第六十二話 躊躇と任務 2/2

 アプリリアージェはいつもの微笑を崩して、眉根に皺を寄せていた。

「あれからどれくらいですか?」

 もちろんアプリリアージェがティアナに尋ねた「あれ」とは、キャンセラであるティアナがゾフィーと握手をした時の事を指していた。

「正確にはわかりませんが、十分程度……でしょうか?」

 ティアナの答えにアキラも同調した。

「私の感覚でもそれくらいだ。それほど時間は経っていない」

 アプリリアージェは小さなため息をついた。

「促成ルーナーというのは、私が想像していた以上に相当な力を持っているようですね」

「どういう事です?ティアナのキャンセラの能力とは、本来そう言うものではないという事ですか?」

 アキラの問いかけにアプリリアージェはうなずいた。

「賢者エルデでさえ五分間はルーンを使う力を消失していたのです」

「なんですと?」

「私など、三週間もの間、全く力が戻りませんでしたけどね」

 ゾフィーが扉を開けたのを見て驚いていたのはアプリリアージェだけではなかった。

 その場に居たもう一人のルーナーであるメリドも目を見開いてゾフィーを見つめていたのだ。

「そういう事です。ちなみにシルフィード王国のバード長、ミドオーバ大元帥でも四時間程は無能なルーナーになったそうですよ」

 そう言うアプリリアージェはすでに普段の笑顔に戻っていた。

 アキラはそれを聞くと改めてティアナとゾフィーを見比べた。だがその事に対してのアキラの感想が述べられる事はなかった。全ての会話を中断させるべく、音の主が扉から顔を覗かせたのだ。アキラは慌ててフードを被ると顔を背けた。

「やはりここにいたか、ゾフィー」

 一行の前に姿を現したのはアルヴの青年だった。金髪と緑の目。純血種のアルヴ族である。その服装から、シルフィード王国の人間であろうと思われた。

 学生かそうでないのかの区別はつきかねたが、部屋の中にロマンの姿を認めると慌てて恭しく礼をしたところを見ると、単なる知り合いというわけでもなさそうであった。学生の可能性が高いと思われた。だが、シルフィードでは国費で留学を支援する仕組みはない。全寮制が原則のハイデルーヴェンで長期間学ぶ為には、相応の実力で奨学生になるか、高額な授業料を支払う事ができるかなりの富裕層の市民もしくは貴族の子息に限られる。

 アプリリアージェはそれとなく、だがつぶさにその青年の顔を観察した。だが、そこに既知の有力者や貴族の面影を見つける事はできなかった。


「突然の無礼をお許し下さい。ゾフィーが房に居るはずだと聞いて探しておりました」

「気にするな。また見つけたのだな?」

 ロマンの言葉にアルヴの青年はうなずいた。

「情報が入ってきたものの、能力者は皆出払っておりまして、血気に逸った者達が武器を手に自分達が助けに向かうと息巻いておりまして。でもあの剣幕ではただ助けに行くと言うよりは、その……」

 ロマンはそれを聞くとゾフィーに目配せをした。

「急ぎなさい」

 ゾフィーは頷くとアルヴの青年に情報の内容を聞き、そのまま小走りに部屋を去った。入れ違いのように大広間の方角から何やら騒ぐ声が部屋に届いた。それは青年の言葉を裏付けるように、武器を集めろだの、志願者は居ないか、など同調者を募る呼びかけであった。

「すみません、先ほどの話は落ち着いてから後ほど」

 その声を聞いたロマンは、それだけ告げると慌てて部屋を後にした。


 アキラはアプリリアージェの様子を伺った。無言ではあったが、どうするつもりなのかを尋ねたつもりであった。

 だが最初に言葉を発し、同時に行動に出たのはまたしてもエルネスティーネであった。

「私たちも行きましょう」

「え?でも」

 ティアナはエルネスティーネの言葉に驚き、そして彼女を止めるべきかどうかを逡巡した。当然ながらティアナはエルネスティーネを危険な場所に向かわせたくはないのだ。

「他人(ひと)ごとだと思ってはいけない」

 エルネスティーネはそうつぶやいた。それはティアナに向けた言葉ではなく、自分に言い聞かせるような口調だった。

「しかし、ネスティ」

「私は行きます。争いに向かおうとする暗い気持ちを、ここに居る人々の間で増幅させてはなりません。憎しみに憎しみで対抗しても、新たな憎しみを生むだけです。人々は、いえ私たちはいったいどれだけ同じ過ちを繰り返せばすむのでしょうか」

 今度は明確にティアナに向けて投げられた言葉だった。

「行ってどうするつもりですか?」

 ティアナの代わりにアプリリアージェがそう尋ねた。その表情は穏やかで微笑はいつもよりも深い程であったが、声の調子には冷ややかなものが含まれていた。

「わかりません」

 そう答えたエルネスティーネは、しかしひるまなかった。

「でも私が……」

 言いかけてエルネスティーネは首を横に振った。

「いいえ、私に出来る事をやるだけです」

「『ただのネスティ』に何が出来るのです?」

 アプリリアージェの声の調子はさらにその温度を下げていた。「ただのネスティ」という言葉を強調しさえした。それを挑発と捉える人間がいたとしても不思議ではない。そんな口調であった。

「私は……」

 エルネスティーネはアプリリアージェに向き合うと、優しく微笑しているかのようなその顔に挑むように目を見開いた。

「私はもう、本当の自分を隠すつもりはありません」

 拳を握りしめながら強い口調でそう言い放つと、視線を切り、エルネスティーネはロマンの後を追った。


 あっけにとられたのはティアナだった。

「今のはどういう……」

 エルネスティーネの言葉はどういう意味かと、中途半端な言葉でアプリリアージェに問いかけた。だが、アプリリアージェは堪えきれずに笑い声を漏らした。顔も微笑ではない。笑っていた。

「ふふふ……ククク……」

 エルネスティーネの行動をあっけにとられて見送った一同は、今度はアプリリアージェの笑い声に同じ反応を繰り返した。

「ティアナ」

「はい」

「それにファル」

「はい」

 笑いながらアプリリアージェは二人の部下の名を呼んだ。

「あの子がいよいよ妙な事を口走ったら、ためらわずに眠らせなさい」

「え?」

「あなたたちが少しでも躊躇したら、私がやります。ただし私が手を出した場合、この狭い空間では手加減ができませんから、下手をすると取り返しがつかない事になってしまうかもしれません」

 ティアナはアプリリアージェの言葉を聞いて、冗談だろうと思った。だが、その笑顔の向こう側に黒いエーテルが見えた気がして、出かかった言葉が喉元で止まった。次いで、嫌な感じが胃の奥からこみ上げてきた。

 ティアナはその時、改めてアプリリアージェという人間の持つ暗い部分に触れた気がした。それは初対面の時に感じた畏怖に似た感情よりも、もっともっと絶望的なもので、アプリリアージェは冗談など言っていないのだと確信できるものであった。

「行くぞ」

 ファルケンハインが肩に手を置いて、ティアナは正気に戻った。

 そして萎えきった気持ちを再度奮い立たせる事に成功した。

(そんな事はさせない)

 ティアナは頷くとファルケンハインに続いて部屋を後にした。

(私がネスティを守るのだ)

 そしてそう自分に言い聞かせた。


 アプリリアージェは無言で部屋を後にした。他の一行もそれに続く。

 アキラは被ったフードを確認した上で、最後に部屋を出た。そして広間に向かうアプリリアージェに後ろから声をかけた。

「あなた方は一体どうなっているんだ?」

 その問いかけにはヴェリーユでエルネスティーネ達がカテナに囚われそうになっていた時のアプリリアージェの行動に対する疑問も含まれていた。

「私は任務を忠実に遂行しているだけですよ」

 アプリリアージェは振り向かずにそう答えた。

「任務だと?」

「ええ。あなたはどうなんです、アモウルさん?」

「え?」

 アキラはアプリリアージェが口にした思わぬ言葉に絶句した。同時に鼓動が跳ね上がった。

 だがアプリリアージェはアキラのその様子を見てもそれ以上何も言わなかった。そして振り向きもせずに房の大広間へと足を運んだ。

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