第四十三話 逡巡 1/4

 結果として、エルネスティーネとティアナ、そしてファルケンハインの三人組はすぐに見つかった。ヴェリーユの人混みの中で、彼らは実に目立っていたからだ。

 彼女たちは中央広場から続く目抜き通りをゆっくりと歩いていた。いくつかの大きめの紙袋を持つファルケンハインを従えた二人が楽しそうに談笑しながら歩く姿を見つけることはそれほど難しい事ではなかったのだ。

 とは言え、当初は途方に暮れるところだった。デュナンが多いヴェリーユとは言え、全世界の信者が詣でる本山である。さすがにアルヴやアルヴィンの姿が皆無というわけではない。

 そもそもアプリリアージェには土地勘がない。「時のゆりかご」から「龍の道」を通りヴェリーユ入りした時も下見どころではなかったのだ。なぜならあられもない格好をしたエルデを人目に触れさせないようにする為に人通りの少ない場所を選んでとにかく早くエルネスティーネ達が投宿している宿、それも直接泊まっている部屋までたどり着く事に注力していたからである。そして町の踏査などする時間もないまま、ラウの事件に巻き込まれて町中に放り出された格好なのだ。つまりアプリリアージェはほとんどヴェリーユの街の雰囲気を把握しないままで飛び出した、いや放り出されたようなものだった。

 そしてそこで見たものは想像以上の雑踏だった。祈りの時間を外れた昼下がりの時間帯の人混みに、アプリリアージェは絶望感に襲われた。

 さらに彼女には物理的な問題もあった。

 ダーク・アルヴの血がそれである。成人女子のダーク・アルヴやアルヴィンは、百五十センチにも満たない。成人男子で百五十センチあると背が高い部類に入ると言えば想像しやすいだろう。つまりアプリリアージェはその身長の低さが災いし、デュナンばかりで構成された人混みの中ではほとんど視界がきかなかった。そしてそれは他の二人、テンリーゼン・クラルヴァインもメリド・ジャミールも同様であった。つまりアプリリアージェ一行は、ただ一本の木を見つけようとして鬱そうとした森の中に入り込んだようなものだった。

「簡単に見つかると思っていたのは大きな誤算でしたね」


 エルデがかけた不可視、すなわち姿が見えないルーンを纏っている三人は当初の予定通り、ともかく宿の建物を出て左に曲がり、宿の建物の角で落ち合っていた。

 その場所でメリドの気配を感じたアプリリアージェは、自分の存在を示すために片手でメリドの体に触れると、それをたどって肘を軽く掴んでいた。

「確かにこれではすぐ近くに居てもわかりませんね。でも、大丈夫でしょう」

「え? メリドさんには何か妙案でもおありですか?」

「ええ、たぶん」

 メリドはアプリリアージェの戸惑った声に落ち着いた声で応えた。

「姿が誰にも見えないという利点を活用しない手はありません」

「と、言うと?」

「簡単な事です。遠慮は要りませんので、私の肩にお乗り下さい」

 姿が見えない事と身の軽さを利用して建物の屋根伝いに人混みを見下ろす事を考え始めていたアプリリアージェに、メリドは全く別の提案をした。

 身軽な小型アルヴ、しかもアプリリアージェは風のフェアリー。そこまではアプリリアージェと同じ前提である。違うのはメリドの案は小回りが効くという事、そしてメリド自身が一行の中で足手まといにならないという二点だった。

 ほとんど考えるまもなく、アプリリアージェはメリドの案を採用する事にした。それほどメリドの提案は状況に即した極めて的確なものだと言えた。

「お言葉に甘えます」

 アプリリアージェはメリドにだけ届くような小さな声で一声かけると、頼もしいジャミールの兵士長の背後に回った。そして躊躇せず両手でメリドの肩に手を置くと跳躍し、音もなくその肩に足を乗せた。それは本当に一瞬の動きだった。なにしろ両手でメリドの肩の位置を確認した瞬間には跳躍をしていたのである。

 メリドは大した衝撃もなくふわりと肩に乗る重さを感じただけであった。それは彼が初めて知る感触であった。ドスンでもドンでもなく、すっと足の感触が肩に乗り、その後でそこに体重を感じただけなのだ。

 自分の里にはここまでの身のこなしをする兵は存在しなかった。メリドは改めて鍛えられた高位の風のフェアリーの能力に舌を巻いた。


 果たして開けたアプリリアージェの視界の先にアルヴ二人、アルヴィン一人からなる三人組の姿があった。 想像していた以上にティアナの白髪はいい目印になった。

 三人の位置を確認したアプリリアージェは、メリドの肩から降りて音もなく着地すると小さくテンリーゼンの名を呼んだ。

「十時の方向。三人ともこちらに向かっています」

 アプリリアージェは小声でそれだけをテンリーゼンに伝えた。

 その声には何も答えなかったが、小さな風を残して仮面のアルヴィンがその場を離れたのは気配としてメリドにもわかった。細かく指示をするまでもなく、その一言だけでテンリーゼンはアプリリアージェの考えている事を理解し、実行に移したのだ。

 しかしメリドは感心している余裕は与えられなかった。間を置かず、アプリリアージェは今度はメリドの耳元に囁きかけたのだ。こちらはテンリーゼンに対するものと違い、より具体的なものだった。

「あなたはあの三人を視界に入れながら、単独で船着き場に向かって下さい。メリドさんには不要な注意でしょうが念のために言い添えておきます……ルーンが切れて姿がいつ現れても不自然にならないような経路をとって動いてください。その後は普通に通りを歩いても大丈夫でしょう。あの三人にはテンリーゼンが精霊会話で事情を伝えて船着き場へ向かわせます。私はいったんここを離れてアモウルさんを探した後、合流します。それから蛇足ながら船着き場では私が合流するまでの間はファルの指示に従ってもらいます」

「了解した」

 アプリリアージェの指示にメリドは何も質問をしなかった。彼には色々と尋ねたいことがあったが、後でまとめて聞くことにしていた。ジャミール一族の兵士長という立場は伊達ではない。何にしろ非常時に要らぬ手間をかける事は基本的な禁忌なのである。

 彼はそれを忠実に守っているに過ぎなかったが、一連の行動でアプリリアージェの中のメリドの株は上がっていた。本人は無論知るよしもなかったのではあるが。


 メリドが間を置かずに行動を起こしたのを確認すると、アプリリアージェは改めて周りの様子を吟味した。特に変わった気配はない。兵士や警備の人間が宿に出入りする様子もなく、人通りの多い通りからは殺気も喧噪も感じなかった。視界に入るのはよくある昼下がりの……ただし、人通りがやけに多い賑やかな通りでしかなかったのだ。

 エルデのルーンが感知されていないのか、ヴェリーユ側の行動は考えているよりも鈍重なのか、さすがに情報が少なすぎてその時点ではアプリリアージェにも結論を出すことは不可能だったが、どちらにしろエルデ達に余裕が出来るのは歓迎だった。

 とにもかくにも今は安全な状態だという事を確認すると、アプリリアージェはアキラの探索へ頭を切り換えることにした。


 アプリリアージェは宿からあまり離れなかった。通りを隔てた反対側にテーブルを広げているカフェを見つけると、その隅の椅子に腰を下ろし、行き交う人々を注意深く観察する事にした。

 ティアナやメリドから聞いた話では、外で情報収集をしているアキラは普段であればこの時間までには宿に帰って来ているという。ならばこちらから動くことはせずに少しの間ならばここで待っている方が合理的だと考えたのである。

 カフェの目立たない一隅ならば姿が突然現れてもさほど目立つまいと計算もしていた。

 ハイデルーヴェンへの渡船の時刻を確認できなかった事が悔やまれたが、どちらにしろそうそう遅い時間に出航する船があるとは考えにくい。三十分だけ待って現れなければあきらめて船着き場に向かうつもりであった。会わずに別れるのは不本意ではあったが、そもそも既にアキラと同道する理由は無くなっていた。ただアキラの持つ情報には興味があった。

 つまりアプリリアージェはその妥協点を三十分と決めたのである。


 しかし自らの体温で椅子を暖める間もなく、アプリリアージェは立ち上がることになった。アキラが現れたのではない。通りの向こう側で喧噪が聞こえたのだ。それは船着き場へ向かう方向、すなわちエルネスティーネ達が向かったはずの方向から聞こえてきたものだった。

(しまった! )

 アプリリアージェは反射的に立ち上がると、文字通り風のように駆けた。

 喧噪の中心部へ向かって。

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