第六十二話 躊躇と任務 1/2
促成ルーナー。
その言葉の持つ意味を、エルネスティーネはロマン・トーンに問いかけた。
いや。端から見れば、それは質問などではなくむしろ詰問に近かった。それほど強い調子だったのだ。
ことルーナーという存在に対して促成という言葉を使う場合、その言葉の持つ意味が、決して良いものだとは思えないのはエルネスティーネならずとも誰しも同じであった。
もちろん、ロマンとて心の奥に流れるものは同じ気持ちであったろう。
だが、さしものロマンもエルネスティーネが感情を露わにして問いただしてくるとは考えもしなかったろう。
「答えて下さい、ロマン・トーン一等教授!」
エルネスティーネの剣幕はアキラ達をも驚かすに充分で、アプリリアージェすらその眉を上げる程であった。ティアナにいたってはどう対応したらいいのかわからず、かわいそうなくらいおろおろとしていた。
「その促成ルーナーという存在が、この町の異常事態に関係しているのではないのですか?」
ロマンは目を伏せた。そうやって自分をまっすぐににらみ据えるエルネスティーネの真っ直ぐすぎる視線を外すと首を力なく左右に振った。
「残念ながら私には詳しい事はわかりません」
それだけ言うとロマンは視線を上げ、傍らに控えているゾフィーを見やった。
「この子も自分がいったい何をされたかはほとんど知らんのですよ」
ロマンの言葉はエルネスティーネだけでなく、アプリリアージェの眉も再び動かした。
「それは……」
「それはさっきおっしゃったプロット統括教授長しか詳細は知らない、という意味ととってよいのでしょうか?」
そう尋ねたアプリリアージェの声は落ち着いていた。続いて対照的な熱っぽい声でエルネスティーネが質問を重ねた。
それはエルネスティーネらしい、駆け引きの隙すらない直線的な質問であった。
「お話だけを伺っていると、プロット統括教授長は人体実験をしているように思えます」
(なるほど)
その言葉で、アキラはエルネスティーネが纏った険しい空気の原因がわかった。
医学的・科学的問わず、シルフィード王国では人体実験を固く禁じている。もちろんそれはシルフィード王国だけではない。表面上はどの国であっても人体実験をやっているなどと公言する所はないだろう。人体実験はいわゆる国際法で古くから禁じられており、マーリン正教会が厳しくこれを監視していると言われている。
現世(うつしよ)に混ざりながら、人々の前に現れることのない存在である「賢者」
正教会の裏側に属する彼らは、国際法で定められたそれらの「禁忌」違反者を発見・処理する事も仕事の一つだと言われていた。
つまりロマンの言う「促成ルーナー」が何らかの人体実験によるものだとしたら、それは大罪にあたるのだ。
だがエルネスティーネは賢者ではない。罪を糾弾し、処分しようとしているのではない。ただ単純に、彼女の持つ倫理観が内なる叫び声を上げているのである。
「我々には一切わからんのですよ、ネスティさま。プロット統括教授長は徹底した秘密主義を貫いておられまして、自身の実験内容は一切他人に漏らしません。下に着いている研究生達は大勢いるようですが、彼らはみな教授長の実験の一部だけを任されているようで、いったい自分が何の実験のどの部分を行っているかという事は一切知らされないそうです」
「なるほど。しかし学校側はそれで黙っているのですか?研究成果などは定期的に文書で報告したり、論文の発表を行ったりと、持っている地位を維持し続ける為にはそれなりの評価を得る為の提出物が必要なのではないのですか?」
アキラは自分の中に浮かんだ疑問をロマンに投げかけた。
「むろん、普通はそうです。しかしあの方は作り上げた『もの』で黙らせてしまうのです。誰にも出来ない事をやって見せる事で自らの能力の高さを証明するのです。一度や二度ではなく、それが継続して居るものですから、今ではこの町の上層部の人間でプロット統括教授長に対して意見を述べる事ができる者などいない状況なのです。それにその……これは同じ教育に携わるものとして言いにくいのですが……」
言い淀むロマンに、エルネスティーネがすかさず声をかけた。
「おっしゃって下さい、ロマンさま。悪いようにはいたしません。いえ、私にどうこう出来る問題ではないのは百も承知です。それでも私はこの異常な状況を理解しておきたいのです。知りたいのです。よそ者だからといって見て見ぬ振りはできません」
ロマンは再度ゾフィーを見た。そこには小さくうなずくゾフィーがいた。それを見たロマンは、エルネスティーネに対すると、ゾフィーと同じようにうなずいた。
「幸いこの部屋には我々しかおりませんし、他のものに聞かれる心配もないでしょう」
「お願いします」
ロマンが話し始めた促成ルーナーについての説明を受けた一同は、ロマン本人があらかじめ断った通り、事の詳細についてはほとんど何も知り得なかった。
ただ、ゾフィーについての話は興味深いものであった。
ゾフィー自身はルーナーとしては元々は大した力を持ってはいなかった事。
ある日高額の報酬を餌に、大量の「手伝い」をプロット教授長が求めている事を知ったゾフィーは、それに応募した事。
資産家の娘であるゾフィーは報酬よりも一度プロット教授長に会ってみたいと思って参加した事。
そこで睡眠ルーンをかけられて意識のない状態に陥った事。
目が覚めたらプロット教授長に「お前にはルーナーとしての高い潜在能力がある」と告げられた事。
そのルーンの力を高める修行法があるが、試してみないかと尋ねられた事。
一も二もなくそれを承諾した事。
それは暗示による呪法の様なもので、眠っている間に行われると説明された事。
そして眠りから覚めた後、プロット教授長から手渡されたルーン書を詠唱しろと言われた事。
そのルーンはゾフィー自身は今まで使った事もない中位の強化ルーンで、花瓶の花を硬化させるものであった事。
初見にもかかわらずルーンは発動し、効果確認の為にプロット教授長がその花を剣でなぎ払おうとしたが、花は無傷で、剣の方が刃こぼれしてしまった事。
ただ、能力は上がったものの、不安定な部分もある事。
急激に力をつけたので、副作用がある事。
などであった。
つまりゾフィー自身、キセン・プロットに何をされたのかを基本的には一切理解していないという事なのである。
「副作用というのは?」
エルネスティーネの質問は、その話を聞いた誰もが最も気になった点だった。一見する限りでは特にゾフィーには変わった様子はない。少なくとも目で見てわかるようなものではないのだろう。
だがアプリリアージェは少し前にロマンがゾフィーについて漏らした言葉を覚えていた。副作用という言葉を聞いて最初に思い出したのはその事であった。
「感情の起伏が少なくなった、という事ですか?」
ロマンはアプリリアージェが投げかけた質問に大きなため息とうなずきで答えた。
「以前のゾフィーを知っている者に今のこの子を見せて同一人物だと言っても、おそらく誰も信じますまい」
「そんなに?」
エルネスティーネの驚きはもっともであった。確かに無口、いやぶっきらぼうな口調ではあったが、ゾフィーはテンリーゼンとは違い、会話自体は普通に成り立っていたように感じていたからだ。
ロマンはそんな疑問に答える為に補足した。
「何せこの子は、その居場所がすぐにわかるほど賑やかな娘だったのですよ。父親の影響なのでしょうが、人を笑わせる事が何より好きな陽気な子でした。この子が居るところには笑い声が必ず同居していましたからね。冗談好きなだけでなく、この子に会うと教授陣が思わず身構える程のいたずら好きでもありました。要するに活発でころころと本当によく笑う子だったのです。それはまるでほろ酔い気分のデュナンのように陽気で、アルヴ族とは思えない程でした」
ほろ酔いのデュナンが誰しも陽気であるはずはないが、ロマンの表現は今のゾフィーが確かに劇的な変化を起こしたのだと理解するには十分であった。
「そうそう、一つ言い忘れておりました。この子は定期的にプロット先生の元で何らかの投薬をしてもらわないと……」
ロマンがそこまで話したところで、部屋に振動と共に大きな音が響き渡った。
ティアナはそれが地震と一瞬判断してエルネスティーネの側に寄り、その肩を抱いた。しかしそれは地震ではなく、扉が何かで叩かれているのだとすぐに理解した。
音は一度では無かった。それはドン・ドン・ドン・ドンと四回続いた。
その場の誰もがほぼ同時に音のする方向……部屋にある唯一の扉に視線を集めた。
一度鳴り止んだが、少し間を開けて扉は再びドンと四回鳴った。
「これは緊急の連絡があると言う合図ですな」
ロマンが一同に説明した。
確かに規則的な音は何らかの意図のある合図であろう。
「互いの声は聞こえないのでしたね」
エルネスティーネは思い出した様にそう言うと、ファルケンハインに扉をたたき壊すように頼んだ。
だがその必要が無い事を、すぐにその場の誰もが認識していた。すぐに扉が開いたのだ。
「開きました」
そう言って扉に手をかけているのはゾフィーだった。
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