第四十三話 逡巡 2/4

 アプリリアージェにかけられたエルデのルーンはまだ効力を残していた。個人差があるかもしれないが、テンリーゼンもメリドも、おそらくラウもファーンもまだ姿は消えたままに違いない。

 エルデの言葉を信じるなら仮死状態に置かれたファーンは既に感知外となっているはずである。

 で、あれば……。

 アプリリアージェは残る選択肢を頭に描いた。喧噪の発生場所がエルネスティーネ達ではないか、と。

 冷静に考えれば、その可能性は低かった。エルネスティーネ達はヴェリーユ入りしてから三十日近く経つ今日の今日まで特に問題なく観光者としてこの町で過ごしているわけである。ルーンを使える人間がいるわけでもない。つまりルーンがらみで「当局」に目を付けられる事は無い。

 残る可能性の一つはエルデとエイルだ。確保、いやおとなしく確保されるような二人ではない。つまり捕り物が騒ぎになっている可能性である。

 だが、それにもアプリリアージェは自ら首を振って否定した。アプリリアージェの知るエルデは、まっすぐ船着き場に向かって大通りを行くとは考えられなかったからだ。

 結論としてアプリリアージェが導き出した喧噪の原因は第三者説であった。しかし何か事が起こるにしろ、あまりに間が合いすぎていた。まるで彼女たちが出てくるのを待って騒ぎが起こっているようではないか。

 走りながらアプリリアージェは仲間を分散させたことを後悔していた。

 こういう突発的な自体が生じた時に姿が見えない状態で仲間と合流する事の難しさに考えが及ばなかったのだ。だが無理もない。今までそんな便利な強化ルーンを使った作戦など経験したことがないのだから。

 だがこうなるとその便利なルーンを出来るだけ早く解除する方が得策に思えた。だがそれにも問題があった。アプリリアージェは強化ルーンの解除法を知らないのである。

 ある種の強化ルーンを上掛けすれば強制的に解除されるという話をかつてエルデからは聞いていたが、今ここにルーナーはいない。

 こんなことならその場でルーナーでない人間が自分にかかったルーンを解除する方法を聞いておくのだったと思っても後の祭りであった。

 

 全速力で風のルーナーが走ったのだ。すぐに目的地に達し、アプリリアージェは喧噪の元を知る事になった。そして同時に、またしても自分の考えが及ばなかったことを思い知らされることになった。

 宿に面した大通りをヴェリーユ大聖堂と反対側、つまり南大門へとしばらく下ったところに、その南北の通りと直角に交差する東西に延びる大通りがある。そこは南三番街と呼ばれるヴェリーユでも指折りの繁華街で、大規模な宿屋が何件も並び立ち、各建物の一階はカフェや商店が軒を並べる地域であった。

 奇しくもそこはラウ・ラ=レイとファーン・カンフリーエがエルデの到着を待ちながら毎日午後の珈琲を楽しんでいたカフェがある場所だった。だがもちろんアプリリアージェはその事を知るよしもなかった。

 今、その交差点は完全に封鎖されていた。

 最初にアプリリアージェの目に入ったのは、新教会の僧服を着て精杖を持った一団であった。彼らは人垣を組み、それぞれ四方の道を塞いでいた。それにより人々の通行が遮断されてそもそもの喧噪の原因となっていたのである。だが勿論彼らはただ交差点を封鎖していたのではない。封鎖する目的がその場所にあったのだ。

 囲いを作っていた人垣はおそらくルーナーであろう。彼らの数はざっと見積もって二十人。交差点をぐるりと囲み、既になにやらルーンの詠唱を開始していた。

 彼らとは別の一段がその前後にいる。精杖の代わりに槍を掲げた、いわゆる僧兵だ。彼らは詠唱中のルーナー達を守るような形で、ルーナーの輪の後ろと前にそれぞれ同心円を描くように配されていた。ルーナーと僧兵を合計すると、百人を数える。部隊ではなく立派な軍隊と言えた。百人と言えばシルフィード王国軍では二個中隊と言っていい規模である。

 それはあらゆる価値観に照らし合わせても異常な事態で、要するに物々しい事件がそこに勃発している事を示していた。

 次にアプリリアージェは、その騒ぎの首謀者とも言える人物を認めた。南へ続く道を塞ぐ兵士の壁の中央に、白い服を纏った男が、四人の従者を従えて立っていた。

 口から下の部分を覆う仮面のようなものを装着しているが、口元を読まれない為の覆いと言っていいもので、素顔を隠すつもりはないようだった。

 その証拠に男の顔を見た群衆から、その正体が聞こえてきた。


「副堂頭様だ」

 封鎖された交差点を注視するアプリリアージェの耳元に、野次馬達の声が届いた。声に釣られてその白い僧服を着た人物の顔を注視したアプリリアージェは、我が目を疑った。

「カテナ・ミドオーバ!」

 驚愕が思わず声になった。

「違うわよ、カテナ・ノルドルンド様よ」

 周りのものには姿が見えないアプリリアージェの声を、すぐ横のデュナンの巡礼者が訂正した。初老の女デュナンはそう言った後で声の主を咎めるべく探したが、それらしい人物を見つける事ができなかった。声のした方向をいたずらにきょろきょろと眺めてみたが、結局誰が口にしたものかがわからないまま、肩をすくめて視線を白い服を纏った副堂頭、カテナ・ノルドルンドに戻した。

 アプリリアージェは自分の失態に気付いた瞬間に、既に場所を移していた。とは言えもちろん初老の女デュナンの訂正は聞こえていた。

(ノルドルンド? 新教会堂頭の族名が確かノルドルンド……。いったいどういう事? )

 どちらにしろ見間違いようがなかった。近衛軍大元帥の実子であるカテナ・ミドオーバは王国軍の佐官である。言葉を交わしたことはなかったが、面識はあった。そもそもあの特徴的な鷲鼻を見間違うわけがなかった。

 しかし、その謎を深く考えている余裕は今のアプリリアージェにはない。問題はカテナの反対側、つまり大聖堂を背にして「副堂頭」と対峙している人物の方だ。

 誰あろう、それはエルネスティーネとティアナ、ファルケンハイン、そしてメリドの四人だったのだ。

 状況は把握した。

 布陣も俯瞰視できた。

 しかし、現時点ではまだアプリリアージェには打開策が見つけられなかった。



 状況はどう見ても対決の構図である。

 副堂頭側がエルネスティーネ達に何かしらの用事、それもエルネスティーネ達にとってはあまり愉快ではない用事があると言った図である。当然ながらその用事は、あまり友好的なものとは言えないようであった。

 状況は一目でわかった。しかしどういう事態でこの状況が生まれたのかはさすがのアプリリアージェでもわからない。

 その時、アプリリアージェの脳裏につい十数分前のラウの話がふと浮かんできた。

「誰かわからない人物から情報を渡された」

 確かそういう内容だったはずだ。

 その「誰か」はラウ達だけでなくエルネスティーネ一行の動きをも俯瞰していたという事ではないだろうか? 

 それも単なる憶測にすぎない。

 確かな情報が一切ない。

 そもそもそれがわかったからと言って事態を打開できる方策が思い付くわけではない。 とは言うものの、一つだけかなりの精度で確かだと言える事柄もあった。メリドの存在である。

 彼は既にエルデの強化ルーンを解除して姿を現していた。いや、解除したのではなく解除されたに違いない。

 理由はすぐにわかった。

 メリドがいるのは交差点の中。つまりルーナー達の囲いの内側である。交差点を包囲しているルーナー達は何らかのルーンを今も唱え続けていた。つまり別のルーンに干渉したことにより、メリドにかかった強化ルーンは全て解除されてしまったに違いない。

 アプリリアージェはそのルーナー達の「囲い」の外側にいた。だからまだ姿が消えたままなのだ。

 ルーナー達がいったい何のルーンを唱えているのかはわからない。しかしそれでも推論は可能だ。彼らが「囲い」の中の音が外に漏れないような結界を張っているのは間違いなかった。それが証拠にカテナはなにやら言葉を発しているし、ファルケンハインも同様に何かを言っている。だがその声が一切聞こえてこないのだ。

 おそらくその場にいる一般の人間には聞かせたくない内容なのだろう。だからこそカテナは唇を読まれない為の覆いを顎につけているのだ。カテナの用心深さがうかがい知れる。

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