第五十四話 魔法の鏡 2/5
「久しぶりじゃない。ヴェリタスへはなかなか顔をだせないけど、堂頭様はお元気なの?」
挨拶の後、すぐには本題に入ろうとはせず、ハイデルーヴェンの情勢や信者数の推移など、通り一遍の話題を続ける僧正を相手にせず、キセンは自分からそう言って水を向けた。
話を途中で遮られた僧正はムッとした表情一つ見せず、素直に質問に答えた。
「おかげさまで息災と聞き及んでおります。もっとも今頃はエッダへ向かう旅の空にあらせられます」
「エッダ?」
「『大葬』でございます」
「――ああ、大葬ってアプサラス三世の葬儀、国葬ね」
「左様でございます」
「その堂頭様がお留守の間に、ハイデルーヴェンの要であるあなたが私に直接会いに来るなんて、一体どういう風の吹き回し?」
新教会(ヴェリーユ)の『僧正』に対するキセン・プロットの物言いにはあからさまとは言えぬものの、聞きようによってはやや剣呑ともとれる調子が含まれていた。
変な話だとは思ったが、エイルはキセンのその態度をハラハラしながら見守っていた。
いや……
そもそもキセン・プロットとヴェリーユ、つまり新教会との関係は決して良いものだとは言えないのかも知れなかった。
つまり、こういう事である。
「確かに政治には向いてないようやな」
エルデがまさにそれを指摘するようにぼそりとつぶやいた。
「え?」
「あからさまに不機嫌な態度を、それ相応の地位にある人間に対して隠そうともしてへんやろ?」
「不機嫌ってほどでもないような気もするが……たしかに友好的とは言えないな」
「ふん。ウチらに、いやウチに対してもそうや。たいそう頭のいい学者かしらんけど、少なくとも外交手腕というか人付き合いの才能はあんまりなさそうや。参謀にすらでけへんやろな。都合のええ便利道具扱いが関の山、か……」
エイルは無言だった。
エルデの物言いはキセンを見下しているかのようだが、それはとりもなおさずエルデがキセン・プロットという人物をあまり、いや全然好ましく思っていないと表明しているようなものであった。もっともそれは相手が誰であろうとエルデにとってはいつもの事である。それよりもエルデの言うとおり、エイルの知っている「ヴェロニカ・ガヤルドーヴァ」という有名な学者は称賛と同じくらいの批判を浴びている人物だ。称賛はもちろん彼女の能力と、それによって成し遂げられた数々の成果についてであり、批判は奇抜な行動と相手を敬う事をしない物言いに対してであった。
「いくら有能な学者や言うても、ファランドールでは人物が人脈を動かすもんや。それ相応の地位に就こうと思うたら、能力だけでは難しい。とくにデュナンの国であるウンディーネやドライアドではな。それとも、フォウは完全な能力主義なんか?」
「いや」
それは絶対違うとエイルは言った。
社会の仕組みや政治の内情などを深く知るにはエイルはまだ若すぎた。だが、それでもそれくらいの問いに即答できるだけの常識はあった。
「この人はフォウでもかなり異端な人だよ。ただ、フォウではそんな逆風をものともしない強力な後ろ盾があるという噂もあったな。たぶんそのせいでずいぶん偉い人になったんじゃないかな」
そこまで言って、エイルはキアーナ・ペンドルトンの言葉を思い出した。彼はこう言っていたのではなかったか?
「アダンの偉い人の紹介で突然やってきて、最初から研究棟を与えられていた」 と。
フォウと同じように、キセン・プロットことヴェロニカ・ガヤルドーヴァはここ、ファランドールでも確固たる「後ろ盾」を手にしていたと考えるべきだろう。
だからこそハイデルーヴェンでも『偉いさん』と呼ばれるかなりの影響力を持つはずの相手に対して自分の不機嫌を隠さぬような態度がとれるのであろう。いや、むしろ相手の方がキセンに対してご機嫌を伺っている風に見えた。立場はキセンの方が上なのかもしれない。
もちろん、同じ事はエルデも考えているだろう。
「後で本人に聞いてみたらどうだ?」
「何をや?」
「お前も同じ事考えてるんだろ?ウンディーネの首都島、アダンの『偉い人』がいったい誰なのか、だよ」
「キアーナの言葉を真に受けて、か?」
「あいつが嘘を言っていると思うのか?」
「それはわからへんけど、キアーナにはちょっと気になるところがあるんや」
「気になるところ?」
「いや、ウチの勘違いかもしれへんけど……」
「どっちにしろ情報はあった方がいいんだろ?お前の知っている奴かもしれないじゃないか」
エイルがそう言うと、エルデは大きな黒い目でじろりとエイルを睨んだ。いや、睨んでいる訳ではないのだろうが、目尻が上がったエイルの目で見つめられると睨まれているのとあまり変わらない気分になるのだ。
エルデに睨まれながら、いや見つめられる度に同じ事を思う。
(せっかくのきれいな顔なのに、こいつは相当損をしている)と。
だが、同時に思うのだ。この顔で微笑まれたらそれはそれで薄ら寒い気分になるかも知れない。エルデを知らぬ人間なら【こんな美人が自分に微笑みかけてくれるわけがない】と思うだろう。いや【二心があるに違いない】と言い換えてもいい。柔和に微笑んでいるようなアプリリアージェとの違いは目尻がつり上がっているか下がっているかという造形の差だけではないのだ。エルデの纏う雰囲気には、そもそも他人を寄せ付けようとしない暗い物質がまとわりついている様に感じる。それをファランドールではエーテル波や精霊波と呼ぶのだろうが、エイルにとっては「気」と言った方がしっくり来る。
その「気」に当てられるとゾッとして鳥肌が立つのである。
エルデを知っているつもりのエイルにしてそういう気分に襲われるのだ。エルデに気を許そうと思う人間がそうそう存在するとは思えない。
エイルはしかし、その方がいいような気がしていた。エルデの本質を自分一人が知っていたらそれでいい、と。
だが、そこまで思い至ると、我に返った。
(おいおい、オレはこんな状況でいったい何を考えているんだ)
エイルは亡失していた事に気づき思わず頭をかいたが、エルデは特に見とがめる風はなかった。
「アダンにおるっちゅう、青緑女史の『後ろ盾』か……」
エイルの心中を知ってか知らずか、エルデは普段通りの一見取っつきにくそうな冷たい表情でそう言うと、キセン・プロットの青緑色の長い髪に視線を移した。キセンはうつむいたままの状態で自らが作り出した人間にしか見えない見事なエーテル体を制御していて、動きがない。
「素直に教えてくれるかどうかはわからへんけど、後学の為に聞いとく方がよさそうやな」
「まあ、こうやって普通に声に出して話してるし、この会話は聞いているだろうけどな」
「いや。それはどうなんかな」
うつむいたままエーテル体を操作中のキセン・プロットを、エルデは改めて観察した。
「ウチは自分ではエーテル体を作った事が無いからようわからへんけど、あそこまでの精巧なエーテル体や。意識のほとんどを注ぎ込まんと制御出来へんのとちゃうかな」
「そうなのか?」
エイルも改めてキセンの様子と『魔法の鏡』越しの部屋にいるエーテル体のキセンを見比べた。どうやって制御しているのかはわからないが、エーテル体のキセンはエイルが見る限り、きわめて普通の人間だった。
「ほんなら試しに、その青緑の髪の女の服を脱がせてみよか?」
「え?」
邪気たっぷりにそう言って笑うエルデにエイルは驚いた。
思わずキセンに目をやる。白衣は着ているが、その下がどうなっているのかはわからなかった。あの奇抜な髪の色にあわせた奇抜な服装を着ているのだろうか。フォウではエイルの価値観では「とんでもない」姿で公の場に登場していたヴェロニカ・ガヤルドーヴァである。その可能性は大いにあった。
それとも……。
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