第四十話 離散 1/5

 エルデ・ヴァイスとの再会の少し前。

 ラウ・ラ=レイが暗転した視界を再び我がものにしたのは、大きな石造りの建物が建ち並ぶ大通りを一本外れた路地の上だった。

 抱きかかえていたファーン・カンフリーエに、弱々しいながらもまだ脈がある事を確認すると、ラウは周りを見渡した。

「けっこう、飛んだな」

 自分がいる場所を特定できたラウは、ひとまずため息をついた。全くの運任せとも言える呪具の能力に過度の期待はしていなかったが、直線距離で一キロメートル程度は移動していたようだった。ラウにしてみれば上出来、いや望外と言えた。

 路地はかなり狭く、幸い辺りに人影はなかった。普段から人通りなどはほとんど無い場所なのだろう。とはいえ、ぐずぐずしている時間はない。

 なぜならルーンを使ったファーンの場所は、新教会の結界感知部隊には既に知られているはずだからだ。

 ラウがいる路地は、大聖堂近くの厳めしい作りの大きな宿屋がいくつか並ぶ地区で、その路地はある一件の宿の裏側を抜けるように作られていた。

 位置関係という点では少々難しい状況にあった。ラウ達はヴェリーユの外ではなく、中心部に移動していたのである。

 小さく舌打ちをすると、ラウは自分のマントを脱いでファーンの体を慎重に包み、再びそっと抱きかかえた。ファーンには意識はない。手も首もだらりと垂れ下がったままだった。治癒の力がないコンサーラの自分を、ラウはこの時初めて呪った。治癒専門のハイレーンの方が負傷すると、こういう時にはどうしようもないという、当たり前の事実が恨めしかった。


 その時である。ラウの死角から声がした。

「貴殿はもしやラウ・ラ=レイ殿か?」

 名を呼ばれたラウは絶望の中で唇を噛んだ。

(一息つく暇もないのか)

 だが、その声はすぐに意外な言葉を続けた。

「話は聞いている。お連れの状態は?」

 ラウは訝しげな顔を、声のする方へ向けた。

 そこにはダーク・アルヴの少年、いや少年に見えるダーク・アルヴが一人立っていた。その探るような目とラウの視線が合うと、ダーク・アルヴはすぐに両掌をラウに向けた。手に獲物はなかった。敵では無いとう合図であろう。ラウにはそのアルヴがとりあえずは僧兵には見えなかった。ましてや僧正にも。

 そもそも正教会(ヴェリタス)の情報では、新教会(ヴェリーユ)の僧兵はデュナンで固めた部隊という事になっている。ダーク・アルヴが居るなどと聞いた事もなかった。それに冷静になってよく観察すれば、ダーク・アルヴは旅の人間という出で立ちであった。

「話とは?」

「ここに来ればあなたともう一人、けが人が居ると言われた」

 ラウの疑問はその答えでは何も解けなかった。

「誰に聞いたのだ?」

 だが、ダーク・アルヴは首を横に振った。

「私も知らぬ人間だ。若い女アルヴで、モテアの髪をしている」

「モテアの女アルヴだと?」

 ラウにはまったく心当たりがなかった。そもそもモテアの人間などこれまで見た事がなかった。

「だが貴殿がラウ殿であれば、私の連れにゆかりのある人間であることは確かです」

「あなたのお連れ?」

「あなたが賢者ラ=レイであればご存じのはず。我が連れは同じく賢者。名はエルデ・ヴァイス」

「なんやて?」

 ラウは驚いて思わず古語が口を突いて出た。そしてすぐにばつが悪そうに口をつぐんだ。

「おお。我が連れも同じ古語を使います。さてここで長話もなんです。表は何か物々しく僧兵が動いています。私が先導しますので、とりあえずは我々の宿へ。手当をするにせよ、こんなところでは無理です」

 ダーク・アルヴはそう言うとゆっくりと駆けだした。ラウは迷いながらもその後を追うことにした。そもそも選択肢などラウは持っていなかったのだから。



 メリドからいきさつを聞いたアプリリアージェとエルデは、それぞれ違う立場で頭を抱えていた。

「モテアの女の子……ってお知り合いなんですか?」

 アプリリアージェの問いかけに、エルデは首を横に振った。

「そんな珍しい髪の毛のお姉ちゃんなら絶対忘れへん自信はあるけど、残念ながら記憶にないわ」

「その話が本当だとすると、我々の事を未知の第三者が知っていると言う事になりますね」

 アプリリアージェの頭痛の種はそこであった。

「念のためにいうとくけどエイルも知らんはずや。まさかフォウの知り合いって言うわけはないやろ?」

「そうですね」

 アプリリアージェはモテアの少女に皆目見当がつかなかった。わかっているのは自分達は誰かの監視下にあると言う事であった。勿論、一番可能性が高いのは新教会の人間である。とはいえ、賢者二藍の旋律(ふたあいのせんりつ)ことラウ・ラ=レイとの接点を知っているとは思えないのだ。

「お知り合いではないのですか?」

 珍しく眉間にしわを寄せて難しい顔をしているアプリリアージェを見て、不思議そうな顔でそう問いかけたのはメリドだった。

「ま、リリア姉さんの疑問はもっともやけど、そっちの話は後にしよ。とにかくファーンを見てくるわ」

 エルデがまず立ち上がった。

「もう大丈夫なのですか?」

「なんとか、な。さっきは無防備やったから意識が飛んでもうたけど、そのつもりやったらある程度は堪えられる」

「ある程度、ですか」

 アプリリアージェの問いかけに、エルデは苦笑するしかなかった。

「ある程度、やな。でもそうなる前に退散する」

「是非そうして下さい」

 アプリリアージェとエルデのやりとりを聞いていたメリドは我慢の限界を超えたようで、会話に割って入った。

「その、こちらの瞳髪黒色のご婦人は?」

「え?」

 アプリリアージェとエルデは顔を見合わせた。


「かなり親しげに話されているようですが、古くからのお知り合いですか?」

 エルデは苦笑しながら、何も言わずに部屋を後にした。それを見送ったアプリリアージェがメリドの疑問に答えた。

「そうでしたね。でも、あの人のことはメリドさんもよくご存じのはずですよ」

「いえ、瞳髪黒色のご婦人にお目にかかるのは初めてです」

 同じくエルデの後ろ姿を目で見送ったメリドは首を横に振った。

「何をおっしゃいます。あの人はラシフ様の親友ですよ。お別れの時に抱擁されてマントを受け取ったのを、あなたはすぐ近くでご覧になっていたでしょう?」

「え?」

「その時は訳あってエイル・エイミイと名乗っていましたけどね」

「は?……ええ?」

「まさかメリドさんはあの時眠っていたとでも?」

「いや、まさか。しかし」

 メリドはエイルが向かった廊下の方に顔を向けた。

「間違い無くあの賢者様ですよ。龍墓で本来の体を取り戻したのです。それよりも細かい話は後にして、あなたに頼みがあります」

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