第六十四話 夢と希望 2/3
【あ、そやそや。あやうく忘れるとこやったわ】
エルデは声の調子を変えた。
【アホなだけやない。ウチは今日程アンタをひどいヤツやと思たことはないで】
『え?何の話だ』
【ウチがあれだけ呼びかけたったのに、さすがに『ラシフさまっ!』 は無いやろ!】
『あ……』
エイルはその時初めて目覚める直前に見ていた夢を思い出した。そしてラシフだと思っていたのが実はエイルに呼びかけるエルデの声だった事を知ると、なぜか後ろめたい気分に襲われた。
【まったく、どんな夢見とったんや……って、まあそんな話はええ。と言うか、他の女の話とか聞きとうない】
『いや、他の女って、お前……』
【とにかく、や。まずはウチの体を修復させてくれるか。そやからちょっとの間、体を貸して欲しいんや】
エルデはいちいち指示をするのが面倒だから体の制御をしたいと申し出た。
エルデがその気になればいつでも体を自らの支配下に置くことが可能であることを、すでにエイルは知っている。だが勝手にそうせず、エイルの意思を尊重してくれる事が少し嬉しかった。
いや。エイルはただ、エルデ・ヴァイスがまだ存在していたことが何よりも嬉しかったのだ。
【って、また泣いてるし】
エルデの体の全ての感覚を自分のものにしたエルデは、エルデの顔が既に涙と鼻水でぐしゃぐしゃであることを知ってそう言ったが、その言葉は文句と言うには響きが優しすぎた。
『修復って……あの体だよな?』
【あのガレキか残骸かに比べたら、充分修復の余地があるように見えるやろ?】
エルデがチラリと視線を向けた方角、そこにはかつてキセン・プロットだった物体が二つに分かれて重なるようにうち捨てられていた。
【何をどうやったらああなるんや?】
エルデの疑問ももっともだった。
エイルから顛末を聞いたエルデは大きなため息をついた。
【その方法はウチでは思いつかんかったかもしれへんな。ウチの都合でこの体の声に反応するように調整してただけやのに、それが回り回ってアンタの窮地を救う為の手段になっとったとはな】
『つまり、お前は自分で自分の体を守ったって事だな』
【どっちにしろ、修復より先にあっちやな。自分以外の血の匂いはちょっとつらい】
エルデはそう言うと精杖ノルンを取り出し、その精杖を黒一色に変化させた。そしてその頭頂部をキセンの死体に向けると、即座に短い詠唱を唱えた。
青白い炎がキセンの体を包んだかと思う間もなく、それはひとかたまりの灰に姿を変えた。辺りにたまっていた大量の血や体液も全てがただの白っぽい粉のような物に変わり、もはやその原型すら想像できなかった。
【これで良し】
『灰か』
【なんや、同じフォウの住人としては、同胞はきちんと埋葬したかったんか?】
『いや、そうじゃないさ。相変わらずあっけないもんだな、と思っただけだ』
【あっけない、か。ウチもあんな風にあっけなく灰になるところやったけどな】
『灰?あいつはお前の体で実験をするつもりだったみたいだぞ』
【ふん】
エルデはキセンだった灰から視線を自分の右脚に移した。
【亜神は死んだら灰になるんや。人間ごときに利用されてたまるか】
『だから、お前の血で体を包もうとしてたんじゃないのか?』
【《深紅の綺羅(しんこうのきら)》みたいにか? あれはまだ生きてるウチに血で出来た布に身をくるんでたから出来たことや。偶然が重なったんやな。いや、ひょっとしたら《深紅の綺羅》は最初からそのつもりで準備をしてたんかもしれんな】
『準備って、いつ死んでも肉体は残るようにしてあったって事か?』
【あくまでも推測や。本当の事はもう誰にもわからへん。どっちにしろ普通の亜神は、即死したらその時点で灰になる】
『そうなのか』
【言い換えるなら、灰になってなかったら回復中って事や】
エイルと会話をしながらも、その合間を使って短い詠唱を唱え、エルデはまずはエイルの体の修復を始めた。
「あれ?」
最初の治癒ルーンを唱えた時、エルデは思わず声を出した。
『どうしたんだ?傷がひどいのか?』
【いや】
エルデはそう言うと辺りを見渡した。
『いったいどうしたんだ?』
【既にルーンで治療されてるんや。言うても、大した回復やないけどな】
『え?って事はまさか』
【いや、やっぱり気配はない。でも、けったいやな】
気配はないと言ったものの、エルデはそれでも納得がいかない風で、今度は自分の体をゆっくりと触り始めた。エイルの装備を吟味しているのだろう。
【え?】
『え?』
エルデの視線で自分の腕の先を見たエイルは、短剣の柄に置かれた右手を認めた。
【妖剣ゼプス】
『え?』
【ウチの意識がない間に、何かやったんか?】
『いや、抜いてもいない。抜く前に空間固定ルーンが発動した』
【でも、間違いなくこれや。精霊波の漏れを感じる。それもこれは、まるで精霊陣そのものや】
『剣が、精霊陣?』
【妖剣にもいろいろあるっちゅう事やな】
エルデの言う通りだった。微弱とはいえルーンの残滓があれば、エルデに感知出来ないはずがない。遠く離れているならいざ知らず、時のゆりかごに入るまではエルデ自ら手にしたこともある剣だった。それが精霊陣であればその時にわかっていたはずである。
【何にもなかったはずの剣が、何らかの条件で精霊陣化した、ちゅう事か。けったいな話やな】
『妖剣もいいけど、特に問題がないならそいつの事は後回しでいいんじゃないか』
【そやな】
本来の目的は体の修復である。もっともエルデはそれをないがしろにしているわけではなかった。黒のウルドを今度は白いスクルドに変化させ、その登頂部をエイルの脚に当てて、治療はずっと続けていたのだ。
しばらくして脚から痛みが引くと、次に左肩にとりかかった。
『なあ?』
エイルはそんなエルデの作業に違和感を覚えて、思わず声をかけた
【どうした?】
『なんで治癒ルーンを使わないんだ? これくらいならいつもの、オザ……なんとかっていうルーンを唱えれば、あっという間じゃないのか』
【忘れたんか?時のゆりかごで師匠に聞いたんやろ?】
『え?……あ』
もちろんエイルは時のゆりかごで《真赭の頤》ことシグ・ザルカバードと交わした言葉を覚えていた。
エルデが治癒ルーンを使わず、精杖ノルンのスフィアにあらかじめ封じてあった治癒の精霊陣をゆっくり解放している訳もわかった。
【状況は変わってへん。ウチがこの体にアンタと同居する事はアンタの自我を消滅させる事になる。ウチの自我の影響を極力押さえ込むと、そもそもルーンに使う力がほとんど無くなるんや】
既にエイルは理解している。エルデが普通の人間ではなく亜神だという事を。自我というものにそれぞれ力があり、その力が人によって様々だというのなら、おそらく亜神の自我というものは人間とは比べものにならない程強力なものなのだろう。
本来ならば、エルデが憑依した時点で人間であるエイルの自我などははじけ飛んでいたはずだという。そう告げたシグの言葉の重さが初めてわかった。人間と亜神とはそれほど力に差があるのだ。
それを知っているエルデは、あの手この手を使ってエイル自身の自我の強さを底上げしながら、同時に自らの自我の強さを低く低く制御していた。
今にして思えば、それはエルデにとってとてつもなく力を使う事だったに違いない。その上でルーンも使っていたと言う事は、ルーンを使うたびにエイルの自我が削られていたのかもしれない。ゆっくりとではあるが、エイルは確実に消滅の日に近づいていたのだ。
エルデはその日が来る前にエイルを時のゆりかごに連れて行く必要があったのだ。さもなくば、エイル・エイミイという人格は消え、エイル・エイミイの体をもつエルデ・ヴァイスが存在するだけになっていたのだろう。
そして時のゆりかごへの扉を開く為の鍵、すなわち宝珠と呼ばれるプリズムを手に入れる必要があったというわけである。
『今更だけど、聞きたい事がある』
【なんや、改まって?】
『お前さ、時のゆりかごに自分の体があるってわかってたのか?』
【質問の意図がわからへんな。なんか罠の匂いがする】
『いや、何を警戒してるんだよ』
エイルはかいつまんで説明した。
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