第三十四話 四冊の本 1/4
視線の先にいる人物は、アキラが口を開こうとすると唇に人差し指を立て、その言葉を封じた。そしてそのまま席を立つとゆっくりとアキラのテーブルに歩み寄り、当たり前のように正面の椅子に深く腰掛けた。
「どうする? 先に読んでおくかい?」
デュナンの青年はそう言うと、テーブルの上に分厚い一通の封書を置いた。
「これは?」
眼鏡の向こう側に見える金色の瞳が特徴的な青年は、苦笑混じりに答えた。
「この季節にカラーを売ってる花屋はないな。しかも黄色だって?」
「売っている花だとまずいだろう?」
「まあ、そう言う意味じゃ合い言葉としてはまあまあかもしれないけど、君の部下にしちゃ、ちょっと油断しすぎじゃないのかな? 受け取りに来るはずの人間の特徴も相手に伝えておくべきだね」
男の言葉に、アキラは頭を抱えたいのをじっとこらえてうなずいた。
「でも労せずして入手できたんだ。幸運と言ってもいいんじゃないだろうか」
デュナンの青年は中指で眼鏡を直しながら付け加えた。
「もっともボクの出現が君の想定の範囲内であるなら、だろうがね」
アキラはため息をつくと、紅茶の入ったカップに手を伸ばした。とりあえずは落ち着きたかったのだ。それには間が必要であった。
「読んだのか?」
「君は読まないのかい?」
アキラはテーブルの上の封書を見つめた。だが、手は伸ばさなかった。
「白状すると、私はとても君に会いたかった。会いたくて会いたくてたまらなかった。まさか私が男にここまで恋い焦がれるとは思わなかったよ。あまりに会いたいものだから、ミュゼにいる君の窓口係に宛てて呼び出しの伝信を送ったところだ」
「君のような粋人にそこまで思われるなら、男女の壁など些細な問題だな。まさに光栄の極みだね」
「心にも無い事を」
アキラはあくまで茶化そうとする金瞳(きんどう)の青年に、あえて不機嫌な声色でそうなじった。だが相手は一切動じる様子はなかった。
「まあまあ。手間が省けて良かったじゃないか」
アキラは不機嫌な声色のままで続けた。
「あれほど会いたかったにもかかわらず、だ。いざこうやって君を前にすると、なぜかむかついてくるんだが、これはどうしてなのだろうな?」
「いや、いろいろ大変だとは想像してたけど、まあ君の事だから無事だとは思っていたさ」
「スカルモールドと一戦やり合ったんだぞ?」
へらへらとした相手の態度に業を煮やしたアキラは、テーブルを拳で音が出る程叩いてみせた。勿論、激高したわけではない。だが抗議の意思を強く表したかったのだ。
「ほう。そりゃ興味深い話だね」
本気で怒っていないのは相手はわかっているはずだ。だが、それでも抗議の意志に対しては何の頓着もない様子に、さすがのアキラも本気でムッとしだしていた。だが、それはすぐにため息になって外部に放出されて消えていった。
何を言っても無駄な相手である事を思い出したのだ。
「君には報告する事が山ほどあるが、それと同じくらいの文句があるという事だけは認識しておいてほしいものだな、ミリア」
アキラは紅茶のカップを受け皿ごとそっとテーブルに戻すと、金色の瞳を持つ長い茶色の髪をした目の前のデュナンを睨み据えてその名を呼んだ。
「ボクの方からも先に言っておくけど、ル=キリアの総司令が生きていたのはボクのせいじゃないぞ」
「総司令だけじゃなくて、二人いる副司令もだ」
青年は声を立てずに、それでいておかしそうに笑って続けた。
「まあまあ。それにしてもあの完璧な死亡偽装には敬服するしかないね」
アキラの目の前でそう言って笑う人物は、誰あろうペトルウシュカ公ミリアであった。
「一人か?」
ミリアのくすくす笑いが収まるのを待つと、それとなく周りに注意をしながらアキラはそう尋ねた。
ミリアがこういったお忍びの遠征をする場合、ほぼ単身なのは間違いないとは思っていたが、念のために訪ねてみた。それはほんの気まぐれだったのだが、ミリアは意外な返答をした。
「いや、今回の旅行は側室が一緒なんだ」
アキラは再度辺りをゆっくりと見渡して、それらしい人影が見つからないのを確認してから口を開いた。
「今の冗談に私が気の利いた返答をすると思うか?」
「そこか?」
ミリアはやれやれ、と言う風に両手を広げた。
「こういう場合はだな、『正室より先に側室をもらったのか? 』とか。あるいは『新婚旅行にしては妙に抹香臭いところにきたものだな』とか、さもなくば……」
「わかった。もういい」
「なんだ。いいのか?」
「いいんだ」
「つまらないな」
アキラは思い出していた。ペトルウシュカ兄弟と会話する場合の注意事項である。
『相手の話題を追いかけるべからず』
外見も性格もほとんど似たところのないミリアとエスカだが、双方をよく知るアキラはそれでも二つの共通点を発見していたのである。一つはいたずらっぽく笑う時の目尻の下がり具合。もう一つは切り出そうとする話が重要であればあるほど、話の導入時に全く関係のない冗談ばかりが続く事である。
つまり、ミリアはアキラに重要な話があるのであろう。もっとも、エスタリアで幽閉されているはずの人物がヴェリーユにまで遠征している時点で、事の重大さは理解しているつもりであった。
「まず、こんなところまでやってきた君の用件を聞こう……と思ったがやめた。とりあえず君は私の話を聞け」
ミリアはまたもや苦笑をすると肩をすくませた。
アキラはそんなミリアを見て、改めてその能力の理不尽さに思いを巡らせた。
ファランドールのどこにいても前触れもなく現れる事ができるのがミリア・ペトルウシュカという男なのだ。ウーモスの件でアキラはそれを受け入れる事にした。だから突然こんなところに現れた事については敢えて質問をしなかった。
何がどうなっているのかわからないが、ミリアにはアキラの行動が手に取るようにわかっているらしかった。それもまた、アキラにとっては理不尽と思う点であった。
ミリアが拒否しないのを見ると、アキラは簡潔に、しかし多少の嫌みを込める事は忘れずにル=キリアに同道して見知ったこれまでの事をミリアに報告した。
アキラの話の腰を折る事無しに時々うなずきながら黙って聞いているミリアの表情を、アキラは冷静に観察していた。だが事が賢者やスカルモールドとの遭遇や架空と思われていた三聖が存在していたという話になっても、眼鏡の奥の金色の瞳は全く揺れる事がなかった。
当然ながらアキラは、そんなミリアに違和感を覚えた。
まるですべてが既知の事のように、目前の異能の青年は落ち着いているのだ。
「ふーん。一月(ひとつき)経ってその賢者が『龍墓』から戻らなかったら、今後の事は合流予定の呪医とやらに従えという事なんだね?」
アキラの話を一通り聞き終わると、ミリアはそう念押しした。
「そうだ。あれからもう一月経つ。そろそろ呪医殿もヴェリーユ入りする頃なのだが」
「なるほどなるほど。それで君がこれからどう動くべきか、ボクに何か考えがあるのか無いのか、それをたずねる為にミュゼに連絡をいれたってわけだね?」
アキラはうなずいた。
ミリアの命で動く事はこれまでに何度もあった。しかしさすがに今回は長く公務を空けすぎていた。ヤリキィ・サンサ副司令が本部にいれば業務の遂行には問題はないものの、政治的には限界であろう。
そもそもサンサはミリアの息がかかった人物である。だからこそアキラの行動に幅がとれているわけである。すなわちミリアとて、もとよりその辺りは理解しているはずであり、諸々の要因を複合的に吟味した上で、今後どうするかというミリアとしての考えを聞きたかったのだ。
「いやいや。ありがとう、アキラ。お姫様……いや、今は女王様と言うべきかな。彼女の観察だけで良かったんだけど、君は実に有能だな。とても有意義な調査をしてくれたよ」
ミリアはねぎらいととれる言葉をアキラにかけた後、ニヤリと笑ってこう続けた。
「でも、もう充分だ。あとはこちらで引き受けよう」
アキラはミリアのその物言いに引っかかるものを感じた。ミリアは一人称の代わりに「こちら」という言葉を使ったのだ。
ふいに先ほどのミリアの言葉が脳裏に甦った。
『側室を連れいる』
ミリアは確かにそう言ったのだ。
『こちら』とはいったい?
着々と増やしていた「同士」の事なのだろうか?
いや。だとしたらアキラも「そちらがわ」にいるはずだった。
それよりも、なぜミリアはアキラの報告に対して驚いた様子を見せないのだろうか? もともと喜怒哀楽をムリに隠す性格ではない。アキラの報告内容はどれも驚愕するに値する内容のものばかりのはずであった。
全てが既知の事だというのだろうか?
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