや?】
『は?』
【アンタは何も悪ないやん】
『え?エルデ……?』
エルデは精杖を右手から左手に持ち替えると、空いた右手を左の肩にそっとあてた。
【けっこうな傷やったな。痛かったやろ?】
『……』
【いつもそうや。アンタは誰かの為に行動する時、自分の身の安全を完全に放棄する……。フォウでウチが見たアンタの姿……あの時も妙な金属の馬の後ろに乗ってた女の子をかばう事に全部の意識が集中してた。アンタのあの精霊波の色は今でも目を閉じたら思い出すんや……】
『エルデ……』
【そしてアンタはさっき、ウチの為に、同じ事をやってくれた】
『当たり前だろ』
「当たり前とちゃうわ!」
エルデはその言葉を声に出した。怒鳴り声は誰も居ない部屋に吸い込まれ、響くことはなくすぐに消えた。
『あんなことを当たり前とか、そんな簡単に片付けんといて……』
そしてその後は声に出した。
「ウチがアンタの特別やって思いたいんや」
『エルデ』
【ああ、今のは無しや】
『――そうか』
【そうや。あと、これだけは言うとく。ウチはキセン・プロットを恨んでへん】
『え?』
【けたくそ悪いヤツやとは思うけど、アイツからは一貫して悪意を感じへんかった。アイツは本当に自分の興味に支配された人間やったんやろな】
『意外だな』
【ふん。ある意味亜神なんて、アイツみたいな存在やしな】
『え?』
【亜神にもそれぞれ個性はあるやろけど、ウチが知る限り、亜神は自分の興味があること、自分に与えられた仕事以外の事はまるで他人事みたいなやつが多かったらしい】
『なるほど』
【キセン・プロットは頭脳の優秀さが故に、興味に殉じたようなもんやな】
『だったらオレもそうだな。オレはオレのやったことを後悔してない』
【プロット教授長を殺した事を、か?】
『守りたいものを、自分が出来る事で守ったことを、さ』
【そうか】
『聖典プレザン』
【ん?】
『禿のアルヴから言われた一節さ、オレ、何となくわかった気がするよ』
【『人として生きよ、さもなくば滅びの道を』 か。なるほど、キセン・プロットは人として生きようとしなかったっちゅう事やな】
『それもあるけど、あれはオレの姿かもしれないって思ったんだ』
【え?】
『オレも人のことは言えない。剣技については同じかもしれない』
【いや、全然ちゃうで】
『エルデ?』
【キセン・プロットは己の欲望を恐れへん。忠実や。でも、アンタはずっと剣を手にする事を恐れてる。いや、恐れてたって言うた方がええのかな?】
『――そうだな』
【それも再び剣を持とうと思ったんが、強さを……ちゃうな。強い相手と戦いたいという欲望やのうて、超絶美少女を守ろうっちゅう目的やしな。それは剣士としては思いっきり王道やん?】
『ははは。そうだな。確かに美しいお姫様の為に剣を抜いて立ち上がるのは、剣士としては王道だな』
【そやからアンタとキセン・プロットは全然ちゃう。胸を張ってええ】
『……ありがとうな、エルデ』
【あ、いや……何を改まってんねん】
『いや、本当にそう思った。オレはいつもお前に救われてる』
【あ、アホな事いいなや。それよりウチは気が気でなかったんや】
『何だよ?』
エルデが視線を落とすと、右手の甲に複雑な文様状の痣が見える。
【ウチがアンタの中で目覚めた時、エライ事になってるんちゃうかなって思っとってん。でも、アンタはウチが思ってるよりすごい人間なんかもしらんな】
『それって、どういう意味だ?』
【わからんでもええ。それよりここから先は少しルーンを使わんとアカンから、少しの間、意識を強うもっといてくれるか?】
『そう言われてもな。どうしたらいいんだよ?』
エイルが言い終わらないうちに、太ももに痛みが走った。
『テテテッ。何するんだよ』
どうやらエルデが自分で太ももを強く抓ったようだった。
【太ももの感覚を共有できるようにした。ウチも痛いんやから、男の子やったら我慢し】
痛みや苦痛は魂……意識を強く保つ一番簡単な方法だとエルデは説明した。同じ事をエイルは時のゆりかごでシグ・ザルカバードにも聞いたことがあった。要するに納得したのである。
【余が認め名を授けた人間ならば、しばしの間、堪えてみせよ】
照れ隠しなのだろう。
エイルはエルデの取って付けたようなその台詞を聞いてそう思った。
『了解。痛てて……』
エルデは声に出してクスリと笑うと微笑を浮かべたままで精杖スクルドを掲げ、治癒ルーンの認証文を唱えた。
それは今までに何度もエイルも耳にしている、エルデのいつものルーンだった。
「オザ・イニピエタ・エミ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます