第五十五話 無意識の暗殺者 2/7

 確かにエルデの言うとおり、アプリリアージェがサミュエル・ミドオーバに疑いを持ってもおかしくはない。

 そもそもエルネスティーネを王宮から外へ出したのは誰か?

 どこにいるともわからない他のエレメンタルを見つけ、合流し、マーリンの座へ向かう計画は誰が立てたのか?

 計画の中心人物ではないかもしれない。だが少なくともエルネスティーネ、いや風のエレメンタルのシルフィード脱出作戦に国家の政治を司る人間として、近衛軍大元帥が荷担していないはずがない。エルネスティーネの出発の日はある程度予定されていたのであろうし、サミュエル・ミドオーバならばそれに合わせた長期の計画を立てるのはきわめてたやすいことではないのか?

 こうなると、別の問題も解決する可能性がある。

 同じ時期に例の『ザルカバード文書』に記された偽の庵に自軍を派遣させるように進言したのもサミュエル・ミドオーバではないか?進言せずとも、実施案に賛成の態度をとるだけでもいい。それはおそらく実行に移されるに違いない。

 だとすれば、ザルカバード文書を「でっち上げた」のはサミュエルだと考えるのが自然であった。

 エルネスティーネを強固な城から追い出して、旅先で客死させれば風のエレメンタルでも何でも無い、力を持たない「変わり身」を操り実権を持つ事ができる。

 混乱時に重要になるのは強力な「力」である。瞬発力のある局地的な戦闘力と言い換えてもいい。当然ながら首謀者はその「力」を準備した上で「事」に取りかかるのは間違い無い。しかし敵対勢力に「力」があるとどうか? 勿論、混乱は長引き、思惑の達成に困難が伴うだろう。そうなると彼が考える事は一つ。目の前に立ちふさがる可能性のある「力」が邪魔になる。制御できる力ならば取り込めばいい。だがそうでない力、そうできない力、その可能性のない力がシルフィードにはあったのだ。すなわち国王直属で、近衛軍とは接点がなくサミュエルでは制御が難しい存在、つまりル=キリアがエッダにいてもらっては困るのだ。

 邪魔になるから遠ざけるだけでは心もとない。出来れば潰しておくに越した事はないという考えに至るのは、何もサミュエルでなくてもたどり着く当然の答えであろう。

 そしてサミュエルの思惑通り、ル=キリアはほぼ壊滅した。だが完璧ではなかった。誤算が生じたのだ。ル=キリアは全滅しなかったのだ。少数だが精鋭が、それも司令官と副司令官が二人とも生き延びて、エルネスティーネの護衛についているのだ。

 サミュエル側とすれば、考える事は一つ。エルネスティーネもろとも、邪魔なル=キリアの残党を確実に始末する手段である。

 サミュエルはつまり、事が起こった場合、ル=キリア……いやアプリリアージェならば真っ先に自分に疑いの目を向けるだろうと考えていたのだ。

 万が一そうならなくとも、可能性があるならば、その芽は摘んでおこうと思うのは、当然であろう。


「それにしても」

 エルデは機嫌が悪い時によくやる仕草、すなわち目を細めて僧正を見やりながらつぶやいた。

「新教会がシルフィード……いやサミュエル・ミドオーバ大元帥と通じてたとは正直言うて驚いた」

 エイルもその点に行き着いていた。

 僧正は「準備を進めていた」と言った。サミュエルの事を「あの方」とも。

 さらに言えば、サミュエルはシグ・ザルカバードがこの世に存在していない事を知っていた事になる。一般にはまったく知られていない事である。蛇の道は蛇という。つまり新教会のごく上層部ならばその手の情報を入手できても不思議ではないだろう。

 そうなるとサミュエルは単なる駒や同盟相手ではなく、新教会にとって相当重要な位置を占める存在かもしれないのだ。少なくとも僧正の口ぶりから察するに、サミュエルは敬うべき存在である事は間違い無いのだろう。

 アプリリアージェが果たしてそこまで読んでいるのかどうかはエイルにはまだわからなかったが、ヴェリーユでティアナとエルネスティーネを一緒に買い物に行かせた事を考えると、さすがに新教会とサミュエルの結びつきにまではたどり着いていないと考えるべきであろう。

 とは言え確かにエルデの言うとおり、アプリリアージェはティアナに対して用心をしている可能性が高かった。


 エイルはそこまで考えると、ある事に思い至った。

「そうは思いたくないけど、まさかリリアさんはファルをティアナの監視役にしているのか?」

 エルデはしかし小さく首を横に振った。

「ヴェリーユではネスティとティアナを一緒にさせて、護衛はファルに任せた格好やから、可能性はあるな。でも、少なくともファルにそれを含ませてるようには見えへんかったな。ただ、ティアナとファルをできるだけ一緒に居させようとしているのは確かや。それより、今のはええ線を突いてる。アンタらしゅうないけどな」

「オレらしくないっていうのは余計だろ」

「でも、後一歩やったな」

「え?」

「リリア姉さんは、ファルよりもうちょっと確実な網を張ってると思うで」

「確実な網?」

「移動している時の位置関係を思い出してみ?必ず、やないけどティアナの後ろを定位置にしている奴がおるやろ?」

「……リーゼか」

 記憶を辿れば、すぐに答えが出た。エルデの言う通り、いつもではないが、テンリーゼンはティアナの後ろを歩く事が多かった。そしてさらに記憶を辿ると、テンリーゼンがティアナより前に行く時は代わりにアプリリアージェが後方に下がっていた事を思い出した。

「リリア姉さん達が合流してたとしても、ティアナの後方にはいつでも動けるように恐ろしい人形さんが待機しているっちゅう事や」

「いや、待てよ」

 エイルはエルデの言葉に大きな穴を見つけた。

「それじゃ、事が起こったらティアナはリーゼに……」

 それはエイルが望む結末ではなかった。

 エルネスティーネだけが助かればいいわけではない。彼の望みはティアナ「も」助かる事だったのだから。そうでなければならない。エイルにとってはティアナも「仲間」なのだ。

 エルデはさらに抗議しようとしたエイルの口に、すらりと形の良い人差し指をあてた。

「そこや。たぶん向こうもそれに気付いたんやろ。つまり、ティアナとリリア姉さんは一緒におる」

「ああ、そうだな」

「そやからこそ、確実にティアナを『使える』ようにしたいんちゃうか?つまり」

「さっきお前が言った通りで、オレ達にはまだ時間はあるって事だな」

 エイルの言葉にエルデは大きくうなずいた。

「聞いて、それから考える。今ウチらに出来る事をやらなアカン」

 エイルはその通りだと思った。

 いや、言い聞かせた。何しろ体はまだ、じっとしている事に焦っているのだ。動悸が完全には収まらない。

 こんなことはファランドールに来て初めての事だった。


「キャンセラ?」

 キセンは僧正の言葉に少しだけ記憶を漁る様子を見せた。先の千日戦争で、ある特殊な能力を有する者が無理矢理狩り出されたあげく、全員が戦火の中で散り、既にこの世には存在しなくなったという話は知識としては知っていたのだ。

 だが、もちろん例外はいくらでもある。ティアナ・ミュンヒハウゼンがその例である。

 絶滅したと言われるピクシィですら、エイルやエルデの様に実際にまだ存在しているのだから。

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