第五十四話 魔法の鏡 1/5

 ヴェロニカ・ガヤルドーヴァ、いやキセン・プロットはエイルとエルデの横を通り過ぎると、その向こう側にある壁の一部に手を触れた。

 キセンの行動に反応するように、部屋の灯りが一斉に輝度を下げた。

 エルデに解説してもらうまでもなく、エイルにもわかった。部屋の灯りはセレナタイトではなくルナタイトで、その光量を制御する精霊陣のようなものが壁に取り付けられているのだろう。

 それもキセンのルーン解析の成果の一つなのだ。


「ああ、構えないで。紹介するとは言ったけど、大丈夫。実際に会ってもらう訳じゃないから。こっちへ来てちょうだい」

 エイルとエルデは顔を見合わせた。

「安心して。私は君たちを彼らに突き出したり密告したりするつもりはないわ。特にエイル君とは同じフォウの住民ですもの。敵対どころかこれからはいろいろと協力してもらわなくちゃならないし」

 キセンに促されて、二人はゆっくりとキセンが立っている書架の前に近づいた。

 二人が書架を前に立つと、キセンは書架に手を触れた。すると音もなく書架は横に移動した。書架の向こう側にはなめらかな黒っぽい大理石の一枚岩で出来た壁があった。

「これは……」

 壁を一瞥すると、エルデがうめいた。

「精霊陣の見本帳みたいな壁やな」

 目を細めて壁を検分するエルデを見るキセンの表情が少し険しくなった。

「ねえ、エイル君」

 そしてエルデではなくエイルに声をかけた。

「何です?」

「この子、本当に何者なの?さっきの呪法の話じゃないけど、ただのルーナーじゃ不可視精霊陣が見えるはずがないのよ?それともあなたにも見える?」

 エルデ・ヴァイスがただのルーナーではないことは改めてキセンに言われるまでもなくエイルにはわかっていた。本人が言うように多くのルーナーを知るキセンだからこそ、そう思うのは無理からぬことであろう。だが、エイルはもちろん多くを語るつもりはなかった。

「オレはルーナーじゃありませんからね。何も見えませんよ」

「まあいいわ。私の仮説が正しいかどうかはそのうちわかるでしょう」

「仮説?」

「だからその話は後ね。まずは、来客の紹介といきましょうか。正体を知ると、たぶんびっくりするわよ」

 キセンはそう言うと壁の一部に掌をあてた。どうやらキセンは掌を触れる事でルーンを発動させる精霊陣を構築しているようだった。エイルが以前エルデから説明を受けた話によれば、もっとも基本的で初歩の精霊陣構造だということだった。とは言え構造が初歩なだけで、精霊陣の力の大小には関係はない。あくまでも発動方法の話なのだ。


 精霊陣はすぐに発動した。大理石の壁が書架に続いて横に滑り、今度はそこに壁に代わって大きな一枚の窓が現れた。大きな硝子がはめ込まれた一枚の窓だ。エイルとエルデが並んでくぐり抜けられるほどの大きさがあった。そしてその硝子窓越しに向こう側が見えた。

 そこは独立した部屋のようで、三人が居る部屋との間には扉はない。窓があるだけであった。それほど広くはない。大きめの机を挟んでソファが両方に置かれ、それだけでほぼ部屋はいっぱいであった。書架もなく飾り絵も置物もない。殺風景な部屋だったが、機能としては応接の為の室であろうことはわかった。いや、むしろ人と会う為だけの部屋なのだろう。あまりの殺風景ぶりは歓迎したくない来訪者専用の特別室なのか、単にキセンの趣味なのか……。さすがにエイルにはそこまではわかりかねた。

 その殺風景な応接室に、黒光りする木製の精杖を手にした黄色い僧衣の人物がいた。

 落ち着かない様子であたりを見渡した拍子に、その客の背中が見えた。そこに染め抜かれた紋章は誰しもよく知るものだった。

「僧正……」

 思わずエルデがつぶやいた。

 昼星の紋が染め抜かれた黄色い僧衣。それがどういう人物であるかはエルデが口にするまでもなくエイルにもすぐにわかった。

 思わず後ずさろうとしたエルデに、キセンはおかしそうに声をかけた。

「大丈夫よ。この窓は向こうからは鏡にしか見えないわ。ついでに言うとこちらの部屋の音は一切向こうには聞こえない。でも向こうの部屋の様子と声や音はこちらには筒抜け。ファランドールにはない面白い仕掛けでしょう?」

 キセンの説明でエルデは警戒を解いたのか、一歩下がっただけで留まった。

 エイルはキセンの説明で合点が言った。

「フォウにはよくあるんだ。『魔法の鏡』とか呼ばれてる」

「ルーンを使うてる……わけやないんやな?」

「たぶん。でも、音は……」

「音も鏡も、どっちもエーテルを利用しているわ。ルーンで作ったもの、と言った方がいいわね」

 キセンはエイルの頼りなげな言葉をそう言って訂正した。

「フォウの『魔法の鏡』の理論的な構造や仕組みがわかっていて、かつファランドールに満ちているエーテルの利用方法がわかっている人間にかかれば、おもしろいものがいろいろと作れるのよ。フォウでは理論だけで実物がつくれないものも、ファランドールでは実現できたりするわ」

「なるほど」

 エイルの知るフォウの『魔法の鏡』と完全に同じものではない、という事をキセンは言いたいのだとエイルは理解した。それはフォウと同じものをファランドールの人間が作ろうとしても製法が困難である事を説明している様でいて、もっといろいろと「すごいもの」を持っている、と仄めかしているようなもので、要するにこれもエルデに対する一つの挑発であり牽制と言っていいだろう。

 それが真実であれば、目の前の青緑の髪と瞳を持つデュナンの女性は、ファランドールの勢力図を簡単に塗り替える事が出来る存在であるかもしれない。たとえばファランドールにはなくフォウにはある大量殺戮兵器などをもし作っていたとしたらどうだろうか・

 エイルはそれを想像して思わず唾を飲み込んだ。


「挨拶しなきゃいけないからちょっとの間失礼するわね。あなたたちはここで見物していてちょうだい」

 キセンは二人にそう言うと懐から鶏の卵大のスフィアを二つ取り出すと左右の掌でそれを握り込み、すぐに目を閉じてうつむいた。そして両腕で自分を抱きしめるような仕草をすると、そのままの格好で立ち尽くした。

 失礼するというのは、どうやらその場を辞すという意味ではないようだった。

「エーテル体を使うんやろ」

 エイルが疑問を投げかける前にエルデがそう口にした。

「ヴェリーユの偉いさんでも、駐在僧正に対しては、青緑女史は本体を晒さへん、ちゅう訳やな」

 エルデの言葉を裏付けるかのように、二人が眺めている「来客室」の扉が叩かれる音がして、扉がゆっくりと開いた。


 現れたのは女性だった。

 それはエイルとエルデも見た事がある人物、キセン・プロットの二人目のエーテル体であった。

 新教会の僧正服の男はキセン・プロットのエーテル体に対して深々と礼をすると、通り一遍のご機嫌伺いの口上を述べた。

 キセンはと言うとにこやかな表情でしばらくぶりの会見を喜ぶ言葉を告げ、来訪をねぎらった。

 挨拶を見る限り、二人は顔見知りのようであった。ただ、それほど親しいという間柄でないことも雰囲気でわかった。お互いの挨拶のよそよそしさもさることながら、相手の僧正の表情が基本的に硬かった。とても旧知の友の顔を見に来た、という友好的な態度ではない。

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