第五十四話 魔法の鏡 3/5
「やっぱり微動だにせえへんな」
エイルがキセンの白衣の下の具体的な想像に入る前に、エルデがそうつぶやいた。
「あ……ああ、そうだな」
どうやらエルデは本気でキセンの服を脱がす気などはなかったのだ。普通の女性であれば思わず身構えてしまうような台詞をあえて口にして反応を試したのだ。しかしエルデの言う通り、確かにキセンはその言葉が聞こえているはずなのに微動だにしていなかった。
「エイル」
「何だ?」
「今、ウチが言うた言葉に動揺したやろ?」
微妙な安心感から小さなため息を漏らしたエイルに、エルデの追及の手が伸びた。
「え?いやいやいやいや」
エイルは慌てて目の前で手を振ってエルデの疑念を払おうとした。
「オレはお前が本当にそんな事をしようとしたら、すぐに止めるつもりだっただけだ」
「ふーん……」
疑いの目をエイルに向け、しばらく表情を観察していたエルデだが、しばらくすると、今度はふくれっ面になった。
「ウチだけ裸を見られてんのに、コイツはダメなんか?」
「いやいやいや、お前、何をいってるんだよ。意味がわからんぞ」
だが、エイルの言葉はエルデの耳には届いていないようだった。いや、最初からエイルの返事などに反応するつもりはなかったのだろう。
「くそ、こうなったらみんなと合流した暁には、全員ルーンで空中に貼り付けて、そんでもって一人一人順番に裸にひんむいたる。せやな……まずはリリア姉さんで決まりやな。あの人を小馬鹿にしたような微笑が羞恥に歪んで涙を流しながら許しを請う様を思う存分楽しんだる。それから次は……って、いや、姉さんはあかん。後の事を考えるとあれはちょっといろいろマズい事が多すぎるな……こなくそ」
「いや、だからやるなよ」
「かと言うてティアナをひん剥いてもあの胸や。本人は恥ずかしいやろけど、見てる方は楽しゅうも何ともないなあ。いや、ああいうのが趣味嗜好に合う人間もおるか。ちゅーか、よう考えたらアルヴの男は全般にそういう趣味やいうことやな」
そこまでぶつぶつと独り言を口にしたかと思うと、エルデはじっと値踏みするような視線をエイルに投げた。
「アンタは無い方が好みなんか?」
「何の話だよっ」
「まあええ。やっぱりティアナの胸を笑いものにするのはちょっと洒落にならんな。わざわざファルの不興を買うのも今後の事を考えると得策とは言えんしな。ふむ。こうなったらやっぱり最初はネスティしかおらん!よっしゃ、それでいこ。ネスティやったらエイルも大興奮やろ?エイルの目の前で脱がせたったらネスティのやつ、一人阿鼻叫喚状態で、さぞや見物やろな」
「いやいやいやいや!だからオレは……というか、どう考えてもお前は正義の敵だろ」
「そんならアンタはやっぱり貧乳趣味なんか?でもウチはファルに恨まれとうないしなあ」
「だから、オレはそんなもの見たくないんだよ!」
「ほう?」
エルデの顔がまた邪気に満ちた笑顔に変わった。
「ホンマに見とうないんか?ぜんぜん?天地神明にかけてか?この先一生やで?」
「あ、いや……」
「どやねん?はっきりしいや!」
「まあ、一生とか言われるとオレだってそういうわけじゃないけど……」
「な、なんやて!」
エイルの答えを聞いたエルデの顔から笑みが消えた。代わりに目尻がこれまでにないほどにつり上がった、いや、エイルにはそう見えた。
エルデのその表情を見たとたん、エイルは自らの失敗を思い知った。
「いや。待て。これは何かが変だ。だいたいさっきからいったいお前は何がしたいんだよ」
しかしエルデはエイルの言葉など耳に入っていないようだった。
「このスケベ!」
「違うだろ!というか、来客室の話を聞けよ。お前はそんな顔してるくせに緊張感ってやつがないのかよ?ほら見ろ、なんか本題に入るみたいだぞ」
エイルの言うとおりであった。
話をしながらも来客室の様子は聞こえていたが、相手の答えを聞く前に、今度はキセンが脈絡のない質問を次々に投げ、相手がそれに翻弄されていたようなのだ。しかしそれも長く続かず、その相手である僧正があたりを見渡して声を潜めたのだ。
「プロット教授長。申し訳ありませんが私もいろいろありましてあまり長居もできません。そろそろ本題に入ってもよろしいですかな?」
「よく言うわね。さっさと切り出さなかったのはそちらでしょう?」
「これは面目ない。ただ、あなたの前にでるとなぜかいつも妙な気分になるもので。あ、妙な気分と言っても、誤解なさらぬよう。頭痛のようなものです。なぜか集中力も欠けるようでして。それで自分を落ち着かせる時間が欲しくて最初は当たり障りのない会話をするのが常になってしまいました」
ハイデルーヴェンの駐在僧正とやらは、今目の前で自分と会話をしているキセン・プロット教授長の正体が、実はエーテル体だとは夢にも思ってはいないだろう。だがさすがは僧正と言うべきであろう。それでもある種の違和感を覚えているようであった。
とはいえキセンは僧正の指摘にも似た言葉を顔色一つ変えずに受け流し、話題を逸らした。
「――あなたは話し相手としては面白みがない人ね」
僧正はキセンの嫌みを含んだ言葉には反応せず、小さく咳払いをして、ようやく本題と呼べるものに言及し始めた。
「これは第一級の秘匿事項ですが、ここハイデルーヴェンに手配犯が逃げ込みました」
僧正のその言葉には、さすがにキセンも興味を示した。
「手配犯って、つまりお尋ね者って事?」
僧正は小さくうなずいた。
「それもあろう事かヴェリーユで取り逃がした賊なのです」
キセンのエーテル体はそれを聞くと眉をひそめた。
「詳しく教えていただけるかしら?」
僧正はうなずいた。
「族の侵入の報がもたらされた後、すぐに手は打ったのです。それも実のところ副堂頭御自らが手勢を率いて、確保寸前まではいったようなのですが……」
「ドジったのね?」
「いえ。何と申しますか、相手はこちらの想像をはるかに超える力を持つフェアリーだったようです」
「お尋ね者は高位フェアリーって事?」
「おい」
「そやな。リリア姉さん達の事かもしれん。と言うかそれしか思いつかん」
「だな」
エイルとエルデはいつの間にか『魔法の鏡』に張り付くようにして内部をのぞき込んでいた。
「逃げたって事は無事ってことだな」
「とにかく情報や。話は最後まで聞いとこ。ただし、あいつがプロット教授長に真実を報告してるかどうかはわからへんけどな」
エイルはエルデの言葉に唇を噛んだ。
『誰も信じるな』
ファランドールに来て、最初にエルデから教えられた言葉をエイルは苦い思いでかみ締めた。
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