第五十五話 無意識の暗殺者 3/7
「ああ、あれね。ルーナーの天敵。確かルーンがまったく通じない、触れられるとルーンが使えなくなるっていう……」
「ええ。そのキャンセラです」
「なるほどなるほど。確かキャンセラが触れると、かかったルーンも全部剥がれてしまうのよね」
「その『なるほど』です。たとえ目標がどんなに強固なルーンで体が守られていようが、彼女が触れるだけで全てが無効になる。どうです?これほど確実な『暗殺者』はいないでしょう?」
「ミドオーバ大元帥はキャンセラを密かに育てていたって事?その為だけに?」
「その通り。たとえ風のエレメンタルの周りにルーナーが居ようと、風のエレメンタル自身にコンサーラによる強化ルーンが施されていようと、キャンセラが触れれば全て無効となります。そして本人には相当の武芸・剣技を習得させておく。これすなわち、確実に使命を全うする事ができる力を持つ暗器という事です」
キセンは僧正の説明をそこまで聞くと、腕組みをして首をかしげた。
「あなたの言うそのキャンセラが完璧な暗殺者だとすると、私にいったい何の用なの?」
ようやく本題、いや僧正が訪れた確信部分にキセンが触れた瞬間であった。
キセンは僧正の訪問の真の目的を理解した。平たく言えば本物のイエナ三世の暗殺に手を貸せという事である。
だが、手を貸せとはどういう事なのか?
僧正が完璧な作品だと称える暗殺者は既に「的」の側にあり、準備が整った状態であるという。ならば僧正はいったいキセンに何を求めてきたというのだろうか?
キセンならずともエイルやエルデの疑問はそこに集約されていた。
「かかる『大事』はより完全な状況下において成したいとおっしゃるものですから」
「いったい誰が『おっしゃった』の?」
「むろん副堂頭猊下です」
「猊下、ねえ……」
キセンのエーテル体は僧正の使った言葉を反芻するようにつぶやくと、視線を一瞬だけ「魔法の鏡」に注いだ。エルデに合図をおくったのか、無意識のうちにエルデの様子を見ようとしたのか、そこまではわからない。
僧正はキセンのその態度には気付かない様子で、協力要請の為に訪れた理由を説明し始めた。
「ヴェリーユに於いて副堂頭さまが風のエレメンタルを取り逃がした話はしましたな?」
「捕まえるつもりだったという話は聞いたわ」
「その時に、付き人に厄介な人間がいる事がわかりまして」
厄介な人間とは高位の風のフェアリーだと、僧正は言った。まさにエルデの予想通りである。ただ、ヴェリーユで副堂頭カテナ・ノルドルンドが出会った風のフェアリーとはアプリリアージェ・ユグセルではなく、ファルケンハイン・レインであったのだが、そこまでの詳細をもちろんエイル達は知るよしもなかった。
「教授長もご存じの通り、フェアリーの能力はキャンセラで相殺できません。そこで……」
僧正がそこまで話すと、キセンはめんどくさそうに手を振った。
「なるほどね。全部わかったわ。つまりアレが欲しいって言うのね」
「そうです。『アレ』さえあればこの計画は完璧となりましょう。風のフェアリーだけでなく、坑道を巨大な岩盤で塞ぐ程の力を持つ高位ルーナーか、もしくは地のフェアリーまでいるようですから」
そう言ってニヤリと笑う僧正に、キセンはしかし腕組みをしたままで険しい顔を向けていた。
「でも、仮にも一国の王の暗殺に手を貸すっていうのはさすがに寝覚めが良くないわ。大体この間のことも私は報告を一切……」
「いえいえ、教授長が気に病む事はございません」
キセンに皆まで言わせず、僧正は笑みを崩さないままでそう言葉をかぶせた。
「いつもの通り使用理由は聞かなかった事でよろしいでしょう?私も今回は少ししゃべりすぎました。ここでの話は一切ご内密にしていただかないと色々と面倒になります。どちらにしろ使用目的とその背景をお伝えしないとあなたは何もお譲り下さらないのですから、ここはいつもの通りのお取引と言う事でひとつ」
キセンは僧正の言葉に対してあからさまに機嫌の悪さを表した。
「『アレ』は今、在庫がほとんどないのよね。時間と手間がかかって次にまた作るのも大変だし、前回と同じ額って訳にはいかないわよ」
話は既に値段の交渉に移っていた。
「『アレ』って……」
エイルがそういうと、エルデがすかさず再び人差し指をエルデの唇にあてた。
「こっちから聞きたいんやけど、アンタはウチが『アレ』だけでわかると真面目に思てるんか?」
「……思ってる」
「んなわけないやろっ」
「オレはそれくらいお前がすごいヤツだって思ってるという事がいいたかったんだ」
「え?」
「マジでそう思ってるぞ」
「そ、そんな事言われたら……ア、アレやな」
「なんだよ?」
「何でもないっ」
「感心してほめたんだから、素直に喜べばいいじゃないか」
「アンタに褒められても別に嬉しゅうも何ともないわ」
「ああそうですか」
「ああ、そうですよ。ウチがわかってるのは青緑女が、なかなかの商売人やっちゅう事や」
「ああ、それは言えてるな」
確かにそうだと、エイルは思った。国王暗殺に関われと言われたのだ。対価はいかほどのものかエイルには見当もつかなかった。だがそれ以前にエルネスティーネの命の値段のやりとりをしているようで、嫌悪感が先に立っていた。
「私からこういう事を申し上げるのは気が引けるのですが、今回は副堂頭様とのお近づきのしるし、という事でそれなりに勉強をしていただけると、新教会側としてもプロット教授長へのこれからの覚えも一層めでたくなるのではないかと」
「あら……」
僧正はしかしキセンの言いなりにはならない様子だった。
「副堂頭に点数稼ぎをしたいのはあなたでしょ?いつまでもハイデルーヴェンの新教会駐在所、じゃなくてハイデルーヴェン新教会府の府長さまでは面白くないのではなくて?」
「いえいえ、何をおっしゃいますやら」
「
キセンはそんな僧正に、名前らしきもので初めて呼びかけた。
だがそれは普通の名前ではなかった。ある法則に則った、エイルもよく知る特殊な立場の人物達に与えられる名前に類似するものだ。
「プロット教授長」
名を呼ばれた僧正は、険しい表情で抗議をした。
「その名は口にせぬようにとお願いしておりましたのに」
「あらあら、私とした事がごめんなさい。ええっと、府長さまは何という名前でしたっけ?」
「ランディでございます」
「そうそう。ランディ・アルオマーン府長だったわね。覚えておくわ」
「よく言います。毎回同じ会話を交わしておりますぞ。まったく教授長は人が悪いというか、お戯れが過ぎますな。副堂頭との会見の場ではお控えくださいませ。あの方はそういう態度を特にお嫌いになるようですからな」
「面白みの無い人間ね。ランディ、あなた知ってる?人の上に立つ人物は星の数程いるけど、尊敬と憧憬という言葉と共に歴史に名を残す指導者っていうのは砕けた話が好きな人物ばかりよ。これは歴史が証明しているわ」
「はあ。さようですかな?」
「ま、そんな事はどうでもいいわ。それはそれとして、これははっきりさせておくけど、私はあなた達の陣営に荷担している訳じゃないのよ。私のお買い得価格が気に入らないというのなら、他に売る宛てはいくらでもあるわ。何なら販路をさらに拡大してもいいくらいよ」
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