第五十話 不思議な図書室 1/4
「ここで待っていて下さい」
キアーナ・ペンドルトンはそう言うと、エイルとエルデを残して部屋を出て行った。
彼に依ればキセン・プロット教授長の居る研究棟には誰もが入れるというわけではなく、来客と会う際、まずは二人が通されたその場所を使うのだという。
キアーナが扉を閉めると、エルデは足音を忍ばせて閉まったばかりの扉に近寄った。そしてそっと扉を開け、あたりの様子を伺った上で慎重に扉を閉めた。
「どうした?」
その様子を不審に思い声をかけたエイルに、エルデは不機嫌そうな表情を向けると、唇に人差し指を立てて見せた。
ただでさえきつい顔立ちのエルデである。そのつり上がった目でそれをやられると、エイルは叱られているような気分になった。
もっとも、エルデにはそんなつもりはないようだ。
しゃべるな、と言う事だろうか?
エイルがそう思っているとエルデの方から口を開いた。
「ここは個人的な蔵書を貯めとく小さな図書館、まあ図書室、と言ったところやな」
それは結構大きな声だった。エルデはそう言った後であたりを一通り見渡していた。
まるで何かを探しているようなそぶりだな、とエイルは思った。
だがそれよりも……
「え?」
エイルは思わず声を出した。
さっきのエルデの合図は、黙れという意味ではなかったのか?
「応接室というより、ここは本だらけやしな。倉庫兼図書室。どうでもええ初見の客はまずはここで待たせる、ちゅうことなんやろな」
エルデの言葉の意味は理解したものの、エイルはエルデの行動の意図をはかりかねていた。とは言え、すぐに『一人で考えていてもわからない』という当たり前の結論に達した。
エルデの様子を見る為に少し間を置いたが、エイルは思い切って言葉を発する事にした。
「図書室だって? ここが?」
エルデの放った言葉に対して普通の会話を行う事にしたのだ。エルデの意図を探る意味もあった。
「図書室っていうのは、普通はもっとこう、整理整頓されてるもんだろ? 書架は分類別になってて、項目別に整然と並んでて……」
エルデはそれを受けて普通に会話を続けてきた。
「ああもう、わかったわかった。アンタの言いたい事はようわかる。図書室でも図書館の倉庫でも、別に呼称はなんでもええわ」
どうやらエルデは部屋の名称についてエイルと議論をするつもりはないようだった。彼女にしても図書室とは口にしたものの、単純にそう見えるとは思ってはいなかったのだ。
二人は本の山の中に申し訳程度に作られた空間に居た。
そこには文字通り本が溢れていた。それは書架だけでなく、床に堆く積まれ、書架と書架の間の通路などは存在しないのと同じだった。これではまともな人間が目的の本にたどり着くには不可能に思えた。まさに「倉庫」と言った方がいい有様だったのだが、エルデが敢えて「図書室」と言ったのには、別段根拠がないわけではなかった。
エルデは部屋の有様を見てとっさにエイルと同じ事を思った。だが観察眼に優れる彼女は、倉庫にしては様子がおかしい事にすぐに気づいていたのである。
「でもな、見た目はどうあれ、この部屋の機能は、たぶん図書室やと思うで」
エルデはそう付け加えると、少し奥にある平積みの本の表紙を指で撫でた。エイルはその様子を不審げな顔で眺めていたが、振り向いたエルデの指先が綺麗なままなのを見て、その言葉の意味がやっとわかった。
この乱雑に本を放り込んだだけのような部屋は、どうやら手入れが行き届いているようだった。本に埃が一切無い。それは近くの本だけでなく、奥に積まれている本の山であっても同様で、見たところ全ての本はチリ一つ無い状態のようだった。
人が歩いて入り込めない場所の本まで手入れが行き届いている状態は奇異と言えたが、その理由はどうあれ、ここは手入れがされている場所なのである。
倉庫の手入れをここまでする事は考えられない。それにキアーナは言ったではないか。
「キセン・プロットはいつもここで客と会っている」と。
応接間代わりに使っている部屋がホコリだらけでいいわけはない。
待合時間が長くなる事が多く、客に退屈をさせまいといろいろな本を置いているのだろうかとも思ったが、それにしては秩序がなさ過ぎる。待っている間、勝手に本に手を付けていい物かどうかの案内もキアーナからはなかった。
さしものエルデもその謎をすぐに解く事は出来なかったが、ひょんな事からその部屋の仕組みの一つが判明した。
周りの本を見渡していたエルデが、一つの本の背表紙に目を止めた事がきっかけだった。
「聖典パサト……」
革製の表紙のその本を見てエルデがそうつぶやいた直後だった。
その「聖典パサト」が独りでに動き出したのだ。
正確には平積みになっていた本の間にあった「聖典パサト」が、まるで誰かが手で抜きだしたかのような動きで平積みの中から滑り出て、そのままエルデの手の上まで近づいて空間で静止したのである。
「きゃっ」
さしものエルデもそれには小さく悲鳴を上げた。
だが「聖典パサト」はまるでエルデが自分を手にするのを待っているかのように、空中で静止したままであった。
エイルと言えば、口をあけたまま何も言えず、ただその様子を眺めているだけだった。
「ここはルーン仕掛けの部屋なんか……」
冷静さを取り戻すと、エルデはおそるおそる手を伸ばし「聖典パサト」を手に取った。しっかりと握られた事を本が認識したわけでもないだろうが、空中に留まっていた本はしっかりとした質量をもち、エルデの手の中に収まった。
「表題を口にすると、その本が飛んでくるっちゅう仕掛け……やな」
「いやいやいや」
エルデの分析に、しかしエイルは突っ込まずにはいられなかった。そんな非常識な話があってたまるか、と言った顔で何かを言いかけたエイルを、エルデは手を上げて制した。
そして、再びその形のいい桃色の唇に指を立てたのだ。だが、それはしゃべるな、という合図ではなさそうだった。なぜならエルデの方からすぐに会話をしかけてきたからだ。
「今起こった事を冷静に判断した結果の考察や。何ならアンタも何か言うてみたらどうや?」
「え? オレが?」
「そや。推論が正しいかどうかは、まずはその推論を試してみるのが常道やろ?」
「いや、まあそうだけど……」
エイルはエルデの言う事はもっともだと思ってはいた。だがあまりの事に頭が理解しても気持ちが拒否するのを止める事ができなかったのだ。部屋の仕掛けもそうだが、エルデが何の意味で唇に人差し指を立てるのか……。
だが、エルデが手に持つ「聖典パサト」に目をやると、エイルは記憶の隅にあったある事を思い出した。すっかり忘れていたが、調べてみたいと思っていた事があったのだ。
「聖典アヴニル」
エイルはどこにあるともわからない本の名を告げた。
するとどうだろう。部屋の奥で何かが擦れるような音がしたと思うと、あっという間にエイルの目の前に古びた革表紙の本が飛んできたのである。
「ほう……」
それを見て自分の推理がほぼ正しい事を確信したエルデはしかし、エイルが「聖典アヴニル」と口にした事の方に、より興味を持ったようだった。
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