第四十二話 沈黙の陣廊 3/3

「いかがされましたかな?」

 そこにはエイルも知る大賢者の姿があったのだ。

 ただし、それはどう見ても本人、いや実物ではなかった。ノルンの頭頂部のさらに上の方に、かなり小さな《真赭の頤》ことシグ・ザルカバードの姿があり、それは向こうが透けて見えるような空中映像とも呼ぶべき状態だった。

「エルデ?」

「後で説明するから、ちょっと黙っといて」

 エイルに一瞥をくれてそう言うと、エルデは師匠であるシグに質問を投げかけた。

「この精霊陣が解けへんねん。師匠はこれを知ってるか?」

「どれどれ」

 小さなシグの映像は、そう言うと自分の足下の方向をしばらく眺めていたが、首を横に振った。

「マーリン教が使う精霊陣の計算式に似ているところもありますが、これは全く別物ですな」

 エルデはその隣の盤の一部を指さした。

「でもこことか、なんとなく伝送ルーンの記述っぽく見えへんか?」

「ふむ、確かに……」

 指さされたところを見ながら、しかしシグの回答は歯切れが悪かった。

「部分部分はマーリン教のものを使っている、程度ですな。しかし、ここはいったい?」

 シグは自分たちが今居る空間が気になったようだった。

「ヴェリーユの……陣廊や」

「まさか……」

「そのまさか、や」

「もぬけの殻ではございませんか」

「そのおかげでどうやら感知されずにここまで来られた訳やけど……」

「それより、お体の方は?」

「そっちは今のとこ問題ない。でもそうか、師匠でも知らん精霊陣か」

「面目ありません。ただ、あまり美しい精霊陣とは言えませんな。よくはわかりませんが、無駄や無理が多いように見受けられます」

「ふん」

 エルデは改めて陣廊をぐるりと見渡した。

「そらそうやろな。おそらく一つ、もしくは二、三個の盤に対してそこそこの能力を持った強化系ルーナーが着いて、情報を読み取った上で、さらにその情報を元に別系統の精霊陣にその情報を送って『何か』をしてるんやろな。いわば物量作戦っちゅうか人海戦術みたいなもんやな」

「エルデ」

 エイルはたまらず声をかけた。

「どうするつもりだ?」

 その問いかけに、エルデはニヤリと笑って返した。

「精霊陣の中枢部分を破壊したらええかなって思ったんやけど、解読でけへんし、もう面倒や。部屋ごと焼き払お」

「えええ?」

「心配せんでもええ。そこに眠ってるルーナー連中には強化ルーンかけとくから」

「いや、そういう問題じゃなくて、だな」

「時間稼ぎにはなるやろ」

「付け火だぞ?放火なんだぞ?それって賢者がやっていい事か?見つかったら絶対おこられる」

 エルデは方をすくめて見せた。

「誰に怒られるんや……」

「いやいやいや、ちょっと待てって。ヴェリーユの中枢を焼き払うつもりなんだろ?そんな大それた事をするのはさすがに」

「さすがに、やのうてさすがやな、と言うべきとこやろ?」

「いやいやいや。言わねえよ。オレの話を聞けって」

「はいはい。話なら後でウチが眠ってからじっくり聞いたる。ほんなら、行くで」

 エイルの次の抗議を待たずに、エルデは空中に浮いたままの杖ノルンを掴むと、早口にいくつかのルーンを唱えた。

「シュダルムサラノスタクラチ・ヴァイアル!」

 無数の光りの精霊陣の帯を纏いながら最後にそう呟いたエルデが、手に持った杖ノルンをゆっくりと頭上で一周振り回すと、陣廊の壁が一斉に炎に包まれた。

 その様子に目を見張っている間に別のルーンがエルデによって唱えられた。再び精霊陣が周りをぐるぐると回り、ルーン光と呼ばれる光に包まれた二人は、不可視ルーンにより姿を消していた。

「よし、行くで!」

 エルデに手を取られ、エイルは走り出した。

 説明を求める時間などはなかった。ただ「どこに行くんだ?」と尋ねたのみである。


 エルデが何を考えているのかがわかるのは、おそらくアプリリアージェだけだろうな、とエイルは改めてその事を思い出すと、今起こった事をただ受け入れる事に決めた。詳細は落ち着いた時にまとめて聞けばいい。ただし、エルデが起きている間に。

(今はただ、エルデが向かおうとする場所へ急ごう)


「リリア姉さん達と合流するに決まってるやん」

「どこへ?」というエイルの問いかけに、エルデはそう答えた。

 顔は見えなかったが、エイルはそう言ったエルデがニヤリと笑っているに違いないと思った。

「それにアンタ、ネスティにも会いたいんやろ?」

「え?」

 エルネスティーネの名前がエルデの口から突然出て、エイルは虚を突かれた。

「別に、オレは……」

「会いとうないんか?」

「いや、そういう訳じゃないけど……」

「はっきりせん奴やな。まあええわ。お前が会いとうなくてもウチは会わんとアカンからな」

「どういう事だ?」

「ちゃんとした服がないんや!」

「ああ……」

 そういう事か、とエイルは苦笑した。

「お前さ」

「何やねん」

「本当に素直じゃないのな」

「はあ?」

 エルデはそう言ってとぼけて見せたが、エイルはそれ以上追求はしなかった。

「まあええわ。そんな事よりここで問題です」

「はあ?」

 今度はエイルがそういう番だった。

「ネスティやリリア姉さん達はいったい今、どこにいるでしょうか?」

 そう。闇雲に走っていても見つかるわけはなかった。

 エルデはおそらくアプリリアージェ達に合流して、ヴェリーユの精霊陣の効力が切れている事を情報としてできるだけ速く伝えたいと思っているはずである。

 手当たり次第に探して歩くなどという効率の悪い事は、エルデのやり方ではなかった。

 エイルは考えた。

 アプリリアージェ達は部屋を出て、エルネスティーネ一行を捜しているはずであった。そして事態を知らないエルネスティーネ達は、買い物の途中か、買い物から宿へ向かう途中にあると思われた。

 記憶を辿ったエイルは、エルデが言ったある文句を思い出した。

(女の服選びは時間がかかる、だっけ?)

 正確な言葉は忘れたが、確かそういう事を言っていたはずである。

 予想よりも帰りが遅いエルネスティーネ達が時間を食っているとすれば、それはエルデが処方した髪染め用の材料調達、ではなく服選びだろうとエイルも思った。

 だが服屋で既にアプリリアージェ達と合流しているとすれば、服屋を当たっても意味はなさそうだった。

(考えろ)

 エイルは自分がアプリリアージェの立場だったら、エルネスティーネ達と合流した場合、次にどういう行動を起こすかを考えた。おそらくエルデもそれを考えて、すでに結論に達したからこそなぞなぞの様に問いかけたのであろう。

 だとすると……。

「どこにいるかはわからない」

 エイルは少し経ってからそう答えた。

「なんや。そんなんやったら……」

 エイルの答えを聞いてエルデはあからさまにがっかりしたようにそう言った。だが、エイルはエルデに皆まで言わさず、すかさず切り込んだ。

「でも、もしオレがリリアさんだったら」

 この言い方はエルデに対して効果があった。エイルの考えているとおり、エルデはアプリリアージェという名前を出すと反応する。

「へえ。エイルがリリア姉さんやったら?」

「宿に戻る……かな」

 その答えを聞いたエルデは、エイルの手を強く握ってみせた。

 エイルはその時になって、エルデと手をつないだまま走っている事に気づいた。だが、自分からは離さなかった。

「ご名答。いや、正解かどうかは別にして今の段階やと、ウチと同意見やと言っとこか。おそらくリリア姉さんがウチらの立場でもそういう結論に達すると思う」

 エルデの言葉を聞いたエイルは、少し嬉しい気分になっている自分に苦笑した。

 だからエルデの手を少し強く握ると、足を速めた。

「急ごうぜ」

「うん」

 そう言うエルデもエイルの手を、ぎゅっと握り返した。

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