第三十六話 雲隠れ 1/4

 ラウ・ラ=レイは手に持った紙片を握りしめた。

 誰が寄越したのかわからないその紙片には、クセのある文字で短く「気を付けろ、僧正にバレている」とだけ記されていた。

(気を付けろも無いものだ)

 ラウは文句を言いたい気分だった。もっとも誰に向かってそれを言えばいいのかがわからないのが癪に障る。なぜならその紙片を読んで顔を上げた時には、既に回りを新教会の僧兵に囲まれていたからだ。要するにその短い文は警告の体をすでに成しておらず、ただの現状報告に堕していた。

 

 特に誰に確かめなくともわかった。

 ただ一人素顔をさらしている橙色の僧兵服を着た青年が、その僧正であろう事を。

(さて、どうする? )

 ヴェリーユではルーンを使わない。これは鉄則であった。

 ひとたびルーンを使ったが最後、この城塞で囲まれた町中に張り巡らされている結界を通して探知専門のルーナーが、それこそ瞬く間に感応する仕組みになっていた。一度感知されたが最後、そのルーナーはヴェリーユにいる限り居場所は高精度に特定され続ける事になるのである。さらに言えば、ここヴェリーユではたとえルーンを使ったとしても、同じく結界の働きでその力はほとんど削ぎ落とされる事になっていた。特定の場所ではルーンそのものが発生しない程強力な結界が張られているとも噂されている。無エーテル地帯、いわゆる「エア」のようなものであるが、自然現象である「エア」と区別するために、「疑似エア」等と呼ばれていた。だが言葉自体は存在しても、実際に疑似エアを体験したという人間、いやルーナーの話を聞いたものはラウの知る限りは誰一人いなかった。

 どちらにしろヴェリーユとはすなわち、ルーンを縛る巨大な罠のような場所なのである。

 もちろんその結界の効力が及ばぬ場所もある。

 それはヴェリーユ大聖堂の背後の山の中腹にある本殿と呼ばれる複数の建物を回廊でつないだ造りの建物の中で、いわば新教会の防御中枢にあたる場所である。ルーンの探知機能を担当するルーナーが詰めている場所こそが、その場所である事は間違いがない。だが、その場所がいったいどこにあるのかまではラウの知識にはなかった。ヴェリーユ大聖堂から、まだ先の奥深く入り込んだ場所であろう事を漠然と理解している程度であった。

 とはいえ場所がある程度特定されているとしても、そもそもまともにそこまでたどり着ける人間がいるはずもなかった。ましてや正教会の人間がその場所へ足を踏み入れる事が出来るとは思えない。

 ラウは僧正率いる新教会の僧兵集団を前に、そんな事を考えていた。


「ヴェリーユへようこそ。私は大聖堂巡礼守備隊をとりまとめるシーン・ジクスと申します」

 シーン・ジクスと名乗った僧正はそう言うと恭しく頭を下げた。

「これはご丁寧に、どうも」

 対してラウは気のないような返事をした。落ち着いた声だった。いきなり仕掛けられなかった事で、気持ちに多少の余裕が生まれていたからだ。

 相手は大聖堂巡礼守備隊の長だという。ラウの知識では、それは新教会において相当の地位にある人物のはずだった。一国の近衛隊の隊長のようなものである。であるならば、まずは相手の出方を窺う程度の会話は出来ると踏んでいた。要するに打開策を練る時間稼ぎが可能だと考えたわけである。


「わざわざ正教会(ヴェリタス)からお越しいただいたのに恐縮ですが、あいにくと堂頭(どうとう)はエッダへ参っております。代わりに留守居の副堂頭がお二方に是非お会いしたいと申しております。つきましては私がその命を受け、こうしてお迎えに上がりました」

 唯一かぶり物をせず、素顔をさらしている橙色の僧兵服の青年は、邪気のない笑顔でそう言った。

「堂頭」とはヴェリーユ大聖堂の頂点に立つ者の名である。つまり新教会を束ねる存在であった。正教会での「座守(ざしゅ)」がこれにあたる。

 エッダに行っていると言う事は、すなわちシルフィード王国の前国王であるアプサラス三世の大葬に列席するためなのであろう。ヴェリタスも座主が招かれていた事は、ラウの持つ情報にもあった。

 邪気のない笑顔が、かえってラウの癇に障った。余裕があると言う事だ。慇懃無礼な態度も同じ。ラウには全てが上から見下されているように感じられたのだ。

 ラウは改めて一見礼儀正しい目の前の僧正、シーン・ジクスを観察する。

 シーンは薄茶色の髪と青い瞳を持つ、長身のデュナンである。僧正を名乗る者はデュナンだけだと聞いていたが、少なくともシーン・ジクスはその噂通りであった。

 武器は持たず、彼はイチイの木で作られた精杖だけを手にしていた。そもそも僧正とは高位ルーンが使える者で無ければならないはずで、シーン・ジクスはすなわち間違い無くルーナーであろう。


「食事なら間に合っているが」

 少し間を置いてめんどくさそうにそう答えた。

「おや。ソレは少々残念ですね。ドライアド南部からお越しになった信徒様より珍味の寄進物があったのですが……。ふむ、それならば夕餉の楽しみにされるとよろしいでしょう」

 顔色一つ変えず、眉一つ動かすことなく、僧正シーン・ジクスはそう切り返してきた。

(考えろ、《二藍の旋律》)

 ラウは自分自身を心の中で叱咤した。

 町全体が新教会の結界の中にある。どのような呪法、あるいはルーンが仕掛けられているのかまではラウにはわからない。下手に動けば相手の思うつぼにはまる可能性が高い。抵抗に対しての拘束とはすなわち彼らにとっては大義名分であろう。

 ラウとて最近の賢者会で囁かれている新教会の僧正の噂を知らないわけではない。

「僧正は賢者狩りを行っている」

 それが噂の根幹であった。理由は単純で、賢者会と長期にわたって連絡が付かなくなっている賢者が後を絶たないのである。賢者会との定期的な連絡は賢者に課せられた最も基本的な義務である。それを長期間ないがしろにする事はあまり考えられなかった。

 連絡できない理由はいくつか考えられたが、その最悪の事態が噂の内容なのである。

 一人二人であれば不慮の死などの要因も考えられるが、この数年で二十名以上の賢者が行方知れずだというのは明らかに異常である。

 マーリン正教会には『庫(くら)』と呼ばれる部屋がある。そこは賢者会でもごく一部の者しか入れないと言われている特殊な場所で、様々な曰く付きの呪具や『マーリンの眼』とも呼ばれる『賢者の徴』が安置されている場所としても知られている。

 その『庫』にまつわる噂では、最近そこに入った者が『賢者の徴』の数が増えていると漏らしたらしい。

 賢者は『授名の儀』で『賢者の徴』を受け継ぐが、死亡すると『賢者の徴』だけは『庫』に戻り、新たに『継ぐ者』が現れるまで再びそこで眠りにつくと言われている。その『賢者の徴』が増えていると言う事は持ち主、いや宿主と言うべきか……の死を意味する。

 短期間にそれほど多くの賢者が命を落とす事など考えられない事から、何らかの陰謀によるものだという考えに至るのも無理からぬ事である。

 陰謀と一言で言うのはたやすいが、賢者ともあろう者がそうやすやすと普通の人間の手にかかる事は考えにくい。

 少なくとも賢者と対等の力を持つ者と闘い、敗れたと考えるのが妥当な所であろう。賢者と同等と言われる能力を持つ者と言えば、各国の高位のバードか、僧正と呼ばれる『新教会のバード』しか考えられない。各国の高位バードは王宮から滅多に外に出る事はないから、消去法として僧正が犯人とされているわけである。付け加えるならば、各国のバードが消去法で消されるのにはさらに意味がある。

 ドライアドはマーリン正教会が国教である。表向きはどうあれ、バード庁はマーリン正教会の人間が把握している組織である。同様にウンディーネの首都島アダンにあるバード府にも影響力があった。

 シルフィード王国はバード庁と宗教団体との関係はなく、国家体制を考えても賢者を狙う理由が希薄である。サラマンダはそもそもドライアドの属国と化しており、バード庁も名ばかりとなっている。

 残るは新教会の僧正、という事なのだ。

 そして今まさにラウとファーンの身の上に起こっている事態こそが、噂を証明するかのような出来事。すなわち僧正による『賢者狩り』に違いなかった。


 ラウは打開策を見いだせないまま、取り合わず会話を伸ばす事にした。

「そもそも何の話をされているのかが私にはわかりかねます。見ての通り我々は旅の吟遊詩人。先般多少の小金を稼いだ事もあり、以前より興味のあったここ、ヴェリーユに観光がてら立ち寄っただけなのですが」

 見え透いた台詞である。無駄だとは思いつつも考える時間を稼ぐ為、ラウは一応シラを切ってみた。

 案の定シーンと名乗った橙色の僧兵服のデュナンは、その屈託のない爽やかな笑顔を苦笑に変えると、言って聞かせるような口調で同道を促した。

「あなたが《二藍の旋律》様、それにそちらの若い方は《群青の矛》様ですね。我々が正教会の賢者様のお顔を知らぬとでもお思いでしたか?」


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