第五十話 不思議な図書室 2/4
「アヴニルとか、よう知ってたな。ウチ、アンタに正教会の三大聖典の話をした事あったっけ?」
そして、そう言うと三度唇に人差し指を立てた。
「あったっけ?」
そして直後にエイルに答えを強要するかのようにそう言った。
(間違い無い。あれはしゃべるな、という合図じゃない)
エイルはそう確信すると、質問には素直に答える事にした。
「いや、お前から聞いたんじゃなくて……」
エイルがそこまで言った時、エルデは口元に指を持ってきた。思わず言葉を切ったエイルはしかし、エルデの指がまだ唇にかからない事に気がついた。
制止の準備をしているが、まだ制止はされていない。
「ええ加減気付け」
エイルのその様子をみたエルデは目を吊り上げて不機嫌さを表すと、口元にあった左手の人差し指を右手の中指に移動させた。そこには白・黒・茶の三色が捻れたような螺旋を描く指輪が填められていた。
指輪に触れた指は、再びエルデの唇に運ばれると、今度はその唇を押さえるように立てられた。
「あ……」
エイルはエルデの意図がようやく理解できた。
キアーナが部屋を出た後で見せたエルデの態度で推理出来た事かも知れなかった。
要するにエルデはキアーナを完全に信用していないのだ。いや、この部屋、もしくはキセン・プロットという人物をと言い換えた方がいいだろう。
エルデは自分達の正体に繋がるような話題を口にするなとエルデに伝えていたのである。離れたところから会話を聞き取るルーンが存在する事はエイルも知っていた。エルデはそれをおそれていたのである。
(わかった)
エイルはそういう代わりに自分も唇に指を立てるとゆっくりとうなずいた。
それをみたエルデは満足そうな微笑を浮かべると会話を続けた。
「どこで聞いたんかはしらんけど、アヴニルに気になる話でもあるんか?」
エイルはうなずいた。
そうだった。
エイルは手にした本を目的もなく開いた。闇雲に読んでも答えにたどり着けないのはわかってはいたが、かといってエイルの中にはとっかかりすらなかった。
あの「時のゆりかご」で《真赭の頤(まそほのおとがい)》が意味ありげに告げた言葉だけだ。
エイルは少し考えてから、その言葉を口にする事にした。聖典の中の一説である。誰かに聞かれても特に問題はないはずだった。
「『人として生きよ。しからずんば滅びの道を』」
果たしてエルデはすぐに反応した。
「確かにそれは聖典の中の言葉やけど、アヴニルやのうてプレザンの中の言葉やな」
さすがに正教会の賢者を名乗るだけあって、エルデは間を置かずにそう答えた。
そしてそう言った後、エルデはエイルから視線を逸らし、再度部屋の中を見渡した。エイルも同様に部屋の中をうかがった。これと言って部屋に変わった様子はない。だが、エイルにはエルデのその仕草の意味がわかった。
本の名前をただ口にするだけではその本は反応しないようだった。
エイルはエルデのやっている検証作業に荷担する事にした。
「聖典プレザン」
エイルはどこにあるともわからない本の名を、適当に当たりを付けた書架の一つを見ながら告げた。
すると……。
「ほう」
エルデがまたもや感心した様な声を出して空中に浮かぶ三冊目の本を眺めた。
「言葉に単純に反応するわけやのうて、言葉が持つ方向性が必要みたいやな」
「方向性?」
エルデの分析にエイルがそう尋ねると、長い黒髪の少女はうなずいた。
「意志、あるいは意思が口にした本の表題に込められてないとアカンっちゅう事や。例えば最初みたいに本そのものを視認して特定してたり、そういう表題の本を欲しているという要求みたいなものもそれに入るやろな。そういう人間の意志みたいなもんは、空中に漂ってる精霊波、エーテルに伝播するしな」
そう言いながら、空中に浮いている聖典プレザンを手にすると、エルデは頁を繰っていった。
「ついでに今やった考証結果を言うとくと、心の中で強う思っただけではやっぱり反応せえへんな。言葉が鍵になるのはルーンも同様やし、予想通りではあるけどな」
そう。
それはエイルも既に試していた。目の前に積まれている本の背表紙を読んでみたのだ。ダメだった。だからただ読むだけでなく強く念じてみた。だがまったく反応がなかった。
「これやな」
パラパラと頁をくっていたエルデが、目的の記述を見つけたようだった。もちろんエイルが口にした一説が記された部分である。
「その言葉の意味するところの鍵が、聖典アヴニルにある、って、昨日、禿げたアルヴの爺さんが言ってた」
「鍵?」
怪訝な顔をするエルデに、エイルはうなずいてみせた。
「あんまりいろんなところに首を突っ込むな、って言われてさ。その後にその意味はその言葉にある、とかなんとか」
それだけの言葉でエルデに細かい内容が伝わったかどうかはわからない。いや、伝わるかどうかはわからないが、伝わって欲しいという願いはあった。そしてエルデならわかるのではないかとも。
エルデは小さなため息をつくとエイルが持っている聖典アヴニルを指さした。
「目次を見てみ」
言われたとおりに目次を開く。
「『ミトと犬』とか言う章があるやろ?」
エルデが言う章は、確かにあった。大して厚くはない聖典アヴニルの半ばくらいに記述されている話のようだった。
顔を上げるとエルデは複雑な微笑を浮かべていた。エイルはその表情の意味をはかりかねた。当然である。内容を知らないのだから。
「ウチが説明するより、まずはアンタが自分で読んで考えてみ」
エイルは何も言わずに視線を聖典アヴニルに落とすと、「ミトと犬」の章を開いた。
アヴニルとはマーリン正教会の開祖と言われるミト・ツーペが四始祖と交わしたとされる会話を集めた会話集のようなものである。もちろんただの会話集が聖典と呼ばれるわけもなく、その会話には多くの正教会的世界観・道徳観に立った教訓や含蓄が含まれている。
その中の一説がエイルの探し求めているものだとエルデは言うのだ。
聖典の内容を敢えて記述するのも冗長に過ぎるように思うが、話の流れをより明るくする為に「ミトと犬」について簡単に説明をしておこう。
あるときミトは「人はどこから来ていったいどこに向かっているのか」と始祖の一人であるサラマンダに問うたところ、サラマンダは同じく始祖の一人であるウンディーネに聞けと答えた。
サラマンダに言われたとおり、長い旅をしてミトがウンディーネに同じ事を問うたところ、彼女は始祖の一人であるシルフィードに問えと答えた。
大陸を渡り、やっとの思いでシルフィードに会ったミトは、彼女に同じ質問をした。するとシルフィードは、ドライアドに会えとだけ言って姿を消した。
またもや大陸を超え、大変な旅のすえに最後の始祖ドライアドのところにやって来たミトは、四たび同じ質問を投げかけた。
ドライアドは三人の子に乳を与えながらしばらく思案していたが、やがて足下を指さして言った。
「我が犬に聞け」
ミトはその犬に同じ質問を投げた。
「我は犬に問う。人はどこから来て、この後どこに行こうとしているのだ」
犬はミトの質問を聞くと大あくびをした。そして後足で耳の後ろをかきながらミトに問いを返した。
「犬は犬であることに満足しているから犬なのだ。では人は人であることに満足してはいないのか?」
それを聞くと、ミトはむっとして答えた。
「人はさらなる高みを目指すもの。犬と人とは違うのだ」
犬はまたもや大あくびをしながら、それに答えた。
「ならば人よ。我はさらに問う。高みとは何ぞや? 人は神と対等になろうとしているとでも言うのか? では神となったらその後はどうするのだ? 次は大神であるマーリンを見下ろしたいと思うのか?」
ミトは返答に窮した。だが、しばらく考えた後でこう答えた。
「マーリンに列ぶ事は望まぬ。だが近いところには行きたい」
すると犬はそれに答えてこう言った。
「ならば我はお前が歩む道を二つ作ろう。一つは人へ向かう道、一つはマーリンに続く道だ。一つの道の先には明日を与えよう、だがもう一つの道の先には必ず滅びが待っている。人よ、好きな道を選ぶがいい」
犬はそう言うと後足で立ち上がり、金色に輝いたかと思うと、たちまちマーリンの姿になった。
ミトは慌ててその場にひれ伏したが、しばらくして顔を上げるとマーリンの姿はもうそこにはなかった。
ミトは三人の子に乳を与え続けているドライアドに尋ねた。
「人は犬と同じなのでしょうか?」
だがドライアドは首を横に振ると告げた。
「それは私が決める事でもマーリンが決める事でもない。人が決める事だ。だが、汝が人でありたいのであれば人として生きよ。しからずんば滅びの道を歩むであろう」
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