第四十二話 沈黙の陣廊 2/3

 陣廊役と呼ばれるルーナーは高位のコンサーラで固められていた。感知・追尾・遠隔ルーンの照準といったルーンは、強化ルーンを専門とするコンサーラの得意とする分野である。そのコンサーラ達が根こそぎ連れて行かれたのだから、もはやシーンは《二藍の旋律》や《群青の矛》を見つけるどころではなかった。そもそもヴェリーユにとって緊急事態なのである。陣廊が機能を停止してしまったのだ。

 感知が機能しないどころではない。あらゆる精霊陣はそれを機能させるルーナー達を失い、ヴェリーユは今、丸裸と言っていい状態になっていた。

 ヴェリーユに敵対する者が存在していないこと、たまさか存在していたとして、この事実をすぐに気取られない事を祈ると、シーンは心の中で舌打ちをして、沈黙してしまった陣廊を後にしたのである。


 こうなってしまった以上、ここで文句を言っていても始まらない。シーンはやるべき事を頭の中で整理した。

 副堂頭を見つける事と、並行して城壁の重点警備の指示。

 そして……。

「急ぎハイデルーヴェンに向かうよう、メラクに伝えてくれ。隠密で、とな」

「ハイデルーヴェンに、ですか?」

 命令を受けた補佐官はシーンの意図を探るように尋ねたが、シーンは詳細を何も語らなかった。

「俺が行くまではおとなしくしているように、念を押しておくんだ」

 それだけ言うと、返事を聞く前に自身は足早に大聖堂を後にした。



 エイルとエルデが扉が開け放たれたままの《陣廊》に足を踏み入れたのは、その直後だった。

 あらかじめやる事を決めていたエルデの行動は早かった。陣廊の中をのぞき込んだ瞬間に何の迷いもなく動きを止めるいつものルーンを早口で唱えた。

「パラス!」

 認証文を唱える声と同時に、長い黒髪の少女の体の周りに光の帯が出現すると、くるくると回転して消えていった。自分の体でルーンを唱える時にエルデが発生させるエーテル光は、まるで精霊陣が書かれた光りの帯である。ルーンの唱者であるエルデを中心に、幾何学模様と文字を浮かび上がらせながら高速で回転するさまは、何度見ても幻想的であった。

 エルデの詠唱と同時にエイルは陣廊に飛び込んだ。妖剣ゼプスの柄に手をやり、体を低くして内部の状況を把握すべく素早く辺りに目をやった。

 だが、予想に反して陣廊の中には五、六人のルーナーがいただけだった。しかも一カ所に集まって不安そうになにやら話し合っていた様子だ。どう見ても感知ルーンの制御をしているという状態ではない。辺りを見渡してみても、彼ら以外に人影もなく、陣廊内に人が隠れるような場所も見当たらなかった。もちろん陣廊の近くに護衛兵などが居ない事は確認済みであるから、エルデが唱えたルーンが陣廊内を制圧した事は確かだった。

 ルーナー達を固まらせたエルデは、今度は比較的ゆっくりとした調子で別のルーンを唱えた。いくつもの帯がルーンを唱えるたびに現れ、回転し、消えていった。

「眠らせた。しばらくは起きへんやろ」

 エルデに従い、エイルはゆっくりと陣廊と呼ばれる大広間の中央に足を向けた。陣廊は通常の部屋とは違い、高さがずいぶんあった。構造はすり鉢状で、中央にある広い床がもっとも低く、それを囲むように階段状に床が作られて部屋の端へ向かってどんどん高くなっていた。つまり部屋の一番端は相当の高さになっていて、もっとも低い中央部を見下ろす構造である。それぞれの階段からは前の人間の陰で遮られること無く、全てを下を見渡せる仕組みである。反対に部屋の一番低い中央部からは、これも同様に各階段にいる人間の顔が見渡せるという具合である。

 改めて陣廊の中を見渡したエイルは、傾斜構造の各階段に大小無数の複雑な精霊陣が描かれた「盤」が小机のように整列して設置されている様に、既視感を禁じ得なかった。

「これは……階段教室みたいだな」

「階段教室?」

「あ、いや。オレがいたフォウの学校では教室がこんなすり鉢状になってて、丁度こういう風に一人一人が席に着いても、前の人間の頭で遮らずに先生の顔が見えるように机が並んでいるんだ。先生からも学生の顔が見えるわけだけどな。で、ここはその教室を二つくっつけたような感じだ」

 そして中央にある、教卓にあたる大きな机を指さした。そこにも精霊陣が書かれた一際(ひときわ)大きな「盤」があった。エイルはそこに立つと、すり鉢を半分に割ったような形状になっているフォウの学校の教室の形をエルデに説明した。

「その、すり鉢の底にあたる部分に教卓をおいて先生が講義をする。まあ、ここは完全なすり鉢状になってるけど、階段教室の場合は、その先生の場所の向こう側は壁で、壁の向こうはだいたい対称構造になってる別の階段教室がある、という感じだ。言ってみればこの辺に壁を作って二つの教室にしてるって感じかな」

 だが、その説明にエルデはたいした興味を示さなかった。

「なんや。それやとファランドールの学校と全く同じ作りやん」

「そうなのか?」

「そういうたら、エイルはこっちの学校って見た事なかったな」

「いや、何度も見ただろ?ランダールでだって、カレンに『ここが通っていた学校だ』って案内してもらったじゃない……か……」

 エイルは自分で口にしたカレンという言葉に反応して言葉の途中で口をつぐむとうつむいた。エルデはそんなエイルの横顔を見ると不機嫌そうに唇を曲げたが、カレンの事には触れなかった。

「ああいう町の学校やのうて、いわゆる高級学校と言われる学校の事や。よっぽど大きな町に行かんとないんや。あ、そう言えば」

 エルデはポン、と手を打った。

「ハイデルーヴェンに行くんやったな。あそこは学校の町やから、エイルにこっちの学校を見せてやれるわ」

「高級学校?」

「ウンディーネ連邦共和国の場合、学者や政治家、それに高級役人になりたかったら、高級学校に通う、というのが通例やな。まあ、道筋と言った方がええかも知れへんけど」

「ふーん」

「まあ、その話は後にしよか」

 エルデはそういうと、盤と盤の間の通路をジグザグに歩き出した。よく見ると床にはめ込まれている木のタイルにも、全て精霊陣が施されてあった。

「なるほど」

 一通り眺め終わったエルデは立ち止まって腕を組むとそうつぶやいた。

「仕組みがわかったのか?」

 エイルの問いかけに、しかしエルデは首を横に振った。

「全然わからへんっちゅう事がわかった」

「おいおい」

「こんな複雑怪奇で意味不明、かつ冗長な精霊陣は初めてやな」

 エルデは一つの盤の前に立つと、描かれている精霊陣の外周を指でなぞった。エルデ自身が描いた精霊陣は、そうする事によって淡い光を放つ事があったが、陣廊の精霊陣は何の変化も見せなかった。

 次にエルデは杖ノルンを呼び出して、その頭頂部で盤に軽く触れた。

 しかし、同様に何の変化もなかった。

 杖ノルンを持つ手を離したエルデはもう一度腕組みをすると、今度はしばらく盤上の精霊陣をじっと見つめていた。やがて何かを思い出したようにノルンの頭頂部を見上げて、そこに埋め込まれているスフィアをじっとみつめた。

 杖ノルンはエルデが手を離しても、倒れることなくその場で垂直に立ったままだったのだ。

 その自立する不思議な杖に、エルデは突然声をかけた。

「出でよ《真赭の頤》(まそほのおとがい)」

 杖の頭頂部に向かって、エルデはそう言った。確かに『真赭の頤』と。

「え?」

 エイルが驚くのも無理からぬ事だったが、エルデに疑問をぶつける前に、回答は得られる事になった。エルデからではなく、杖ノルンによって。

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