第四十話 離散 3/5
エルデの言葉に、ラウは何も言えなかった。
遅まきながらではあるが、ジャミールの里に入る前に出会ったエイル・エイミイがぶつけて来た思いを自分のものとして理解してしまったからだ。
「改めて聞くで。ウチがファーンにルーンをかけた瞬間、ここにおる仲間全員が敵の標的になるんやで。一人を助けたらその何倍もの人間が窮地に陥るんや。それでもお前はファーンを助けたいんか?」
「そんな言い方はないだろ、エルデ?」
入口から声がした。
エルデは声の主に背中を向けたまま、目を細めてにっこりと笑った。振り返らずともエルデにはその声が誰のものかはわかっていた。そしてその声の主がこの話を聞けば必ずそう言うであろう事も。
だがラウは、入口に立つエイルの顔を見ると肩をがっくりと落とした。エイルの顔を見る事が出来なかったのだ
「それでも……ファーンを助けて欲しい」
「何か他に手はないのですか?」
今度はエイルの後ろから違う声がした。ゆったりと優しい声は、もちろんアプリリアージェのものだった。
「これを」
アプリリアージェは部屋に入ると、手にした木綿の袋をエルデに差し出した。
「あなたの言う抹香臭い紅茶の葉です。私は良い匂いだと思うんですけどねえ」
エルデは驚いた顔でその袋とアプリリアージェを見比べていたが、すぐににっこり微笑むとその袋を受け取って鼻に充てた。
「おおきに」
それはエイルが厨房を色々探って、匂い消しの代わりに持ち出したものだった。アプリリアージェの指示で居間の絨毯に染みこんだ血痕に、飲み終わった茶葉を散らす作業を終えたところだったのだ。
「リーゼとメリドは?」
エルデがアプリリアージェに問う。
「私の後ろにいますよ」
「よし」
エルデは小さくうなずくと手招いた。
「ほな、全員部屋に入ってくれ」
ラウは顔を上げてエルデの顔を不思議そうに見つめた。
「では?」
「ああ」
エルデはうなずいた。
「ファーンはリリア姉さん達の命の恩人らしいしな。そのリリア姉さんに世話になっている手前、ウチがファーンを見捨てるわけにはいかんやろ?」
「エルデ!」
立ち上がって自分の所に飛んでこようとしたラウをエルデは慌てて制すると、エルデはエイルと視線を絡ませた。
「さて、体も戻った事やし、ホンマもんのハイレーンの力をいっちょ見せたるかな」
「助かるのか?」
エルデの問いかけに、エルデは力強くうなずいた。
「ウチを誰やと思てんねん。絶対に助ける。でも、残念ながらみんなとはここでお別れや」
「え?」
エルデの言葉にアプリリアージェとエイルは顔を見合わせた。
「それはどういう意味ですか?」
「治療の前に、まず強化ルーンをみんなにかける。例の足音を消すルーンと姿を消すルーン、ついでに物理攻撃をある程度和らげるルーンの三つや」
エルデはこの後の手順を説明し始めた。簡単に言えば各種強化ルーンをかけた上でエイルとル=キリア組を先に逃がすというものだった。
顔が知られているラウはファーンと共に別行動でヴェリーユを離れ、エルデはルーナーとしてヴェリーユ側から特定された後は、単独行動をとるという。
懸念していたファーンへの感知だが、これはエルデによれば追尾される事は無いという事であった。
「そこもちゃんと考えた。ファーンには仮死ルーンをかける。死んだ人間は感知外のはずや。たぶんそれで大丈夫やろ。ただ、ラウは意識のないファーンをずっと背負って逃げなあかんから、筋力の持続力を強化するルーンをかけといたる」
「仮死。その手がありましたね」
だがエルデのその作戦に最初に疑問を投げかけたのはエイルだった。
「ちょっと待て」
「なんや?ウチの完璧な作戦にケチ付けるつもりか?」
「ああ。それでお前は助かるのか?」
それはその場に居た全員が知りたい質問であり、同時に全員がエルデの自信満々な肯定を期待していたのだ。
だが、その美しい顔に不敵な微笑みこそ浮かべたものの、エルデは自信に満ちた言葉を口にはしなかった。
「ウチがこの体を失うてエイルに憑依する羽目になったんは、そもそもここヴェリーユでルーンを使うたからやっていう話はしたっけ?」
エルデのその一言は、場に沈黙を生んだ。
ラウはもちろん初耳だったが、その言葉の意味するところを知っても、かけるべき言葉を見つけられなかった。
エルデほどのルーナーでさえ、助からなかったと言う事なのだ。
エイルはこみ上げる感情をまとめ上げるのに必死だった。口を開ければエルデを止める強い言葉を浴びせ続ける事が自分でわかっていたからだ。だが、それは同時にファーンを見捨てろと叫ぶ事と同義であることも理解していた。
だから他にいい手がないかを模索しようともがいていた。
アプリリアージェはエルデの戦術、いや戦術とも呼べない手順がファーンを助けるという事を大前提にしており、なおかつ味方の損害を最小にする手法としては最善であると同時に、現在の状況ではそれが唯一無二の選択肢である事が理解できていた。だからこそ、エルデの作戦を肯定する事も否定することも彼女にはできなかった。
メリドはこの時点で、部屋に戻った時に初めて目にした瞳髪黒色の不気味に強い精霊波を放つ美貌の娘が、ジャミールの里で族長ラシフをいつもカンカンにさせていた人物であることを素直に受け入れていた。
ごく短時間でここまでの手順を組み立てて見せた冷静で明晰な頭脳。古語の調子や自信に裏打ちされているであろうその尊大な態度、その物言い。それは姿形こそ変わっているものの、あの時の賢者そのものであった。
そして、その賢者が告げる作戦は他に選択肢が無い物なのだと言う事を彼も悟っていた。
だがメリドには一つだけ後ろ髪を引かれる思いがあった。彼はエルデ達と再会する為に滞在を延ばしていた訳ではなかったのだ。彼は呪医ハロウィン・リューヴアークを待っていたのである。
だがメリドの存在はティアナやエルネスティーネにとってもありがたかった。もともとジャミールの里の情報収集役としてウンディーネやサラマンダの各地に足を伸ばしていたメリドである。世界各地から聖地ヴェリーユに集う人々の持つ様々な情報を町に出て拾い集めていた。ただでさえ長身のアルヴであるティアナはデュナンが多いヴェリーユでは目立つ上に、珍しい白髪は人物特定にあまりにうってつけで、目立つ行動をとるわけにもいかなかった。さらに言えば彼女は情報収集の訓練など一切受けておらず、要するにその目的においては無能だという事を自覚していた。
エルネスティーネは論外であり、テンリーゼンに至っては問題外。アキラにその役目を頼むのはお互いの立場の問題もあって難しいとなれば、メリドがその役を喜んで引き受けてくれていたのは国の体制が大きく変化したばかりのシルフィード人としてありがたかったのである。
もちろんシルフィード人の巡礼者は多くはなかったが、外国からみたシルフィードの情報だけでもティアナ達にはありがたかった。
ガルフ・キャンタビレイにまつわる妙な噂をティアナ達が知ったのも、メリドの活躍によるものだった。
「どっちにしろ、オレはお前と行く」
ややあって、エイルはそう言った。
「え?」
「ルーナーを剣士が守るのはファランドールの戦法としては普通なんだろ?それにオレにはお前に色々と聞かなきゃならない話がある」
もちろんエルデはびっくりした顔でまじまじとエイルを見つめた。
瞳髪黒色の少女の前に立つエイルは珍しく、いや少なくともアプリリアージェの記憶では初めて腰に差した短剣の柄に手を置いていたのである。
剣士という言葉と共に、それを示す態度をエイルがとっていた。
腰に差しているのはエイルがラシフから託された妖剣ゼプス。しかし彼がその剣を鞘から抜いた姿をアプリリアージェ達は一度も見たことがなかったのである。
その剣に手を掛けて口を出たエイルの言葉は、おそらくエルデが考えている以上に重いものなのだろうとアプリリアージェは感じていた。
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