第五十五話 無意識の暗殺者 4/7
「エルデ」
「わかってる」
エイルはエルデの顔は見ずに声をかけた。エイルに代わって今度はエルデの感情が高ぶっているのは気配でわかっていた。もちろん、キセンが僧正の「名」を告げた時からである。その感情の高ぶりが収まらない様子に、注意を喚起する為に声をかけた格好だった。
「やっぱり、そうなのか?」
新教会どころではない。正教会の人間であれば……いや「あった」のならば、《真赭の頤(まそほのおとがい)》の処刑、いや死を知っていてしかるべきである。サミュエルはだからこそ、安心してシグ・ザルカバードという既にこの世に存在しない人物の名を騙った文書を出す事に成功したのだ。正教会と関係がある他国で怪しまれようとも問題はないのだ。シルフィードで「偽物」だと断定されなければ目的は達するのだから。なぜなら「ザルカバード文書」とは、ル=キリアをおびき出せればそれでいいからだ。
「《淡黄の扇(たんこうのおうぎ)》……三席の賢者や。強力なエクセラーで、確か炎を使う範囲攻撃が得意やったな……」
「ここは『正教会の賢者が、新教会の僧正を名乗るのはなぜだ?』って聞いてもいいのか?」
「聞いてもええけど、ウチに答えられると思たら大間違いやで。ウチも大混乱中や」
「だよな」
「でも、一つだけわかった事がある」
会話の途中でエルデの感情の揺らぎが徐々に収まるのをエイルは感じていた。理性が強く働き出したのだろう。
「青緑女史は、わざと相手の賢者の名前を口にしたんやな」
そう言われてエイルも思い当たった。
確か、相手の僧正の名を口にするのを止められているようなやりとりがあった。そんな重要な事を忘れているなんて、妙に白々しい言い訳だと思ったが、それは相手に対する嫌みではなく、エイル達に相手が僧正でありながら、その正体が賢者であることを知らせていたという事なのであろう。少し前にチラリと「魔法の鏡」に視線を向けたのも、その前振りのようなものだったのかもしれない。
「青緑はウチら……いや、ウチの正体を推理して、アレでカマでもかけたつもりなんやろな。あるいは、単純に相手の名前を知らせてくれた親切な人なんかもしらんけど……。アンタはどっちやと思う?」
「親切心……だと思いたい。オレがフォウの人間だから、かもしれない」
「そやな。かもしれん。でも、違うかもしれん。まあ、今のところはこっちに敵意はないと思っとこ」
「うん」
「では、いかほどなら?」
「そうねえ……」
値段交渉はどうやらキセンの勝ちのようであった。
そもそも話の流れから察してもこの取引は完全な売り手市場といっていい雰囲気である。それなりの理由がない限り、キセン側に値下げをする理由は見つからないと言っていいだろう。
「前回の五割増し。嫌なら帰っていただいて結構。出口はいつもの通りよ」
元値がいくらなのかエイル達には知るよしもない。五割増しが高いのか安いのかも判断はつきかねた。そもそも「アレ」とは何なのかがわからないのだ。ただ、ランディという現名のハイデルーヴェンの新教会府の府長は恭しく礼をすると、二つ返事でそれを受け入れたのである。
その様子をみたキセンの表情が一瞬「しまった」という風に変化したのをエイルは見逃さなかった。
もちろん、エルデも。
「そうとうな『ごうつく』やな」
「かもしれないな」
「その割には本人、別にガラクタのような宝石で着飾るでもなし、ゴミのような飾りの付いた瀟洒な服を身につけているわけでもなし……」
エルデはそう言うと、エーテル体を操作中でうつむいたまま動かないキセンの本体を眺めた。
「カネを集めるのが趣味なんか、根っからの研究者なんか……」
「あの人はたぶん、根っからの研究者だよ」
エルデの独り言にエイルが反応した。
「少なくとも、フォウではそういう人だった。そう言われていたしオレもそう思ってた」
「ふーん……」
「じゃあ、明日の朝にまた来て頂戴。用意しておくわ」
値段交渉がまとまったところで、キセンがそう告げた。
「明朝ですか?」
「アレは仕上げに時間がかかるのよ。嫌なら私は別に」
「わ、わかりました。では明朝に参ります」
「七時には仕上げるから、いつもの通り現金と引き替えでお願いね」
「承りました。受け取りは私自身が参ります」
「そうして頂戴」
ハイデルーヴェン新教会府府長ランディ・アルオマーン。またの名を《淡黄の扇》と名乗る僧正が来客室を出ると、部屋の中に残ったエーテル体は動きを停止した。そしてその停止状態のまま存在が薄くなり、やがて消えていった。それは「時のゆりかご」でシグ・ザルカバードが消えていく様と酷似していた。
ややあって本体である青緑の髪と瞳を持つキセン・プロットが顔を上げた。
「ふー」
辺りをはばからず大きなため息を一つつくと、その青緑の髪を翻して、部屋の主はエイル達を見つめた。
「どうだった?」
エーテル体の制御から離れたキセンが最初に口にした言葉はエルデに対する質問だった。それも、かなり漠然としたものだ。
自分でも答えにくい質問だという事はわかっていたのだろう。エルデがまだ何も答えないうちにキセンは質問の内容を変えた。それはおそらくはじめから用意されていた質問であった。つまり、本当の問いである。
「あなたはひょっとして、あの男の事を知っているんじゃないの?」
今度の質問はかなり具体的かつ、回答者にとっては究極とも言えるものだった。具体的な質問とは「はい」か「いいえ」で答えられるものを指す。キセンの質問はある意味でエルデに「はい」か「いいえ」という簡単でありながら決定的な情報を引き出す可能性もある、究極の質問だと言えた。
エイルは一つの言葉、いやファランドールに流布する通説を思い出していた。それは「賢者は嘘をつかない」いや、「嘘をつけない」というものだ。
要するにキセンは、エルデが賢者であるか、少なくとも賢者と何らかのつながりを持っている人物だと推理していたという事である。
つまりエイル達の予想は当たっていたのだ。ごく短時間の面接時間しかなかったにもかかわらず、キセンはそこまで推理していたのである。
「面識はない」
少しだけ間を置くとエルデはそう答えた。
答えは「はい」でも「いいえ」でもなかったが、キセンは満足そうな笑顔を浮かべた。賢者が嘘をつかない風聞が事実だと確信したのであろう。それはすなわちエルデが賢者だと確信したという意味でもある。
「でも、知っている?」
「名前は知ってる。遭うた事はない。つまり知り合いやない」
「なるほど」
言葉を選ぶようにゆっくりと答えるエルデを無遠慮に観察しながら、キセンはそれでも満足そうにうなずいた。
「基本的に俗世、ここでは現世(うつしよ)って言うんだっけ?、つまり一般の社会と隔絶して暮らすなら、あなたのその目立ちすぎる容姿でも問題はほとんどないという事ね。だって、いくら情報伝達網が原始的なファランドールとは言え、あなたみたいに目立つ姿の人間がいる、なんていう情報がこの街に伝わってこないなんてことはないわ」
キセンの質問とも独り言ともとれる言葉に、エルデは答えなかった。
「そんな事より」
そう。
エイル達にはキセンに尋ねなければならない事がいくつかあった。それも急いで。
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