第四十九話 案内人 3/3

(俺は何をしたいのだ? )

 アキラはそこまで考えた上で、そう自問した。ミリアの件もある。一刻も早くエスカと合流し、今後の対策を話し合う必要があった。いや、エスカにも大きな変化がある事は間違い無いだろう。アキラの合流はエスカ自身も待ち望んでいるはずであった。

 それなのに、エルネスティーネ達にこの先も関わろうとしている、いや関わりたいと願っている自分を見つけて驚いたのだ。

 どちらにしろ、アキラには自分の「駒」が必要だと考えはじめていた。それにはどちらにしろ早期にミヤルデとセージに接触し、新たな指示を与える必要があった。


「了解した」

 アキラが思案していたのはほんの短い時間だった。メリドに不信感を抱かれるような長考の末の答えではない。

「期待は出来ないが、一応この店の人間から情報をもらっておこう」

 すぐに戻ると告げて、アキラは目立たぬように席を立った。メリドの答えを待つつもりはないという態度である。もとよりメリドにはアキラを疑う気持ちはない。小さくうなずくとアキラの背を見送った。


 言葉通り、数分も待たずにアキラは戻ってきた。

「大した情報はない。当たって砕けるしかなさそうだ」

 メリドにそう告げると、立ち上がるように促した。

「外の様子を見てきたが、灯火隊の姿はない。おあつらえ向きに雪も少し強くなってきた。今なら大丈夫だろう」

 二人はうなずき合うと目立たぬよう、店を出た。

 アキラの言うとおり、雪が強くなっていた。風はない。メリドの目にはゆっくりと、しかし間断なく降り続く細かい雪がハイデルーヴェンの目抜き通りを徐々に白く染めてゆく様が映っていた。

「目立たぬように、しかし出来るだけ急ぎましょう」

 周りを確認して特に異常がないと判断したメリドは、落ち着いた声でそう言った。アキラはそれに軽くうなずくと既に歩き出したメリドの背中を追った。

 だが、その前にアキラは少しだけ不審な動きをした。メリドが背中を見せた一瞬の隙を突くように、隠しに手を忍ばせ、何かを上方に投げたのである。

 それはとっさの出来事で、アキラはすぐに何事もなかったかのように早足で歩き出した。おそらくアキラをじっと見ていた者が居たとしても、何をしたのか理解出来る人間は少ないと思われた。

 アキラは今出た店の軒に、小型の剣を突き刺したのである。手が届かず、そして目立たぬ場所に。

 もちろん、ミヤルデとセージに向けたお互いだけでわかる合図であった。

 この店に情報を置いた、という程の目印である。

 アキラ達はこういう合図をいくつも決めてあった。

 アプリリアージェの前ではこういったあからさまとも言える行動をけっしてとらなかったアキラだが、相手がメリドであれば何の疑いももたれないだろうと踏んだのである。

 大胆な行動とも言えたが、メリドはアキラの思惑通り、小型の短剣が軒に刺さるかすかな音に何の反応も示さなかった。


 事が問題なく成った事に安堵しつつ、アキラは短剣を忍ばせていた隠しに手を入れた。そこには公爵符を来るんだ布の感触があった。

(それにしても……)

 アキラは改めて思った。

 アキラがアプリリアージェの立場であっても、公爵符を逆手にとって敵国の「治外法権」を緊急の避難場所にしようとは考えなかったに違いない。

 いや……。

 アキラは自分がアプリリアージェ達の「敵」であることを知っているから考え至らなかったのだ。それはつまり、見方を変えれば現時点でアプリリアージェがアキラをまったく疑っていない、いや完全に信用しきっている可能性が残されているという事になる。

 アキラはしかし、今はその事について深く考える事を良しとしなかった。現時点では、考え得る最善の手を打つだけなのだ。下手な勘ぐりは自ら思いもしないほころびを生む恐れがある。


 彼らはヴェリーユからハイデルーヴェンに続く地下通路の出口にある建物付近に広がる、人気のない夜の廃倉庫街に入り込んでいた。メリドはアキラに目的地を告げなかった。アプリリアージェが適当と思える時に向こうから接触して来るという。

 果たしてメリドの言うとおり程なく横合いの路地から複数の人影が現れ、アキラの後ろ側に付き従うように合流した。アプリリアージェ達だった。

 振り返ると、小さなエルネスティーネが屈託のない笑顔でアキラに小さく手を振って見せた。見ればその小さな肩には一連の騒動の元凶とも言える茶色く丸い小動物がしがみつくように乗っていた。そんなエルネスティーネの横にはいつものようにティアナがいた。そしてその後ろには気配のない人形の様な影が少し間をおいて付いてきていた。

 アプリリアージェとファルケンハインも当然ながらそこにいた。

 五人と一匹。

 全員が無事でいる事を確認すると、アキラは安堵を覚え、思わず小さくため息をついた。

「無事で何よりでした」

 横に並んだアプリリアージェがそう声をかけてきた。

 別れたのはほんの少し前の事である。それなのにアキラにはその声が妙に懐かしいものに思えた。そしてそんな自分の心理状態に今度は思わず苦笑を浮かべた。

(これが「情が湧く」と言う事か。俺は自分がまだまだ青いと言う事を自覚すべきだな)

「どうしました?」

 声をかけたアキラが、苦笑を深くしたのを不信に思ったアプリリアージェが反応した。

「いえ」

 アキラは素直に胸の内を吐露して見せた。

「さっき別れたばかりだというのに、ネスティの笑顔を見てあなたの声を聞いたとたん、なんだかとても懐かしい気分になってしまいましてね。そんな自分が自分でおかしくて、つい」

 その言葉を聞いたアプリリアージェは特に何も答えなかった。ただ、こちらは微笑を深くしただけである。

 アキラのもう一方の脇、つまりアプリリアージェとは反対側に、長身のアルヴが並んでいた。

「この先に適当な場所を見つけてある。雪と寒さが多少なりとも防げるだろう。そこでいったん落ち着こう」

「それはありがたいね」

 アキラとメリド以外は、アルヴスパイアという特殊な織物で作ったマントを羽織っていた。これは寒さや暑さを遮断する優れたものだ。だがメリドとアキラはそういう便利なものを羽織っている訳ではない。特にアキラは旅装を全て宿に置いたままの軽装で騒ぎに巻き込まれた格好である。夜になり、しんしんと冷えてきたハイデルーヴェンの町をそぞろ歩くにはいささか軽装に過ぎた。

「アルヴスパイアがあるとは言え、我々はもともとエッダの気候に慣れている体ですから、この地の寒さがこたえるのはアモウルさんと同様ですよ。要するに寒いのは苦手なんです」

 アキラの心の中を読んだかのようにアプリリアージェがそう言う。

「これはこれは。北の海の海賊と渡り合う事が主な任務と言われる海軍所属の大提督が寒さに弱いとは面妖な話ですな」

「リリアさんは……」

 ファルケンハインはいったん言葉を切り、咳払いをすると続けた。

「寒いと短気になってしまうんだ」

 アキラはまさか、という顔でアプリリアージェの様子をうかがった。アプリリアージェはそれを受けてにっこりと笑って首をかしげて見せた。

「本人には自覚はないんですが、みんなそう言うんですよね」

 冗談なのか本当なのかはアキラにはわからなかった。だが、「時のゆりかご」から戻った面々がヴェリタスやヴェリーユの寒さを歓迎していない事だけは確かだろうと考える事にした。

 そもそもアキラとて赤道直下にある南国のツゥレフ出身である。寒さが好きな訳がない。ただヴェリーユで一ヶ月近くを過ごした事で多少なりとも寒さに対して慣れとあきらめのようなものが備わっていた。

 

 そんな事を考えながら歩いていると、アキラの脇を固めるように並んで歩いていたアプリリアージェとファルケンハインが同時に立ち止まった。ファルケンハインが手を上げて、後ろに居る一行に合図をした。

「こちらから仕掛けないで」

 続いてアプリリアージェが鋭く指示を送る。おそらく後方に居るメリドとテンリーゼンに向けたものであろう。

 アキラは周りを見渡した。そこでようやく路地に人の気配を感じた。

 灯りの届かぬ路地に、人の存在を強く感じたのだ。アキラは懐に手を入れて短剣の柄を握った。

 だが、路地の影には殺気を感じなかった。だからアプリリアージェも様子を見る事を選択したのであろう。さもなければこの状況では躊躇わずに先手を打つべきなのだ。


 一行の視線が一つの路地影に集中した。そしてさほど待たされることなくその「気配」は姿を見せた。

「あの……」

 姿を見せたのは声から判断して若い女性のようだった。身長が高い。おそらくはアルヴだろう。顔かたちはマントについた深いフードで見えない。

「この辺も安全ではありません。こちらへ」

 それだけ言うと路地に戻ろうとした。ついてこいと言う事なのだろう。

「待って下さい。どういう意味でしょう?」

 アプリリアージェがそのマントの女アルヴを呼び止めた。

「さっき、見ていました」

 少女は立ち止まるとそう答えた。店での事件の事を言っているのであろう。

「この町は今『アルヴ狩り』をしています。たとえ旅の人であっても襲われる可能性があります」

「そのようですね。びっくりしました。それで?」

「安全な場所がいくつかあります。私達はそこに避難しています。そこにご案内します」

 少女は……フードをとって顔を見せたそのアルヴはまだ若い娘だった……日増しにひどくなるアルヴへの風当たりがこの数日で急に過激化して、昨日から集団で暴行を受け始めた事、以前から危機感を持っていたアルヴ族が密かに用意していた隠れ場所に、夕べあたりからアルヴが避難し始めた事、ハイデルーヴェンに残っているアルヴ族を助ける為に、能力のあるものが町に出ている事、自分もその一人で、偶然アルヴの旅行者の団体を見つけて後を付けていた事などを手短に話した。

「このあたりはダメです。複数の灯火隊が毎晩やってきて空き倉庫をしらみつぶしに点検してまわっているんです」


 当然ながら罠の可能性があった。アキラはしかしその少女から敵意や殺気のようなものを一切感じなかった。それよりもその少女の言うように灯火隊が大挙して見回りに来るとなると面倒な事になる。

 おそらく同じ事をアプリリアージェも考えていたに違いない。

「ここはひとつ、アルヴ同士助け合いという方向ですかね?」

 アプリリアージェの指示が出る前に、アキラはそう言って自分の意見を告げた。

 気配は一つだけである。つまり今のところ「むこう側」は少女一人だけであった。いきなり路地裏で前後を塞がれる事はなさそうだった。

「こんな時に……」

 アキラの耳に、小さなつぶやきが聞こえた。アプリリアージェの声である。

「え?」

 アキラは思わず聞き直した。だが、それは独り言だったのだろう。

「いえ。なんでもありません」

「どうします?」

「そうですね。今、我々には雪を防ぐ屋根と、そして情報が必要です」

「決まりですな」


 突然現れたアルヴの少女の後を追って、一行は路地へと足を踏み入れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る