第六十三話 イオスの使者 1/4

「くそ。いったいどうなってるんだ?」

 暗い路地で一人の男がいまいましさを吐き出すようにそう言った。

 ハイデルーヴェンの外れにある狭い路地。そこは明月アイスと暗月デヴァイスの光が図らずも作りあげる闇に覆われた場所だった。

 男が迷い込んだその路地には、廃資材が乱雑に置かれていた。声はその陰から聞こえてきた。広い通りからは見えないが、声の主は廃資材の陰で身を丸めているのだろう。

 悪態をついた事で、その声の主には深呼吸をするだけの余裕が出来たようだった。

「いやはや、参ったね」

 今度の声には多少なりともその余裕が反映されているように聞こえた。

「まったくだな」

 その声に呼応するように、その陰からもう一つの声が聞こえてきた。二つの声はすぐ近くで、しかも地面に近いところから聞こえていた。おそらく二人は建物を背にして座り込んでいるのだろう。

「さて……」

 二人目の声がそう言うとあたりにほのかな光が生まれた。

 掌の上で、小さな石が頼りない光を放っていた。ルナタイトかセレナタイトか……。

「おい、ちょっと先生!」

「大きな音を立てなければ大丈夫だ。それよりこの建物はどうやら廃工場か廃倉庫のようだな」

 光を持った男がその手を差し出す方向には、路地に向けて穴がいくつか開いていた。全貌はわからないがどうやら男の言うとおり、荒れ果てた建物であるのは間違いなかった。

「ここは工房街区じゃないようだな。川沿いだから倉庫街区か?」

 最初の声の男がほのかな光に照らされた建物の壁を見上げてそうつぶやいた。

「ご丁寧に穴まで開けて我々を歓迎してくれるそうだ。どうだい、ここよりは落ち着けそうじゃないか?」

 二人目の男の声に、一人目の男は黙ってうなずいた。


 案の定、その建物はかつて倉庫であったと思われる構造だった。

 壁と屋根だけの広い空間。どうやら吹き抜けではなく二階構造のようだが、一階から見上げた二階の床、つまり一階の天井は穴だらけであった。

 二人は足音を忍ばせて倉庫の隅に申し訳程度に区切られたいくつかの部屋のうち、扉が閉まる部屋を選んで、そこに入った。

「ここにいても問題の解決にはならんが、雪がやんだとはいえあのままだと凍え死ぬのを待つだけだったろうな」

 二人目の男はそう言うと、部屋にあったほこりだらけのコップを拾い上げ、光る石をそこに入れて地面においた。

 そうやると光の方向を一方に制御できる。また光の漏れも最小限にとどめられる。

「ちくしょうめ」

 最初に声を出していた若者は若いデュナンであった。小さな光でも認識できるほど、その白い顔には多くのそばかすが見えた。

 向かい合って胡座をかいている人影は、デュナンの青年よりも一回り以上大柄だった。いや、背が高いと言い換えた方がいいだろう。

 長い髪の間から覗く耳の先がやや尖っている。すなわちアルヴ、もしくはアルヴの血が濃いデュアルであろう。

「いったい何なんだ?」

 問いかけると言うよりも、混乱を押さえるための自問のような口調でデュナンの青年はつぶやいた。

 アルヴの男がそれに答える。

「さっきの連中が叫んでいた内容こそ、君のその問いに対する唯一の答えだろうな」

「本当にアルヴ狩りをやってるって言うのか?」

 今度の言葉はアルヴに向けられた問いかけだった。アルヴの男はうなずいた。

「あの様子じゃ信じるも信じないもない。私はここで夜を明かす。君一人ならここから出ても町を歩けるだろう?」

 アルヴはひげを撫でながらそう言った。

 デュナンの青年が怒り心頭と言った苛立ちを隠さないのに対して、アルヴの口調は静かなものであった。

「おいおい、ここまで来てバカな事言わないでくれ、ハロウ先生よ」

 そういって大きなため息をついたデュナンの青年の名はベック・ガーニー。調達屋である。

 そして彼がハロウ先生と呼ぶアルヴは、ベックの前ではいまだハロウィン・リューヴアークと名乗る自称呪医であった。

 ハロウィンとベックがハイデルーヴェン入りしたのは、まさにエルネスティーネ達がヴェリーユで一暴れしてハイデルーヴェンに逃れた、その日の夜であった。

 彼らもここに来る途中で情報収拾の為に立ち寄った小さな町で、ハイデルーヴェンでは最近アルヴ族に対する排斥行動が表面化しているという噂は確かに聞いていた。酒場で近くに座った男達が、アルヴであるハロウィンを見て声をかけてきたのだ。

「噂だから実際どうなのかはわかんねえがよ、一応気を付けなよ」

 情報を提供した毛皮の行商人は、そう言うとハロウィン達にだけ聞こえる程度の小声でこう付け加えた。

「オレのばあちゃんがアルヴなのさ」

 もちろん、ベックだけでなく、ハロウィンもその男の話は信じなかった。話半分程度にも思っていなかったのだ。

 だが結果としてハイデルーヴェンは、その男の話の数倍はひどい状況になっていた。


「まさかとは思ったが、いきなり襲われるのは想定外だった」

 ハロウィンは改めてそう言うと帽子を被りなおし、ため息をついた。

「のんきな事言ってる場合じゃねえよ、ハロウ先生。明るくなったら余計に面倒じゃないか?ここにいてもじき見つかるだろうしな……」

 ベックはそういいながら頭を抱えた。

 その様子を見て、ハロウィンが口を開く。

「もう一度言うが、君は正真正銘のデュナンだ。だから一人だけなら、これから調達屋組合に行くなりすれば安全じゃないか? そこで改めて宿を紹介してもらうなりすればいい」

「だから、そんな事できるわけねえだろって言ってるんだよ。『アルヴ狩りに遭ったので、ハロウ先生を捨てて一人で安全地帯に逃げ込みました。おかげでこうやってぴんぴんしています』 なんて家に帰ってシェリルに言えると思うか?」

「合理性を重んじるデュナンの中でも、君はその権化とも言える調達屋じゃないか。どっちが得か損かは考えなくてもわかるだろう?」

「そもそも得か損かなんて考えてたら、もう一度あのきな臭い連中と合流しようなんて思わねえよ」

 ベックの言う『きな臭い連中』とは、もちろんアプリリアージェ達一行の事である。きな臭かろうが無かろうが、ベックにはアプリリアージェ達と合流する必要があったのだ。

 そしてもちろん、ハロウィン・リューヴアークにも。

「こうなったら仕方がないな」

 少し間を置いてそう言うと、ハロウィンはくるまっていたマントの一番上のボタンを握りしめて、小さくつぶやいた。

「エマリア」


「え?」

 ベックは驚く暇もなかった。

 ハロウィンがつぶやいた瞬間、片方の手に精杖が握られていたのだ。

 ベックはその意味を知っていた。ルーナーの証である。だが、彼が知るハロウィン・リューヴアークがルーナーであるなどという事実は彼の知識の中にはなかったことだ。

「先生、あんたまさか?」

 まさかではなく、もはや疑う余地はない。ベックの前に座っているアルヴの正体はルーナーだったのだ。

「言っておくが、私は嘘をついていたわけではないよ」

「え?でも」

「ベック、君は私に『おまえはルーナーか?』と尋ねた事があるのかい?」

「そりゃあ……いや……待て待て待て!」

 ベックはさすがに混乱していた。

 ハロウィンが呪医だとは聞いていた。だが呪医とは必ずしもルーナーである必要はない。精霊石が使えて医療の知識があればいいわけである。精霊石とはルーナー以外でも使える物が多い。医療用の精霊石はまさにそれである。医療用精霊石については専門に生産しているハイレーン組合があり、呪医は通常そこから調達する事になっている。

 そもそもハロウィンはベックの、いや誰の前でもルーンを使った事は一度もなかったし、当然ながら今やったように精杖を取り出して見せた事もなかった。

 必ずしもルーナーである必要のない呪医だが、当時はそれでも多くの場合、呪医とはルーナーであった。だから見方を変えればハロウィンがルーナーであってもなんらおかしくはないという事になる。

 要するにベックが混乱したのは、ハロウィンがどう言い訳しようと自分がルーナーであることを明らかに隠していた事と、そもそも単なる「そこらへんにいる」ルーナーではなく、相当高位のルーンが使えるルーナーである事を知ったからである。

 精杖を違う形に変形して格納できる力を持つ者は、バード級のルーナーくらいであるという知識はベックも持っていた。そしてベックは実際にそんな事をやって見せたルーナーをたった一人しか知らなかった。そもそもベックは、エルデが実際に精杖ノルンを取り出して見せるまでは、本当に精杖の格納などができる人間がいるとは実は信じていなかったくらいなのだ。

「まあ、敢えて言わなかった事はすまなかったとは思う。必要が無かったと言うよりはご想像通り隠しておきたかった理由があったからだ」

「だったら聞くが、俺が『あんた、実はルーナーだろ?』って尋ねたら正体をバラしたか?」

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