第五十四話 魔法の鏡 5/5
エイルとエルデは顔を見合わせた。
「やっぱり、っちゅうかバレてたんやな」
「なぜだろう?追尾や感知ルーンは関係無いはずじゃ?」
「うーん……目をつけられてたんかもしらんな」
「それはもしかして、ヴェリーユにネスティ達の誰かの顔を知っている人間がいたって事だよな?」
「新教会の人間に顔を知られてる人物がおるってか?」
「単純に考えるとそうなるだろ?」
「アンタはいっつも単純に考えすぎや。でも、その可能性はあるかもな」
「そんな事より追われてるのがネスティ達だとして、じゃあさっきの話の『地のフェアリー』っていったい誰だよ?」
「ウチが知る訳ないやん」
「オレも知らないよ」
「フンっ」
「何だよ?」
「これでおあいこやな」
「いやいやいやいや、何が『おあいこ』なんだよ。意味がわからん」
「しっ」
エイルの突っ込みはしかし体よくかわされた。僧正が説明を始めたのだ。追求するのは後回しにして聞き耳を立てざるを得ない。
「エッダは大葬の最中なんでしょ?なのになぜ風のエレメンタルであるイエナ三世がヴェリーユなんかにいるのよ?」
追っている相手の名前が風のエレメンタル、つまりシルフィード王国の現国王である女王イエナ三世だという説明は、キセンにしてみてもさすがに冗談にしか思えなかったようであった。だが、わざわざ新教会の僧正という地位にある者が単身、おそらくはお忍びでわざわざやって来たあげく、つまらない冗談を口にすると考える方が不自然である。
すぐにキセンもそこに考えた至ったのだろう。
「お忍びで物見遊山……まさかね。だとしたら新教会との同盟……って事も無いわよね。それよりさっきあなたは一国の王を捕まえて『手配犯』なんて言葉を使ってたわよね?」
「――実はエッダには女王イエナ三世はちゃんとおられます」
「何ですって?」
キセンの目が大きく見開かれた。
「それって、つまり」
「そうです。つまり、エッダのイエナ三世は『変わり身』でございまして……」
キセンは僧正のその一言に、さすがに言葉を失ったようだった。
「ほとんど誰にも知られていなかった事なのです。エルネスティーネ王女には変わり身が用意されていたのですよ。即位したのが変わり身だという事が明るみに出ると、シルフィード王国だけでなくファランドールには混乱の波が津波のように襲いかかる事になるでしょう。もちろんこのご時世ですから混乱を望む者は多いでしょうが、まだその時期ではございません。この件はくれぐれもご内密に」
「『変わり身』を置いて、本物は何の為に……いえ、そんな事はどうでもいいわね。新教会はそもそも本物のイエナ三世を捕まえてどうするつもりなの?」
「いえ……」
キセンの質問に、しかし僧正は口ごもった。
「何よ?お尋ね者なんでしょう?」
「いえ、そう言う事ではなく、その……アレです。『捕まえる』のではなく……ここまで言えばおわかりでしょう?我らが必要としているのは本物ではなくエッダで玉座に着いている『変わり身』の方なのですよ」
キセンのエーテル体の目が大きく見開かれた。
それに呼応するようにエルデの精霊波が再び揺らぐのがエイルには感じられた。とっさに身構えたエイルだが、すぐにエルデがつないだままの手を握ってきた。
それ以上に激しく乱れる事がなさそうだと判断すると、何も言わずにまたキセン達の会話に耳を傾ける事にした。
「まさか、新教会は本物を『暗殺』するって言うの?」
「ヴェリーユでは捕らえる事に失敗いたしましたので、こうなったら仕方がないと。もはやこちらの損失なしに確保するのは困難でしょうから」
「ちょ、ちょっと待って」
キセンは頭を抱えた。
「ヴェリーユの高位ルーナーが作った精霊陣が風のエレメンタルには役に立たないんでしょ?そんなの、そもそもどうやって……」
「その点は大丈夫なのです」
「大丈夫って……」
「捕らえるのは困難です。しかし命を奪うとなると話は別。事は簡単なのです。『あの方』はいざというときの為に、ちゃんと周到に手を打っておかれたのですよ」
「おい」
エイルはたまらずエルデに声をかけた。
エルデは険しい顔をしていたが、冷静さは保っているようだった。
「まさか、な……」
「お前、まさか心当たりがあるのか?」
「ずっと前やったけど、ちょっと気にかかった事があったんや。けど今はとりあえず、あいつの話を聞いとく事が先決や」
エイルは鼓動が高まってくるのを感じていた。僧正の言葉は嘘でも何でもない。エルネスティーネは本当に危険なのだと直感で肯定していた。
そもそもエルデに何か思い当たる節があるということは、肯定の判断材料になる事はあっても否定できる情報ではない。つまり新教会の僧正の言葉が、口から出任せでない事は確かに思えた。
「『あの方』って、ミドオーバ大元帥の事ね?手を打っていたって、どういうこと?」
キセンの問いに、僧正は意を決した様に答えた。
「ご協力を仰がねばならぬ立場ですから、この際全てお話ししておきましょう。ですが、くれぐれもご協力は……」
「いいから、何なのよ?」
「『あの方』はずいぶん以前から今度の計画を立てておいででした。様々な準備をされていたのです」
「知っているわよ。私はその手伝いの一部をやらされたんだから。《深紅の綺羅(しんこうのきら)》の一件では私はミドオーバ大元帥に跪いてあがめてもらいたいくらいよ。なのに未だに挨拶にも来ないわ」
「色々とお忙しくてなかなかこちらまでは……ともかくその準備の一環として『あの方』はいざというときの為に、風のエレメンタルを確実に抹消する為の武器を育てておられました」
「武器?育てた?」
「ご想像通りです。武器と言っても要は人間です。常に風のエレメンタルの近くにあり、もっとも献身的な人間……風のエレメンタル自身が自分の背中を預けておけると思える存在です。これほど確実な『押さえ』がありましょうや?『あの方は』もう何年もかけて準備されていたのですよ」
「なるほど、子飼いを側に置いてたって事ね。確かに周到な事ね。でも、相手は人間でしょ?長くその人物の近くで仕えていれば、心変わりしかねないわ。今じゃ本当に向こうの『味方』になっている可能性があるんじゃない?」
キセンのその言葉を僧正は待っていたような節があった。なぜなら、彼はその言葉を聞くと笑みを浮かべたのだ。
「その点は問題ございません。なぜなら当の本人は心の底から風のエレメンタルを守る役に命をかけておりますゆえ」
「どういうこと?」
エーテル体は眉間に皺を寄せた。
「何、簡単な事です」
僧正は肩をすくめてみせた。種を明かせばなんと言う事はない、とでもいう意味であろう。
「決められた有る言葉を耳にすると、予め命令された事を無意識のうちに実行に移すような呪法があるようでして」
「呪法ですって?」
「おいっ!」
「わかってるっ!」
エイルとエルデの思いは同じだった。おそらく間違いはない。
二人は僧正の言う『武器』なる人物を簡単に特定できたのだ。
エルネスティーネの事を慕い、守る事に命をかけている白髪の女アルヴ……。そして彼女がその役目にまたとない程ぴったりな特殊能力を持っている事に思い至った。
もはや間違いようがなかった。
「その者は先天的に特殊な能力を持っておりましてな。それが為にその役に選ばれたようなものでして。もっとも本人はたゆまぬ努力と忠誠心の高さに運が加わって今の役目をいただいたと、心から喜んでいるようですが、まったく哀れなものです」
僧正はキセンが問いかけずとも、饒舌にサミュエル・ミドオーバが作り上げた暗殺者についての説明を喋りはじめていた。どうやら暗殺が確実である事をキセンに理解してもらう事が今は重要であるらしかった。それはつまり、僧正の「真の用件」はその先に有るという事になるのだろう。
「先天的な特殊な能力ですって?」
キセンが反応すると、僧正は我が意を得たりとばかりに笑みを浮かべた
「さようでございます。プロット教授長は『キャンセラ』という存在をご存じですかな?」
「エルデ!」
エイルの声は悲鳴に近かった。悪い予想が的中したのだ。
キャンセラという言葉は、その暗殺者の名と同じ意味を持っていた。
少なくともエイルとエルデにとっては。
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