第四十話 離散 4/5
だがエイルの言葉を受けたエルデは、ただでさえ上がり気味の目尻をさらに吊り上げ、あからさまに不愉快そうな表情を浮かべると即座に同じピクシィ族の少年の申し出を却下した。
「冗談やない。お前はネスティを守る為にわざわざ扉を閉めてまでファランドールに残ったんやろ?フォウに戻る機会を捨ててまで選んだ事なんやったら、それを貫くべきやろ?」
エイルはしかし、エルデのその言葉にも全く動じなかった。
「オレが何を言ってもお前は今度はこう言うんだろ?『はっきり言うて足手まといやねん』ってな。足手まといになろうがお前がどう言おうがオレはお前と行く。いいか、これはオレが決める事だ。お前の指図なんか受けてたまるか」
それは半分怒鳴り声で宣言された。
その声にひるんだエルデに、エイルはさらに一歩近づき、ほとんど眼前に立った。そうやって近くで向かい合うと、やはりエイルよりもエルデの方が少し背が高いと言う事がわかった。
エイルはアプリリアージェ達全員に背を向けた格好でエルデに対峙すると、右手を胸の高さに掲げ、手甲と言われる薄い金属板の入った指出しの保護手袋を取ると、裸の手の甲をエルデに見せた。
つまりエイルはそれをエルデ一人だけに見せる為にわざわざ全員に背中を向けてエルデに近寄ったのだ。計算による行動であった。
「逃げるなよ、エルデ。オレはお前にいろいろと教えてもらう事があるんだ」
エイルの右手の甲にエルデの視線が落ちると、その切れ長の大きな目が見開かれた。そして思わず出かかった言葉を飲み込むように手で口を覆うと、見開いたままの目でエイルの顔を凝視した。
「文句あるか?」
エイルはそう言うと、再び手甲をつけた。
エルデはエイルを睨んでいた顔を、ゆっくりと地面に落とした。
「何でやの?」
そして絞り出すよう小さくつぶやいた。
「あれはもう、終わったはずと、ちゃうのん?」
アプリリアージェは二人の様子を細かく観察していた。そして『時のゆりかご』でエイルが自分の右手を気にしていた事を思い出していた。
(あの時エイル君の右手に何かの変化があった。そして彼はそれを隠す為に、それまでしていなかった手甲を填めるようになった。それも右手にだけ)
その時からアプリリアージェはその変化をおかしいと思っていた。だがそれを確かめる時間もなく、この部屋に辿り着いたのだ。
わかっている事は、同じ体を共有していたエルデがそれを知らなかったということ。
そしてそれはエルデを大きく動揺させるほどのものである事。
『終わったはず』というエルデの言葉。
それらの一つにまとめ上げるもの……。それはひょっとするとエイルをファランドールにつなぎ止めた本当の原因になるものかもしれなかった。
(あ!)
アプリリアージェはその時、突拍子もない事を思いついた。だが、すぐに心の中で首を横に振って自らの推理を否定した。
(さすがにそれはない)
「時間がないんだろ?急ごうぜ」
うつむいたエルデにエイルがそう声をかけた。
「助からないなんて決まった訳じゃないだろ?」
だが、エルデはすぐには顔を上げなかった。
アプリリアージェはそれを見て声をかけた。
「そういえば、ラウさん達は《蒼穹の台》からの伝言を持っているのではないですか?」
だが、エルデは言下に告げた。
「ファランドールの情勢とか、ンなもん、この際どうでもええわ。そんな事よりウチらの情勢や」
「あらあら、さしもの三聖もあなたにかかると形無しですね」
アプリリアージェはそう言って苦笑したが、それ以上追求はしなかった。
「では無事にこの町を抜けられたら、我々はハイデルーヴェンで待っています。あそこはけっこうな規模の町ですし、紛れるのにも適当でしょう」
ハイデルーヴェンとは、ヴェリーユにほど近い学校都市と言うべき町であった。神学や精霊波をはじめとする様々な研究機関や学校が建ち並び、世界中から学究の徒が集う場所としてウンディーネでも有数の賑わいを誇る。
またヴェリーユへの巡礼者の為の宿場町の機能も有する。ヴェリーユの宿は巡礼者を全て受け入れるだけの許容量がない。それどころか全く足りないと言った方がいいだろう。水路を使えば一時間程度で行き来出来るハイデルーヴェンは絶好の立地と言えた。
ヴェリーユと同様に世界中から人々が訪れる町であるハイデルーヴェンは国際都市と言っていい。ならばデュナンだけでなく、そこにはアルヴ系の人間も多く滞在しているだろう。紛れるにはアルヴの姿が少ないヴェリーユよりも適している可能性が高い……アプリリアージェはそう考えてハイデルーヴェンを待ち合わせに指定したのである。
そこならば自分たちを訪ねてくるはずのハロウィン達と会える確率も高いだろうという事も、もちろん計算に入っていた。
アプリリアージェはラウとエルデににっこりと笑って見せた。
「我々と落ち合うつもりがないのであれば、少し遠いですがヴェリタスという手もあります。我々もしばらく待ってあなたたちが現れなければそちらへ向かいましょう」
ヴェリタスとはもちろんマーリン正教会の本山がある独立都市ヴェリタスである。ヴェリーユとヴェリタスは直線距離で約五百キロ以上も離れている。ただし、間には湿地帯と山地があり直通路はない。陸路である街道を使うとその三倍はかかる計算である。ヴェリーユからは水路を併用しても二週間以上かかる距離にあった。
だが、それまでにある町や都市はどういうからみで新教会の息がかかっているのかがわからない。面が割れていないアプリリアージェ達だけであればそのおそれはないだろうが、ラウとファーンはそう言うわけにはいかない可能性もある。
もとより彼女たちはアルヴである。さらに賢者でもあり、たとえ距離があろうと雪の季節であろうと本山であるヴェリタスへの経路は心配ないだろうというのがアプリリアージェの計算であった。
彼女にしても、エルデからはもう少し情報を引き出しておきたい事があった。それだけでなく、エルデは手元に置いておきたい「武器」でもあったのだ。それも相当強力な兵器である。すなわち第一候補と第二候補を提案することはアプリリアージェにとっては、それを確実にする為の、つまりエルデとの関係を絶たない為の当然の戦術であった。
「リューヴアーク先生とはどう連絡をとりましょう?ハイデルーヴェンで必ず会えるという保証はありません」
メリドは心配していた事を口にした。
「それについては念のために調達屋組合を通じてベック宛に連絡を入れておきましょう。彼ならどうにかしてハロウィン先生に連絡をつけてくれるでしょう。そこは彼の調達屋としての力の見せ所でしょうから、信じていいと思いますよ。それよりメリドさんはアアクに直接向かった方がいいかもしれません。そろそろイブロドが寂しがる頃でしょう?」
「いえ」
メリドは首を横に振った。
「リューヴアーク先生から精霊石を使った治癒法をうかがうまでは戻れません」
「そうね。そうでしたね」
アプリリアージェはうなずくと、あらためてエルデに告げた。
「決まりましたよ、エルデ」
エルデはその言葉を受けて、ようやく顔を上げた。
いつも以上に吊り上げた目でアプリリアージェを睨んだエルデだが、しかしその怒気あふれる表情のわりには、精霊波にまったく乱れのようなものはなかった。
「まったく、どいつもこいつもアホばっかりや」
そして独り言のようにそれだけつぶやくとノルンを掲げ、それを例によって水平にして突き出し、そのまま極めてあっさりといくつかのルーンを唱え始めた。
その態度にはもはや何のためらいも迷いも見られなかった。
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